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マイ・ボディーガード   ★★★

    これも日本独自の宣伝で純愛系になっています。元軍人で心を失くしていた男が、9歳の少女に人間らしさを教えてもらう。しかし少女を奪われた時、男は復讐鬼と化す。という物語が何故純愛になるのでしょうか?男の行動原理に愛なんて無い、というか9歳の少女に愛を感じるのはおかしいだろう。何故ロリコンが作った「レオン」と一緒にする?
    映画は序盤までは、何ちゃってボディ・ガードのデンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングの物語になっている。しかし悲劇が起きる。
    デンゼルはダコタ・ファニングの母親に誓う
「誘拐に関わったヤツらはぶっ殺してやる」

    母親は答える
「キル・エム・オール(皆殺しにしろ)」
    ギターの音が鳴り、デンゼルの復讐かつ制裁開始(ここらへんはパニッシャー)。デンゼルは「ミッキー」のメキシコバージョンを聴きながら警察官を拷問!さらにデンゼルは無理矢理若作りしてレイヴクラブに侵入。「こーいう音楽聴いてられねえよ!」ということで[クラブを爆破]。そして今度はロケットランチャーとアナル爆弾で(以下略)。何故そこまでするのか?そうデンゼルは死の芸術家だったのだ!
   ってまるでセガール映画じゃないか!でもこれは派手なアクション映画ではない、あくまでも復讐する男のドラマ。デンゼルは聖書を読み神を信じています、でもヤツは罪を赦すような真似はしない。ヤツにとって人を殺すことは神に裁かせる前に神の御許へ送るだけの行為なのです。


    脚色がブライアン・ヘルゲランドなので、単純なトリックを効果的に使っている。監督はトニー・スコットなので、主人公の心情表現は演技に頼りきり。演出上は特に何もしておらず、主人公が辛い気分=映像がフラッシュバックするという手法で表現。途中からダコタ・ファニングは退場するので、観客がダコタの存在を忘れないよう、ダコタ・ファニングがサブリミナルされるという頭がおかしくなりそうなテクニックまで使う。
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