深呼吸の必要 ★★★
今年の五月、一生セカチューは観ないぞと決めたこの僕が「深呼吸の必要」を観に行きました。本来なら絶対無視を決め込む系統の作品ですが、沖縄旅行の前だったので予習という事で鑑賞しました。まあ「田舎の畑に行った美男美女達が鎌を振りかざす映画」だと思えばヒューマン・キャッチャー+テキサス・チェーンソーみたいで楽しいですよ。
沖縄のキビ狩り隊に農作業なんて初めての5人の男女がやってくる。最初はどことなくぎこちなかった彼らだが、キビを狩っていくうちに少しずつ気持ちがほぐれていく・・・
癒し、自然との触れ合い、自分探しとかいう言葉が好きな人達向けのウザそうな映画ですが、そんなことはない。映画「深呼吸の必要」は深呼吸の必要を訴えるような押し付けがましさは全く無い。映画の登場人物達が日々の生活から離れて深呼吸している様子を見せるだけの映画です。だから「深呼吸なんざ必要無え!必要なのは過呼吸なまでの映画とロックだ!」と思っている僕にでもゆったりと観れる内容になっています。
「深呼吸の必要」が凄いのは、映画として必要なシーンをバッサバッサとカットしているところ。例えば映画が始まってすぐにメンバーがキビ狩り隊を抜け出して結局戻ってくるシーンがあります。でもこのシーンはメンバーが「抜け出す」シーンと「戻る」シーンだけを記号的に描いているだけで、どういう経緯で抜け出すのか?そして何故戻る決意をしたのか?といった部分は描かれない。物語として当たり前の部分はバッサリ削除しておいて、「少し心がほぐれた」という結果しか描かない。というか[映画が終わっても決着がきちんとつくキャラがほとんどいない]。
さらに「深呼吸の必要」は劇中回想シーンを一切入れない(オープニングにそれらしきものはあるが、回想シーンとしては機能していない)。人間ドラマを描くときは回想シーンをジャブジャブ入れるのが映画作家達の手法なんですが、そういうことは一切やらない。男女の存在が丁寧に配置されているのに恋愛も展開しない。それどころか過去も持たず、心に傷も持たず、複雑な背景も一切持たない、劇中何も事件が起きない女性が主人公だったりする。
映画としての装飾をトコトン排して、気持ちがほぐれていく心情だけを優しく突き詰めた映画です。
「自然と触れ合うのはイイ!農作業の手伝いは素晴らしい!出会いや感動がある!会社で縛り付けられるような人生はダメだね。」とのたまう数年来のキビ狩りマニアに対して、若いメンバーが「あなた現住所はどこなんですか?住民税払っているんですか?」と問い質すシーンがあって気に入った。自然の素晴らしさを描く映画ってよく文明批判をやるけど、「深呼吸の必要」は逆に自然の素晴らしさを訴えている人間を問い詰める。このシーンでキビ狩りマニア演じる大森南朋(映画の前半はこいつの演技の一人勝ち状態)と、若いメンバーを演じる成宮寛貴は覚えておこう。
ところで今会社の友人達の間でオーストラリア旅行の話があるらしい。その時の会話。
僕「オーストラリアかあ!行ってみたいな。」
友人「行きたいよねー、世界の中心。」
シマッタ!オーストラリアってあの場所か!アレを観なきゃいけないのか!