NYの街並みをバイクが疾走する!車と車の間をすり抜け、衝突をかわしながらもバイクは突き進む。壮大な音楽と大胆なカメラワークが観客の心を高鳴らせるが、バイクに乗った少年はついに捕まってしまう。だがそのときスパイダーマンが登場!絶体絶命の少年の危機を助けるのは彼しかいない!NYの街を自由自在に飛ぶスパイダーマン!だが事態はあまりにも非情過ぎた・・・スパイダーマンは間に合わなかったのだ。少年は助からずに首を切られてしまう。
・・・いや、嘘じゃないっすよ。
「スパイダーマン2」、まさかこんなに面白いとは!わざわざ「CASSHERN」や「キューティー・ハニー」とか
つまらない映画を観てテンションを溜め込んでいた甲斐がありました。
公開前に設定を知った時は「1が
精通がメタファーの映画だったのに対して、2は
インポテンツがメタファーなのか。
童貞喪失のプロセスが抜けている当たりが悲しいなぁ。」とか思っていましたが、そうじゃなくて(当たり前だ)「1がボンクラがスーパーヒーローになる映画だったのに対して、2は
スーパーヒーローがボンクラに戻る映画」でした。
ちなみに1でピーター・パーカーが
「僕と一緒にチーズバーガー食べない?」と
女の子をデートに誘うシーンが泣けましたが、2では
「僕と一緒に焼きそば食べない?」でした。進歩していないぞ!
ヒーロー映画の主人公達は常に日常の生活を持っています。バットマンは大富豪として、スーパーマンは新聞記者として、スパイダーマンは大学生として。彼等は日常生活で自分の正体を隠していて、そんな彼等がヒーローに変身して大活躍するシーンに映画の観客達は拍手を送ります。メイおばさんも同じことを言っている。
「ヒーローが活躍したらみんな拍手を送るのよ。みんなヒーローを待っているのよ。」
でも「スパイダーマン2」はそこからさらに突き進めた映画なのです。
観客が拍手を送る対象はスパイダーマンではなくてピーター・パーカーなのです。
以下:今回のストーリー
ピーター・パーカーはスパイダーマンとしての毎日に疲れていた。いつも人を助けているので
バイトも出来ない、女の子とも仲良くなれない、単位も落としそうだ、何もかも遅刻ばっかりだ。スパイダーマン・スーツを洗うのも一苦労、ウッカリ
白い下着と白い靴下も一緒に出してしまったので大変なことになった。っつーか
着心地が悪いんだよ、あの服は!
ピーター・パーカーは時々糸が出なくなっていた。ピーター・パーカーは金欠に苦しんでいた。ピーター・パーカーは大好きなMJが別の男と付き合っているのを見て
泣き出した。
ピーター・パーカーはおじさんの言葉を思い出す。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う。」
「でも僕はただのピーター・パーカーなんだ。もうスパイダーマンにはなりたくない。」
ピーター・パーカーは
スパイダーマン・スーツを捨てる。こうしてNYはスパイダーマンを失った。街の人々は言う
「スパイダーマンはどこに行った?」。
ピーター・パーカーには普通の人生が待っていた。元々頭がいいので大学生活は好調になった。元々運動ができないので転んだりするけど。回りの女の子達がそれなりに自分に気をかけてくれることも知った。でも
メガネ小僧なので街のチンピラには絶対関わらないようにした。
ある日メイおばさんはピーター・パーカーにみんなが待ち望んでいるヒーロー像を教える。小さい子供もヒーローを待っている。それを知ったピーター・パーカーは再び空を飛ぶ決意をする!でも
まだピーター・パーカーは飛べなかった。
だけどピーター・パーカーの目の前で大好きなMJが怪人にさらわれた時、ピーター・パーカーは再び空を飛べるようになった。
この力を使ってMJを助けるんだ!
スパイダーマンは怪人と対決する。時計塔での激戦から高架鉄道へと場所を移す。スパイダーマンは電車に張り付き、道路を滑り、投げ出される人々をウェブで救い、マスクを焼かれても戦う。だが怪人は電車のブレーキを壊す。爆走する電車はスパイダーマンがウェブを張っても止められない。しかしスパイダーマンはこれでもかとウェブを張り、電車に
磔にされながらも遂に止める。そのときスパイダーマンは傷ついて倒れた。電車の乗客達は力尽きたスパイダーマンの体を皆で抱え上げる、まるで聖人に触れるかのように。そして地面にスパイダーマンを下ろした時に彼等はスパイダーマンの素顔に気がつく。
「まだ少年じゃないか!」。
彼等が拍手を送っていたスーパーヒーローは単なる少年だったのだ。同じ市民だったのだ。
そして
映画の観客達も同じ事に気がつく。僕達は今までピーター・パーカーのボンクラ振りを見るたびに
「あっはっは!遅刻してるよ!バイト苦労してるよ!」「あっはっは!こいつスーパーヒーローのくせしてダメ人間だなぁ」とゲラゲラ笑いながら、その
ボンクラ振りに共感していた。でもこのシーンで僕達と同じだと思っていたボンクラは必死に戦って傷ついていることに気がつく。
このシーンだけ観客はピーター・パーカーに感情移入しない、スパイダーマンの真の姿を知った
電車の乗客達に感情移入するのです。だから怪人が再びやってきたときに
今度は乗客達が立ち上がる姿に観客は感動する。自分達が立ち上がっているのと同じだから。
もちろん立ち上がった乗客達はちっとも役に立たないし、このシーンはクライマックスでもない。この後にスパイダーマンと友人ハリーの物語、そしてスパイダーマンがヒロインを救うためにドック・オクの本拠地に向かうスーパーヒーローとしてのクライマックスがやってくる。でも「スパイダーマン2」の真のクライマックスは観客が真のヒーローに気がつく高架鉄道のシーンだと思う。