Posts Tagged ‘人種’

『人生の特等席』のラストシーンの補足説明 公立と私立

日曜日, 12月 9th, 2012

『人生の特等席』を観た。俳優引退宣言したクリント・イーストウッドがなぜか主演している作品で、彼の引退宣言は宮崎駿の引退宣言同様「死なない限り現役」だと思っておいたほうが良さそうだ。

人生の特等席

『人生の特等席』はガンコもの同士の父娘を描いた平凡極まりない良作だった。平凡極まりないかと思ったら、「父娘が仲悪くなった理由」が思わず声を漏らしそうになったほど特異な理由だった。

原題の『Trouble With the Curve(カーブ絡みの問題)』の通り「カーブ」がポイントになっていて野球のバッターがカーブに対応できるかというのがポイントになっている。年老いたクリント・イーストウッドが道路のカーブに対応できるかというのも。でも『人生の特等席』という邦題も映画のテーマに即していて上手いと思った。


以下はネタバレ


ラストシーン近くでクリント・イーストウッドと対立していた球団の幹部がクビになり、そのとき彼が「クビはやめてください!お願いします!子供を私立に入れたんです!」って嘆願するシーンがある。さすがに子供絡みとなると可哀相に感じるけど、でもここは映画の意味がわかる重要なシーンでもある。

アメリカでは私立と公立の差は日本以上に違う。極端なことを言うけど生徒の人種が違う。もちろん公立のほうが様々な人種がいて私立には白人が多い。そのため白人の家庭の親は一生懸命お金を稼いで子供を私立に入れようとする。

公立高校の実話を映画化した『フリーダム・ライターズ』が一番わかりやすい。もともとは名門校だったのが様々な人種を受け入れるようにしたところ(というか1992年まで通える高校が人種などで分けられていたのだ!)、黒人やメキシカンやカンボジア人の生徒(一部はギャングの手先)がやってきて校内は荒れ放題。そんな状況を受けて優秀な生徒たちの大半が逃げ出して転校してしまった。ヒロインが担当するクラスで白人の生徒は一人しかいない。でもヒロインは「様々な人種を受け入れるなんてアメリカの理念に即した高校です」と赴任を決意したというのが物語の出発点だ。ちなみに映画のオープニングはロサンジェルスの人種衝突暴動の実写映像だ。

フリーダム・ライターズ

フリーダム・ライターズの出発点。

ハワイを舞台にしたジョージ・クルーニーの『ファミリー・ツリー』では、ジョージ・クルーニーの長女は私立に通っているためにハワイの原住民系の住民と交流が無くなった。ハワイの原住民系の住民は公立に通っているのだ。そのことに対してジョージー・クルーニーが「ハワイ在住のアメリカ人としてそれは正しいのか?」と疑問を感じることがクライマックスの決断に繋がっていく。

[amazonjs asin=”B0071FQK9W” locale=”JP” title=”ファミリー・ツリー ブルーレイ&DVD&デジタルコピー〔初回生産限定〕 Blu-ray”]

またアメリカとイスラムの関係を描いた某映画ではクライマックスで主人公(アメリカ人)の子供が生まれる。そして主人公が「僕はこの子を公立に入れる!」と宣言するのがラストシーンだ。つまりアメリカとイスラムの断絶に直面したアメリカ人の主人公は、この問題を解決するためには多種多様な人種・宗教・思想を受け入れる人間を育てることだと訴える。そのために私立ではなくてあえて公立に入れると宣言するのが感動のラストシーンなわけ。(ネタバレしても構わない人向けに、その映画のタイトルはこれです

『人生の特等席』で球団幹部がスカウトする選手は白人の悪いイメージを集めたような男だ。で、トドメを刺すように彼の子供が私立に入っていることがわかる。それに対してクリント・イーストウッドはマイノリティの友人を持ち、彼がスカウトする選手もマイノリティのメキシカンだ。『人生の特等席』はアジア人にアメリカを託した『グラン・トリノ』と同じく、クリント・イーストウッドが次なるアメリカ人を発掘するという側面もある映画なのだ。実際に発掘するのはクリント・イーストウッドじゃなくて、彼の娘だというところがクリント・イーストウッドの引退寸前っぽさが出ているけど。

ハリウッド映画の中のユダヤ人

日曜日, 11月 25th, 2012

ユダヤ人

『Bootleg Alone』のテーマは「いじめ」だった。俺はテーマとは違うことを書いたんだけど、自分のテーマを決める前の段階では「ハリウッド映画のいじめといったらユダヤ人だよなー」と思ってユダヤ人ネタの画像を少しだけ集めていた。せっかくなのでそんな画像を紹介します。

スプラッシュ
ユダヤ人

80年代ハリウッドだと、ユダヤ人は単純に嫌な奴として扱われている映画がある。トム・ハンクスが人魚と恋する『スプラッシュ』では、人魚を捕まえようとする科学者が典型的なユダヤ人だ。

スプラッシュ 特別版 [DVD]

ビバリーヒルズ・コップ2
ユダヤ人

『ビバリーヒルズ・コップ2』の1シーン。これは黒人のエディ・マーフィーがユダヤ人会計士をトークでやり込めるというギャグ。日本人から観れば面白くもなんともないシーン。黒人とユダヤ人というコンビは『インディペンデンス・デイ』では大活躍する。

ビバリーヒルズ・コップ2 [Blu-ray]

フリーダム・ライターズ
ユダヤ人

『フリーダム・ライターズ』より。学校内いじめで黒人の唇の厚さをからかうネタに激怒したヒラリー・スワンク演じる教師が、ナチスのユダヤ人虐殺を引き合いに出すシーン。

フリーダム・ライターズ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

シンデレラマン
ユダヤ人

『シンデレラマン』より。真ん中が主人公ボクサーを演じるラッセル・クロウ。右側の大男が対戦相手なんだけど彼がユダヤ人なので、ラッセル・クロウのセコンドが「(ボクシングのルールを)移民のユダ公に言え」とバカにする。これは実話の映画化で、ユダヤ人ボクサーのマックス・ベアも実在の人物。マックス・ベアが相当な悪役として描かれているので、描写がおかしいと指摘されている。ただしラッセル・クロウもアイルランド移民だとバカにされるシーンがある。

シンデレラマン [Blu-ray]

ボラット 栄光ナル国家カザフスタン
ユダヤ人

『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』より。現代のユダヤ人ネタと言ったら、この人しかいない!サシャ・バロン・コーエンのギャグは「ユダヤ人を死刑にしろ!」など超過激ギャグだらけ。でも実はサシャ・バロン・コーエンはユダヤ人で、過激なギャグでアメリカ人のユダヤ人差別の意識を晒しものにして、それをまた笑いの対象にしている。あ、『ハングオーバー』も出演者がユダヤ人っでギャグがユダヤ人差別ネタだ。

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 (完全ノーカット版) [Blu-ray]

ちなみに『Bootleg Alone』では真魚八重子さんが日本映画のスラム描写について書いていて、当然ながらそこには日本の差別がぎっしりと詰まっている。商業誌では絶対にお目にかかることは無い文章だ。『Bootleg Alone』は現在新宿ビデオマーケットで発売中です。

男と女と日本と中国

日曜日, 11月 7th, 2010

今勤めている職場には中国の人たちがいるんだけど、外見だけで見分けをつけようとすると正答率は8割くらいだ。雰囲気でなんとなくわかる一方「こいつ絶対日本人」「こいつ絶対中国人」と思っていた相手が違う場合もある。

でもほぼ確実に「こいつ中国人!」と見分けられる方法がある。それはトイレだ。多くの中国人たちがチャックを使わない。スーツを着た男たちがズボンを下ろして用を足す姿はなかなかシュールだ。でも日本人と一緒に仕事していると感化されるのだろう、チャックを使わない中国人はどんどん減っていくのであった……


という話を友人女性にしたところ「私は来日して日が浅い中国人女性なら化粧と髪型で分かる」と言われた。髪型は確かになんとなくわかる。日本人女性は「美容院でやってもらいました」感じがとても強く出ている。しかし化粧についてはあまりわからない。中国人女性のほうが化粧が薄く、色も地味な気はするが。

職場の女性陣に聞いてみると化粧や髪型以外でも「ファッションでもわかる」とのこと。これこそ男の俺には全くわからないので詳しく聞いてみると「(中国人女性は)服の上下やソックスの組み合わせ方が、日本人から見るとズレている」らしい。

社会人男性は化粧しないし、髪型の個性も少ないし、服はスーツだ。だから女性のほうが民族的特長がより外見に出ているのだろう。

ガタカ [Blu-ray]
オシッコで正体がわかるといえばこの映画。

人種衝突映画としてのボルケーノ

日曜日, 8月 29th, 2010

終戦の日が近づくとテレビでは反戦映画を放映するが、防災の日が近づいている今日テレビでは『ボルケーノ』を放映する。今回はロサンゼルスで地震・噴火が起きる『ボルケーノ』の話。

トミー・リー・ジョーンズ主演の『ボルケーノ』は1997年に製作されたディザスター(災害)映画であんまり評判良くない。でも『ボルケーノ』の背景には人種衝突があってその観点で観ると意外と面白いのだ。『ボルケーノ』が人種衝突を題材にした理由は、1992年にロス暴動が起きて白人・黒人・韓国人たちの人種衝突が浮き彫りになっていたからだ。以下はネタバレ込みで『ボルケーノ』の各シーンを解説する。


ボルケーノ
ボルケーノ

ロス暴動といったら「黒人たちが商品を略奪している映像」というのが一番有名なのかな?もちろん『ボルケーノ』にもそんなシーンがある。

ボルケーノ

もう一つロス暴動で有名なのは、白人の警官が黒人を暴行している証拠映像。『ボルケーノ』でも白人の警官と黒人がケンカしているときにマスコミが来ると、こんなセリフになる。

ボルケーノ

このシーンはハッキリとは説明されないけれど、貧困層の住宅街で金持ち白人が高級車で事故を起こし黒人たちが激怒。黒人の牧師が教会に白人を匿ったという状況だ。で、その白人は「俺をパトカーで未開の地から文明国へ戻してくれ!」と黒人に対する嫌味を言っている。

ボルケーノ

これは洗濯モノが燃えているシーン……だけではない。アメリカでは「洗濯モノを干す=乾燥機が無い=貧困層」ということになる。中流以上が住む住宅街では「洗濯モノを干してはいけない」というルールが設けられる場合もある。だからこのシーンは「貧困層の住宅が燃えている」というのが正しい解釈。この後の「美術館は守られているのに、貧困層の住宅街は守られない」という黒人の怒りの伏線にもなっている。アメリカ国旗もちょっと見える。

ボルケーノ

黒人は白人に協力し、白人は黒人の住宅街への救援に向かう。グッとくるシーンのはずだが、120%わかりきっている展開なので思ったより熱くなれない。

ボルケーノ

この韓国系の女性は優秀な医者で、金持ちイケメン白人の恋人から貰ったロレックスを身に付けているという設定。後半だと彼女は全身全霊で人々の治療に当たる。アジア人女性が完璧なエリートキャラを演じているというのは90年代だとけっこう珍しい。そういえばバージニア工科大学銃乱射事件のチョ・スンヒの姉も韓国系エリートだったな…。

ボルケーノ

地下鉄の運転手は二人とも非白人。このあと運転手は災害に巻き込まれるが、キリスト教信者の白人が犠牲となって運転手は助かる。宗教的・人種的に重要なシーンだが、それよりも犠牲となる白人がデロデロと足から溶けていく描写のほうが印象に残る。

ボルケーノ

ドン・チードルは、この手の映画に必須の「白人をサポートする黒人」を演じる。右にいるタマゴハゲのおっさんはいろんな映画で「タマゴハゲのおっさん」を演じているリチャード・シフという役者。この頭に相応しい役ばっかりだが、実はショーン・コネリー系のカッコいいオヤジである。映画の中で変なキャラを演じている男って、プライベート写真だとすごいイケメンだったりするので油断ならない。
リチャード・シフ
↑リチャード・シフ

ボルケーノ

人種問題とは関係ないシーン。この少女はトミー・リー・ジョーンズの娘役。少女の子守がトミー・リー・ジョーンズに「あなたの娘は首が360度回転する」と報告している。『エクソシスト』は首が回転するホラー映画だが少女の反抗期も描いている。という知識があれば、このシーンで娘が反抗期を迎えていることがわかる。知識がなくてもわかるので安心して欲しい。いい映画とはそういうものだ。

でも『ボルケーノ』が批判される原因は、この娘がピンチになる⇒トミー・リー・ジョーンズが助けるというパターンがくだらなすぎる点である。少女を演じたギャビー・ホフマンは最近消えてしまったが、『ボルケーノ』のヒロインのアン・ヘッシュも消えたな。

ボルケーノ

で、これが映画のオチ。火山灰のおかげでみんなの人種がわからなくなってしまった!人種を超えた救助活動はなんて素晴らしいのだろう!というワケ。このあとトミー・リー・ジョーンズが「この星の住人たちはお互いの個性を認めることができる」と報告して、ジョーンズ星人がBOSSを飲んでいるというシーンは無い。

2001年におきた同時多発テロによるワールドトレードセンタービル崩壊では、色んな人たちが灰にまみれて救助活動をしたけど、あの事件は中東系に対する憎悪と差別を増幅させるきっかけとなってしまった。非常時になると、人種を超えて人々が協力するのか、人種差別が浮き彫りになるのかはわからない。というか両方なんだろう。『ボルケーノ』は一応その両方を描いたが、人種を超えるシーンの描き方が都合良すぎた。

そして2004年に『ボルケーノ』と同じくロサンゼルスの人種衝突を描いた傑作映画『クラッシュ』が製作された。『クラッシュ』は現代のアメリカが人種衝突の問題に答えを出せない状況になっていることを描いていた。ちなみに主人公は先ほどのドン・チードルである。


追伸:映画評論同人誌「Bootleg」で白人映画の中の黒人について書いたけれど、取り上げられなかった作品は大量にある。『ボルケーノ』はその一本で、俺はなんだかんだ言って『ボルケーノ』が割と好きである、同時期に製作されて競作となった『ダンテズ・ピーク』よりはずっと面白いしね。


参考

食べて、飲んで、吐き出して

日曜日, 8月 22nd, 2010

週刊新潮の高山正之は、中国人を批判するコラムで「他人にたからないのが日本人」という結論を書いていた。俺が仕事で関わっているプロジェクトには中国人もたくさん参加しており、彼らは中国国内のエリート層だ。で、その中国人の中に、俺の後輩(日本人)に昼ごはんをおごってくれる人がいる。高山正之的には、おごっているのが日本人で、おごられているのが中国人なのだろうか。

中国人が昼ごはんをおごりたがるのは、何となくわかる。中国人や韓国人には「同じ皿にある食事を一緒にハシでつつけば仲間」という感覚がある。だから仕事仲間である日本人に昼ごはんをおごることで親密になろうとしている。日本人だと食事よりも飲み会だ。日本人は酒の席を共にすることで取引先と親密になろうとする。周囲に気を使いがちな日本人が、酔っぱらうことで気を使わなくてもいい関係を作ることで、親密になれるのかもしれない。まあ実際は飲み会でもやたら気を使うんだけど。

先日サマーソニック後に友人たちと3人で居酒屋に入って、豆腐やらゴーヤーチャンプルやらを頼んだ。当然3人でそれぞれの料理を小皿に取り分けて食べた。そこに相席する形で白人3人組がやってきて、俺らと同じく豆腐やらゴーヤーチャンプルやらを頼んだ。白人たちは一人一品を延々と食べ続けた。豆腐を頼んだ人はずっと豆腐、ゴーヤーチャンプルを頼んだ人はずっとゴーヤーチャンプルを皿が空になるまで一人で食べた。「分ければいいのに…」そう思った。