- 『明日、ママがいない』騒動について雑感
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『明日、ママがいない』への抗議に対する日本テレビの態度は、表現の自由を守るという意味で良かった。内部的にはどうか知らんが広報的には日本テレビが責任を被っていて、製作現場を守っているのも好感持てる。養護施設側からの質問は無視しすぎだけど。
俺は攻撃的なフィクションが大好きだけど、フィクションに抗議する児童養護施設協議会の怒りも当然だと思う。関係者たちの士気やプライドを守るためには強めの行動を起こす必要があるだろう。でも放送中止要求はやりすぎ。
このドラマで問題となっている描写を「ファンタジーだから」と擁護している人が多いけど、あれがファンタジーという感覚をこのドラマの想定視聴者層全員に適用するのは無理だよ。ファンタジーだと割り切るには冷めた視点が必要で、それを持っていない視聴者は多い。これは数年前に起きたケータイ小説をリアルだと感じる世代と、ギャグだと感じる世代の断絶に似ているモノがある。
- 俺の感想
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で、俺のドラマの感想なんだけど、『明日、ママがいない』はどうしようもないクズドラマだ。いや、このドラマのメチャクチャさを面白がっている人たちの感覚は正しい。でも俺が真っ先に呆れたのは子供を虐待から保護する施設である児童養護施設を虐待の出発点として描いていることだ。
通常、施設と虐待事件のモデルになるのは水戸事件だ。それならわかる。ところがこのドラマは「こうのとりのゆりかご」の慈恵病院と結びつけてしまった。ハッキリ言ってこのドラマの製作側と日本テレビの見識を疑う。
日本テレビは「製作経緯を説明するつもりはない」と言うが、いつかどこかで誰かが製作経緯を語るべきだ。「愛やたくましさを描いています」という建前は広報に言わせておけ。
「連ドラって視聴者を挑発するのが鉄則だからやった、ターゲットは誰でも良かった」とか
「芦田愛菜で『家なき子』をやれって依頼されたので…」とか
そういう本音が知りたい。 - 今の時代と明日、ママがいない
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俺が『明日、ママがいない』にかなり不愉快になった理由は簡単だ。認識がズレているからだ。俺の認識だと、こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)は子供を守る最前線だけど、このドラマの製作側は明らかにそういう認識を持っていない。
『明日、ママがいない』は、児童の虐待とそこからの保護を考えなくてはいけない現代の作品だとは思えない。戦後を舞台にしているのなら理解できるけど。
だからこのドラマの最大の欠点は作り手たちの認識が時代とズレているのだ!と指摘したいけれど、実際は視聴率が良好だし、褒めている人も多い。時代とズレていないのかもしれない。「子供が虐げられているところを見て感情移入したい!」という視聴者の欲望に日本テレビが的確に応えているのかも。
日本テレビが「最終回まで見てほしい」と主張しているのは、視聴率を稼ぎたいというよりも「最終回以外は毎回子どもたちが辛い目に遭って視聴者を泣かせるのがコンセプト」っていう事情だと思う。
まあ連ドラなのでこれから脚本にガンガン修正が入るはず。でも認識のズレがどうのこうの以前に、安易に泣かせを狙ってくるこの手の作品が大嫌いなので『明日、ママがいない』はもう観ない。
- ペットショップの犬たち
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ところで『明日、ママがいない』で俺が一番酷いと思ったのは、養護施設の院長が子供たちに向かって「お前たちはペットショップの犬と同じだ!泣け!上手く泣けたヤツからメシを食わせてやる!飼い主はペットのかわいさで選ぶんだ!」と言うシーンだ。
俺の頭の中では、この酷いセリフの情景と児童養護施設の情景が結びつかない。子供をペット扱いして上手く泣けたらご褒美という、この酷いセリフの情景と真っ先に結びつくのは現在の子役業界とアイドル業界、そして「21世紀で一番泣ける」と宣伝する『明日、ママがいない』そのものだろ。
多くの子役たちがメジャーになれずレッスン料を取られ続け、アイドルたちはミニスカートや水着で過酷な労働をしている。ペットショップの頂点的な存在であるテレビ局が、子供を守る最前線である施設をネガティブに、そして不適切に描く。悪い意味で今の時代を写した作品だ。
- オマケ1:タイガーマスク
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2013年の児童映画と言えば『おしん』と『タイガーマスク』(伊達直人は養護施設への寄付の代名詞)だ。
2013年版の『タイガーマスク』の児童養護施設というか虎の穴は、まさにファンタジー施設だ。なんせ集められた子供たちが殺人術を学び、ボンテージ姿の平野綾がメシを用意する。
駄作名高い『タイガーマスク』だけど、ちびっこハウスを守るために土下座しまくる温水洋一の姿は『明日、ママがいない』よりも泣ける。
- オマケ2:おしん
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今から2013年版の『おしん』のラストシーンのネタバレを隠さずに書きます。
『明日、ママがいない』はNHK版『おしん』や『家なき子』と同じ系譜の作品だけど、2013年版の『おしん』はズバリ芦田愛菜路線を狙った作品だ。なんせおしん役の子役のためだけに芸能事務所が作られている。
この映画のラストシーンはかなり酷くて、幼いおしんが元気よく奉公先に行くのだ。しかもCGによる黄金色の特殊効果付きだ。
このラストシーンは「おしんが成長した」と解釈すべきなんだけど、それは難しい。身売りと児童労働がそのままハッピーエンドとして描かれていてどう考えても適切じゃない。NHK版『おしん』のように「過去にそういう辛い時代もあったけど乗り越えてきた」と回想形式にすべきだった。家族に尽くすために子供が出稼ぎ労働者になることが良いというのは、古代の儒教社会っぽさを感じる。
- オマケ3:四コマでわかる『明日、ママがいない』
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芦田愛菜ちゃん演じるマコは、両親をオニババに殺されてしまいました。そしてマコのあだ名は「危険なジプシー」になってしまいました。後ろに写っているのがオニババです。
そんなマコちゃんはある日、素敵なおじ様と出会いました。
おじ様は紳士的な優しさと野生の厳しさを兼ね備えた上に「子どもの未来どころか、人類の未来を託してもいいんじゃね?」レベルで頼りがいのあるおじ様でした。ややネタバレなので小さい画像にしておきます。
こうしてマコちゃんはおじ様の娘になりました。そしておじ様から厳しい訓練を受けた結果、手からプラズマキャノンが出せるようになりました。
間違えた。これは映画秘宝が2013年最高の映画に選んだ『パシフィック・リム』のストーリーだ!
ちなみに『パシフィック・リム』の「ジプシー・デンジャー」の「ジプシー」は第二次世界大戦前のエンジンの名前から来ています。