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もののけ姫   ★★★★★

    神殺しの傑作”文明社会の毒のせいで人類は滅びます”という設定の「風の谷のナウシカ」では、クライマックスで”滅びかけた人類の目の前で神話が再現される”ことにより問題を解決していた。神話というのは物語にとって万能の役割を果たすのです。ところが「もののけ姫」では、そういった神話は登場しない。”人間は森の神を殺しました”という民話が生まれる瞬間を描いた映画なのです。
    海外ではディズニーが大々的に公開する予定だったけど、スタジオジブリ側が残酷シーンのカットに応じず(偉いぞ!)、ディズニーでの公開が不可となったために、ディズニーの子会社のミラマックスが小規模公開する事になった。海外で公開されると大絶賛を受け「90年代のもっとも重要な映画」にも選ばれ、IMDBでは映画史上のベスト100にもランクインした。DVD発売時には「日本語音声無し」だと知った海外ファン達が抗議運動を起こす(偉いぞ!!)という事件も起きた。海外アニメファン達にとってはもっとも重要な作品でもあります。

    しかし日本での公開時ではみんな色々戸惑っていたような雰囲気があった。宮崎アニメの中で唯一飛翔シーンが無いからか?難しいイメージがある映画のように思われているけど、ストーリーは特に難解ではない。人間と物の怪が通じ合うことの象徴としてアシタカとサンを配置し、対立の象徴としてエボシ御前とモロの君を配置していて非常にわかりやすい。
    それでも難しい印象があるのは、宮崎駿がテーマの問題を観客に残してしまったからです。宮崎駿はテーマ主義だけど、そのテーマを描く時には必ず観客にわかりやすく、というか考える必要が無い位自然にテーマを伝えてくれる。なのに「もののけ姫」は観客にテーマを突きつけてくる。この映画では観客はアシタカであり、アシタカに突きつけられる問題全てが観客にも突き刺さってしまうのです。

    主人公アシタカはオープニングでタタリ神から、タタリっていうかスティグマ(聖痕)を受け、これが原因でアシタカのスティグマを消す物語が始まる(僕はこーいうタイプの物語を、勝手にスティグマ形式と呼んでいる)。旅の先で人間と物の怪の壮絶な戦争を目撃したアシタカ。最後は[アシタカがサンと共に神に触れることによって、アシタカの”死ぬ”という呪いは消えるんだけど、アシタカの体には痕が残る]。”人間は森の神を殺したんだぞ”という意識をアシタカ(観客)に残したのです。ラストで芽吹く命はあくまでも単なる植物であり、もう森に神はいなくなったのです。
    「もののけ姫」に出てくるエボシ御前というキャラが秀逸で、強力な指導者だがそれに留まらず、当時は人間扱いされていなかった売られた女やハンセン病患者達を人間として扱い人間として働かせる。エボシ御前は優しさと強さを持ち合わせた人間。だけどそんなエボシ御前が森の神を殺そうとする。 エコロジーに強く傾注しているスタジオジブリが、あえて「自然を破壊するのは悪です」なんて安易な発想をせずに、エボシ御前を創り出したことには意味があると思う。

オマケ1:宮崎駿は「もののけ姫」で引退表明していたけど、製作者の徳間書店の社長(故人)はそんな事お構いナシに「何が何でももう一本作らせる」と言っていた。あんた偉すぎ!!!

オマケ2:エボシ御前が神殺しをするために、坊主経由で別の神様から「森の神をぶっ殺してもいいよ」といった許可を貰うシーンがあって、そのとき坊主が別の神様のことを「やんごとないお方」と言うネタは、秘宝読者の間で流行りました。でもこーいうシーンをサラリと入れるのが宮崎駿の天才性を示していると思う。
ベストシーン: オープニング
日本の事をまるで理解していない外国人が見ても、一発で映画の世界に没頭できる名シーン。
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