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ラスト・サムライ   ★★★★

    映画のストーリーはウィンチェスター社の宣伝から始まる。インディアン狩りの英雄オールグレイン(トム・クルーズ)の仕事はウィンチェスター社の広告塔になって、インディアン達を殺した銃の素晴らしさを宣伝することだ。しかしオールグレインはインディアン達を虐殺した罪の意識に悩まされアル中になっていた。自暴自棄になり仕事もクビになったオールグレインは、「日本の軍隊の近代化に協力して欲しい」という依頼を受けて、富士山が妙に大きい日本へ向かう。
    日本に着いたオールグレインは軍隊の近代化指導にあたり、そしてすぐに最初の戦争が始まった。だが敵は剣術、弓術、馬術、柔術に優れた最強の戦士達”侍”だった!銃を持った軍隊をあっという間に蹴散らした侍達、オールグレインは侍達に捕らえられてしまう。だが侍達の大将である勝元(渡辺謙)は何故かオールグレインを殺さずに客人として迎えいれた。侍達のコミュニティの中でオールグレインが見たものは・・・。

    インディアン虐殺の加害者となり魂が穢れたオール・グレイン。彼は異国の地で、侍(=インディアン=「ダンス・ウィズ・・・」)達と生活を共にする。だが侍達は近代化の前に滅びる直前だった。オールグレインは[侍と共に滅びる決意をして、自分が殺した侍の意思と鎧を継いで(ついでに嫁さんとガキも)滅ぶための合戦へ挑む。そしてオールグレインは魂の名誉を取り戻す]・・・。

    穢れた魂が再び清められる映画ですが、「ラスト・サムライ」は贖罪の物語ではありません。実際物語を暗くさせないためか、オールグレインの父殺し、兄弟殺しの側面はほとんど描かれない。その代わりオールグレインの意識や感情の変化(つまりドラマ)を時間をかけわかりやすく描きます。
    優れたドラマは主人公の意識の変化を描くのが上手いものですが、「ラスト・サムライ」はオールグレインの視点(=観客)を通して侍達の生き様も同時に描きます。この2種類のドラマが上手く展開するので非常に見応えのある映画になっています。
    日本人である我々には日本の描写について色々意見があるでしょうが、「ラスト・サムライ」は時代劇や歴史物ではありません。主人公が異質なコミュニティの中で生きる様を描いたファンタジー映画です。異質なコミュニティとは日本人でもなく、村社会でもなく、侍です。侍の描写で重要なのは正確な史実ではなくて「信念に生きる男達」という設定なのです。そもそも侍や剣術集団といった存在は日本人である僕たちにもファンタジー的な存在です。それに今の日本人にとって「時代劇」とは、リアリズムを徹底した黒澤明の映画よりも、徘徊老人が身分証明書を差し出すとみんな土下座する最近1000回を超えたTVドラマのほうが馴染みが強い。まあ侍達がのんびり農村で暮らしているのは、「七人の侍」の[侍達も勝てた]バージョンだと思えばいいですよ。日本人の文化を日本人が描くというのにも限界があり、外国人達が外国人の視点で日本人の文化を捉えているのが面白いです。
    僕が偉く感心したのは序盤で出てくる切腹のシーン。外国映画とは思えない切腹の使い方だったので、僕はこの切腹が「侍が見事に死ねば、それは礼節を以って迎えられる」というクライマックスの伏線になっている事に全く気がつきませんでした。逆に切腹や土下座という概念に馴染みのない海外の観客ならこのシーンが伏線となっている事に気づいたかもしれません。
    ただ日本人や日本文化を美化しすぎ、今も昔も日本人は風変わりな民族だって。侍なんて単なる特権階級だったんだし(逆にそういった点にまで触れた「七人の侍」は恐るべき映画だ)。それに侍ってのは時代の波に呑まれて消えたんだよ。ネイティブ・アメリカンみたいに虐殺されたわけじゃないよ。

    僕が侍の描写で「?」と思ったのは、侍の心を持つと未来が見えるという演出。オープニングで勝元が見る白い虎(=白人の武者=トム・クルーズ)や、トム・クルーズが侍として目覚めると突然勝ちの手が見えたりする演出はちょっと風変わりでした。
    ?とまではいかないけどラブシーンもちょっと・・・。引き戸の奥で着替え中の和服の日本人女性がオールグレインに見られているのはまだいい(西洋人は引き戸にエロティシズムを感じる)。劇中のラブシーンが男の衣装の世話を尽くす日本人女性という西洋人男性なら誰でも想像してそうなラブシーンなのも別にいい。だけどオール・グレインが小雪に別れを告げるシーンで、わざわざ小雪が身を清めている最中に会いに行くのは単なる覗きだろ!時間が無いからってそりゃどうかと思うぜ!あんた侍魂よりも待魂の持ち主じゃないのか!(海外版の予告編の画像参照)
● オールグレイン
「日本人はRの発音が下手、日本人の発音は母音がハッキリしている」というネタのせいか、日本人達には「アルグレイン」と呼ばれている。どことなくアラゴルンに似ているのがミソですな。

● 勝元
西郷隆盛がモデルなのに方言を喋らずに英語を喋る。きっとNOVAウサギより喋れる。

● 小雪
古典的な日本人女性の描き方のように思えますが、「東洋人女性は短身」という観念がこびりついている西洋人にとっては「白人男性よりも背が高い東洋人女性」というのは斬新ではないのでしょうか?あ、男がトムだから全然斬新じゃないや。

● 天皇
「(天皇の)演技が変」「ラストの天皇とのやり取りは蛇足」と色々言われていますが、それは天皇批判じゃないのか!別にいいけど。

● サイレント・サムライ
福本清三のキャラにアメリカ人らしい味付けをしていてお見事。サイレント・サムライのあだ名がボブなので、サイレント・ボブを連想したのは僕だけでしょうか。

● 原田眞人
毎回賛否両論の映画を作る映画監督、でもこんな仕事もやるんですね。クライマックスは思いっきり都合の良い悪役になる。

● デューク真田
革新的な勝元とは違い、古風な観点で描かれる侍。非常にオイシイ役でした。

● エドワード・ズウィック
黒澤明じゃなくて小津安二郎ファンだという軟弱さが原因なのか、合戦シーンで特大バトルアクションは展開せず。脚本がブレイブハートを想定しても演出がこれじゃあ・・・。いやドラマは上手いんだから正しい人選だけどね。

● ニンジャ
奇妙な果実魂全開のシーン。世界中の観客が「サムライは理解できたけど、ニンジャは?」とか思っていないか心配です。パロディ映画で「ラスト・ニンジャ」とか出てきそうですね。


    ・・・最初の侍登場シーンを見る限り、侍たちは中つ国でも戦えますね。同じニュージーランドロケだし。
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