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03/07/28   TOP文のみ更新

フジロック

    フジロックの二日目に行ってきました!詳しくは今度書きます。出来る事なら全て参加したかったけど仕事がキツい人間なので・・・。日曜の夕方からもう仕事が入ってました。 フェスに関わった人全部と、フェスに参加した人全部と、アーティスト達と、フジロック初心者の僕と一緒に行ってくれた友人達に感謝します。10万人を動員する屋外フェスなのに、ゴミが落ちていない会場には感動、タバコすら落ちていません。誰でも出来るはずの「ゴミはゴミ箱に分別して」だけど、こういう状況では簡単にはいかないはず。「やれば出来る」ってすごいことなんだな。電撃ネットワークも「俺達のやってることは誰にでも出来る。だけど誰もやらないんだ。」とカッコいいこと言ってたし。
    (実は一緒に行った友人達の中でチケットが手に入っていたのは僕だけ。結局チケットはそれ以上手に入らず会場では僕一人でした。)

踊る大捜査線 the MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!   ★


※以下の文章は「踊る大捜査線」の魅力を何もわかっていない人間が書いたものです。ファンの方は気にしないでください。
    2003年もまだ半分近く残っていますが、もう「踊る大捜査線2」よりヒドイ映画は出てこないはずです。よって2003年のワーストは「踊る大捜査線2 the MOVIE レインボーブリッジを封鎖せよ!」に決定です。 もちろん「踊る大捜査線 the MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」はテレビ屋どもが芸能人を集めてビデオカメラで撮ったテレビ番組なので映画として評価するのは間違っています。しかし映画館に行って1800円を払って鑑賞した以上「踊る大捜査線2」も残念ながら映画扱いです。
    「踊る大捜査線1」は映画全体(脚本も演出も撮影も演技も)がパクリで、挙句の果てに映画が一番盛り上がるシーンで主演俳優がキメ台詞の代わりにパクリ元を紹介するという映画史上でも類を見ない最悪のギャグをやってのけます。またこの「踊る大捜査線1」の監督が日本アカデミー賞の授賞式でパクリについて(北野武に)謝罪するという信じられないことをやってしまいます。   おいおい映画なんていくらパクってもいいんだよ(ファンは元を考えるのが楽しいし)!多くの映画人が黒澤明をパクってきたけどその黒澤だって海外小説なんかをパクっている。「マトリックス」がパクリだらけなのは映画ファンの常識だけど、「マトリックス」のオリジナリティが優れているのも常識です。リュック・ベッソンだったらどんなにパクっても絶対に自分のクリエイティブな部分を主張する。だってリュック・ベッソンは最低映画を連発するけど彼はれっきとした映画屋だから。だけど「踊る大捜査線」の製作陣には映画を作るつもりはない。単なるテレビドラマの延長としかとらえていない。だから既にある映画のネタに「踊る大捜査線」を当てはめる作業しかやっていない。 「踊る大捜査線2」は1よりは大分減ったとはいえ、まだまだパクリが多い。しかも今回のパクリ元はなんと押井守です。結構ビックリした。
    大体「踊る大捜査線2」は宣伝からおかしかったです。宣伝しながら撮影していたので嘘ばっかりになるのは仕方ないですが、第一弾の予告編では「レインボーブリッジが爆破されているのをバックに主演俳優がカメラ目線」というのがありました。またメインポスターでは武装ヘリが飛び交い、パトカーが吹っ飛び、ミサイルランチャーを持ったテロリスト達がいて、ケルベロスがいて、ジェットスキーの部隊がいて、サーフボードに乗った特殊部隊がサブマシンガンを持っていて、厚底ブーツにミニスカのコンパニオンがいますが全部嘘です。こういったポスターの嘘は「ラヂオの時間」のような映画だからこそ出来ると思うんだけど・・・、まあ映画の特徴が良く出た楽しいポスターだから怒りはしないけど。でも劇中の衣装や小道具と違ったり、いかりや長介がショットガンを構えたり、深津絵里が利き腕に手錠(お前が捕まったのか?でも左利きだったらスマン)しているのはやり過ぎ。それと3人のオッサンは何と「スリーアミーゴス」らしいですが、全然人助けなんてしません、役立たずです。それどころか悪いことばっかりやっています。それじゃあ「スリーアミーゴス」じゃないよ!
    あ、「宣伝しながら撮影」どころではありませんでした。「撮影しながら編集」したそうです。こりゃダメだ。
    さらにこの「踊る大捜査線2」は女性蔑視がひどい。女性指揮官のキャラ設定に関しては説明のしようがないけど、本編を観てもらえばよくわかると思う。しかも大勢の女性警官達が一生懸命接待の準備をしているというアメリカ映画だったら絶対に考えられない描写まであります。パンフレットにも「男女雇用機会均等法施行以来、一般企業のみならず、凶悪犯罪者にも女性が増えているのは困ったものだが・・・」と神経を疑ってしまうような事まで書かれています。
    僕はテレビを見ない主義なので「踊る大捜査線」は全く知らないけど、警察官が署内でマジメにSMプレイしてたりするギャップの面白さがポイントなのかな?と思う。全く笑えなかったけど。あと勿論青島刑事が普段はキュートな笑顔を振りまきながら突然熱い台詞を決めるのが魅力なんだと思うけど、この”熱い台詞”がおかしい。予告編でもガンガン流れている「湾岸署は血液を・・・」劇場の客みんな笑っていました。
    マッドシネマを作ろうかどうか考えていますが、とりあえず気になったところ。
1:この映画ってレインボーブリッジを封鎖するのが目的どころか、お台場全体を封鎖するという信じられないくらい頭の悪いプロットなんですが、なんとそのお台場封鎖の理由が説明ついてないんです。すげえ。

2:[ブービートラップ]を全部踏む主人公には感動しました。

3:
殺人現場には必ず果物がある

この果物は[]だ

しかも[西洋梨]だ

つまり[洋梨]だ

つまり[用ナシ]だ

つまり[犯人はリストラされた人たち]だ!

    思わず爆笑してしまいました。このコナンでもやらないようなトリックを考えた人はレインボーブリッジから身を投げましょう。

03/07/24   TOP文のみ更新

海外版ジャンプ

   映画とは全く関係のない話です。
   アメリカで売り出されている海外版ジャンプをタワレコで購入しました。掲載されているのは「ドラゴンボール」「遊戯王」「NARUTO」「シャーマンキング」「ワンピース」「幽遊白書」。僕が買った号のカラー特集は「ジョジョの奇妙な冒険」で、第一部のストーリーから詳細に解説してありました(日本の映画雑誌がアメコミの設定や社会背景を丁寧に解説してくれるようなもんか)。
    雑誌の作りは日本のマンガと同じ逆読み(*注)で、意外なことに翻訳も日本語をなるべく原音通りに記述していて、海外でのMANGA文化の受け入れ態勢が感じられます。かめはめ波や界王拳や瞬間移動まで、そのまま日本語の原音通りに記述されていました。
    細かいギャグまで英訳していて感心しますが、一箇所だけ解説が入っている描写がありました。 「シャーマン・キング」の主人公は常に幽霊と共に暮らしていて、そんな彼が金縛りに合うというギャグを 「日本では睡眠障害は心霊現象だと信じられている」とご丁寧に訳注つけていました(一応言っておくけど金縛りは心霊現象じゃないぞ)。

オマケ:ちょっとかっこ良かった英語訳
元気玉:スピリット・ボム
気円斬:デストラクト・ディスク
分身の術:アート・オブ・ドッペルゲンガー

*注:日本の本は右から左に読むので、通常日本のマンガを海外で売るときは左右反転に印刷する。そのためキャラ造形や配置が崩れてしまい、「寄生獣」のミギーはレフティになる。

雑感

1:「ターミネーター3について」で、あの服は「T-Xはあのおばさんの服も髪型を真似て液体金属で作り出した」と勘違いしていました。映画秘宝によるとやはり奪ったようです。つーかあの服頑丈すぎ。

2:「マトリックス・リローデッド」で、僕は「メロンビジアンはク○ニ○ン○ス」していたと思ってたのですが、映画秘宝だと「フ○ラ○オ」のようです。どっちなんでしょ?下ネタで申し訳ない。答えを知ってる人は掲示板に書かなくていいです。

3:友人達とフジロックに行くのですが、2日目のチケットが足りません。もし「あー、当日余るかも。会場前渡し(定価)が出来るかも。」という方がいましたら、もし良かったら僕に連絡ください。こちら側の連絡先を教えます、そちら側の連絡先は教えなくても全く構いません。もし当日余らなかったり、気が変わった場合はシカトでOKです。

03/07/22   映画の壺(その他6)更新

楽園(エデン)の彼方に   ★★★

   メロドラマというジャンルがあります。
「私はブルジョワ階級の主婦、家庭にあって夫を支えている良き主婦よ。家事や育児に専念している毎日だけど、絵画展に行くのが趣味なの。それと今度私達夫婦が主役のパーティーが楽しみだわ。でもこの頃少し欲求不満なの・・・。」
「夫が浮気しているのを目撃してしまったわ!ひどいわ!私はあなたを裏切ったことがないのに。それに酒に溺れ私に暴力を振るい始めたわ、私は何も悪くないのに・・・。」
「この悲しい気分をあの庭師が優しく慰めてくれたわ。いけない私、あの人に惹かれ始めているわ。夫がいるのに・・・。でもちょっとバーでダンスをするくらいなら問題ないはずよね、先に裏切ったのは夫だし。」
「ああ、大変私と庭師の関係がご近所の噂になっているわ!夫にも親友にも怒鳴られてしまったわ。だけどこの想いを止める事は出来ない、あの人の元へ行きたい!でも私にもあの人にも子供が!

    という感じの物語です。このブルジョワの奥様と庭師の恋というのは超ありがちなプロットでして、例えば漫画家の浦沢直樹も「MONSTER」「マスター・キートン」で扱っています。で、「楽園の彼方に」の内容ですが、今僕が書いたストーリーをそのまんまやります
   「楽園の彼方に」はあまりにも典型的すぎるメロドラマです。それはストーリーだけではなく、演技、美術、陳腐な音楽の使い方に至る全てがメロドラマの再現をしています。そして演出はメロドラマのクリシェをこれでもかと多用。さらにこの映画は秋の紅葉の美しさがドラマを引き立てるので、「きっと[クライマックスで冬になって色々辛い事件が起きて、ラストシーンが希望を感じさせる春になるのかな?]いや、いくらなんでもそこまでありがちな事はやらないか。」と思ってたら本当にやりやがった
    21世紀にこんな50年代メロドラマが通じるのか?と思ってしまいますが、ちゃんと通じるように工夫をしているんです。「楽園の彼方に」は50年代アメリカが舞台なので、世界大戦の影響が残り、人種差別が激しい(これもクリシェ)時代となっています。そしてヒロインはリベラルな考え方の持ち主という設定で、「学生時代にユダヤ人と仲が良かったから仇名はアカ」というとんでもないエピソードまであります。メロドラマのヒロインとは既成の概念(良き主婦は家庭を守る)に板挟みになるの常です。その構図にリベラルな女性の生き方という要素も追加していて現代劇としても観られるように工夫しています。また夫の浮気は50年代のメロドラマだったらあり得ない特殊な設定になっています。僕はあのバーのシーンは「デニス・クエイドが間違えて入ってしまったとんでもないバー」だと思ってました。真正だったのか。
    ヒロインがリベラルだとメロドラマにも変化が起きます。ヒロインの世界は白人のブルジョワ階級で、庭師が黒人なので愛に絶望的な障害が加わるわけです。しかし白人=知的階級、黒人=純朴な労働者というステレオタイプを避けるためか、人種差別に抵抗し、芸術や神学に博識があり、学位を持っている庭師というわけのわからん設定になっています。当然二人の間には人種差別の厳しい壁が立ちふさがりますが、「楽園の彼方に」は決して人種を超えた壮大な愛などにはならず、あくまでもメロドラマな愛にとことんこだわります。
    ここまでメロドラマの再現を徹底すると、メロドラマを受け入れる要素の無い僕ですら逆説的にすんなりと受け入れることができます。あまり人にオススメできる映画でもありませんが、普通に良かったです。しかしこの映画、世界中で絶賛されているのに日本ではマイナーな扱いですね。秋の紅葉の美しさがメインの映画だけど今夏だしなぁ。
オマケ:この映画で最低の人種差別の行為として”女子学生に石を投げる”というのがありました。東洋のどっかの国民も民族衣装のチマチョゴリを着ている女子学生狙って、服を切りつけたり罵詈雑言を投げかけたりしますよね。同じだな。
クリシェ:ありがちな演出のこと

トゥーム・レイダー2の予告編

    「トゥーム・レイダー2」の予告編が「チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル」の予告編と同じく女性向けに変更されましたね。つい数年前までは、日本人にとって女性向けの映画といったらジュリア・ロバーツやメグ・ライアンといった芸能人の恋愛映画ばっかりでした(あ、ジュリア・ロバーツは女優か)。でも今では「トゥーム・レイダー2」や「チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル」が女性向け映画です。見かけはキュートだけど恋愛もオシャレも仕事(映画では世界救済)に熱心で、男をガンガン蹴飛ばす(映画では文字通り蹴飛ばす)女性像というのが現代の女性達の理想なんですね。イイ時代が来たなぁ。もちろん女性にガンガン蹴飛ばされるのが現在の男性達の理想なので、あのタイプの予告編で何ら問題ありません。

オマケ1:「チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル」はプロディジーの「ファイアー・スターター」だったのに対して、「トゥーム・レイダー2」はプロディジーの「スマック・マイ・ビッチ・アップ」という辺りがアンジェリーナ・ジョリーらしいです。
オマケ2:昔の映画秘宝読んでいたら「トゥーム・レイダー」のアンジェリーナ・ジョリーのインタビュー記事で「(撮影中に)夫(ビリー・ボブ・ソーントン)が死ぬほど恋しくて大変だったの。欲求不満で2人とも電話で絶叫しちゃったわ。だから続編の話は断ったの」というのを発見。別れてくれて良かった!あとサイモン・ウェストがクビになってくれて本当に良かった!
スマック・マイ・ビッチ・アップ:プロディジーの超名曲、楽曲もPVも傑作。だが女性への暴力を煽る歌詞のために大問題にもなった。
サイモン・ウェスト:下手糞な映画監督

MIBⅡのミス

●  駅のロッカーでKは”時の塔”だったデジタル時計を回収する。そしてJが代わりに自分のアナログ時計を”時の塔”にする。しかし次のシーンでは”時の塔”がデジタル時計に戻っている。

このシーン大好き。

03/07/21   映画の壺(その他6)更新

映画におけるリアリズム理論


   注:リアリズム理論はヌーヴェルバーグ、ロシアの社会主義リアリズム理論などと絡めて語るのが常ですが、破壊屋ではそういうことはやりません。
   映画におけるリアリズム理論というのがあります。数多くの映画作家達が表現しようと努力してきたものであり、そして世界中の表現映画評論家達が研究してきたものです。リアリズム理論をわかりやすく説明すると「100の演出のうち99の真実を描けば、1つの嘘も真実になる」ということです。
    世界最高の映画監督の黒澤を例にしましょう。徹底した完璧主義者である黒澤は当然リアリズムの追求にこだわりました。だけど彼の作品を観た人ならおわかりだと思うでしょうが、黒澤作品には誇張した表現も非常に多い。映画史上に残る名作「用心棒」なんかはその代表例です。映画全体に妥協のないリアリズムが溢れているのに、要所要所の演出はデフォルメ化しています。タンクのような酒樽から酒が洪水のように溢れ出てくるし、刀で人を切ったときに「ズバッ」と音がするし(今では当たり前だが、最初にやったのは黒澤明)、他にもデフォルメ化された部分が多くあります。しかし映画全体を支配するリアリズムがそのデフォルメすらも”リアル”にしてしまう。これが天才黒澤の演出の力です。
    今のハリウッド映画は全然違う。「マトリックス」のように観客は全て嘘だと理解していて、作り手に求められているのはどれだけすごい嘘がつけるかという事です。どんな嘘でも表現できるようになった現在の映画にはリアリズムは必要とされていないのか?これから消えていってしまう理論なのか?リアリズム理論は映画の力を証明する理論なのに。
    そんなことを「マイティ・ジョー」ジャングルの中を短パン、ノースリーブで駆けるシャーリーズ・セロンを観ながら考えていました。 あ、この映画は「ヒロイン」が、「ジャングルの中」の、「滝つぼの前」で、「誰もいない」けど、「主人公は覗いている」という状況で、ゴリラと遊ぶってふざけんな。誰がどう考えても水浴びの状況だろ!そこで唐突に水浴びを始めなきゃ!リアリズムなんかどうでもいいんだよ!    クライマックスでも「暴れる巨大ゴリラ」、「燃える遊園地」「走るヒロイン」「銃を持ってヒロインを狙う悪役」「泣き叫ぶ子供」という状況で、主人公が消火器で火を消しているってのもリアリズムを追求しすぎ。確かにあの状況なら火消しを手伝うだろうけどさ。
オマケ: エデンの彼方に   ★★★
今どきこんなメロドラマが出てくるとは。

フジロック参戦


    フジロックの二日目に参戦します、実はフジロックは初体験。参加する人はヨロシクお願いします。観たいアーティストは・・・

● GUMX
韓国のそのまんまハイスタ

● ギターウルフ
氣志團よりもこっちのほうが好き(比べたらファンが怒るか)

● 電撃ネットワーク
ハードコアという点において日本を代表するアーティストだと思う

● ブンブン・サテライツ
傑作1stアルバムによりヨーロッパで話題になった奴ら

● ケムリ
スカコアの最高峰

● アンスラックス
”炭疽菌”というバンド名なのでこの間のテロではかなり迷惑を被った

● ゴッドスマック
アメリカでは結構な人気だが日本では全くな人たち

● バック・ドロップ・ボム
僕は日本最高のミクスチャーは彼らだと思う

● エイジアン・ダブ・ファウンデーション
アジア系イギリス人達によって作られたとんでもないバンド。かわいい顔したボーカルがクビになって、すげえ怖いオッサン達が加入した。

● コールドプレイ
今年の初めかなり話題になっていた

● マッド・カプセル・マーケッツ
世界的なデジタルハードコアバンド

● プライマル・スクリーム
シェイク!ベイベ!シェイク!シェイク!

● ビョーク
遂に妖精に出会える。


全部観れるわけねえだろ!このメンツすごすぎ。

エデンの彼方にのミス

●  街の歩道の縁石が一部無かったりする。これは車椅子の人でも通れるようにするため。

50年代からバリアフリーが進んでいたのか。

03/07/17   映画の壺(その他6)更新

トレジャー・プラネット   ★

    客は来るけど経営破綻寸前のつづれ屋ベンボウ亭。そこの一人息子ジム・ホーキンスは宇宙に飛び立つことばかり考えて・・・それは「21エモン」だ。

    この宇宙のどこかに宝星(トレジャー・プラネット)がある。海賊ロジャーGフリントはその莫大な財宝をトレジャー・プラネットに隠し、こう言ったのだ。「おれの財宝か?探してみろ この世の全てをそこに置いてきた。」・・・それは「ワンピース」だ。

    こうしてジム・ホーキンスは海賊達と一緒にタイガーモスレガシー号に乗り込み、下働きをしながら夢の宝星を追うことに・・・それは「天空の城 ラピュタ」だ。

    いや僕が大好きなスティーブンソンの「宝島」をディズニーが映画化したんですよ、これが酷い出来。このところ素晴らしい映画が続いていたけれど、「トレジャー・プラネット」がオチをつけてくれた気分です。今年はディズニー・アニメの「リロ&ステッチ」が、破壊と家族愛という融合しようのないテーマを見事に融合させ非常に感心させられました。だけど「トレジャー・プラネット」でやっぱり「ディズニーはアニメが下手」だと再認識する羽目に。
    まず作品がどうのこうの以前に宣伝から嘘ついています。
http://www.disney.co.jp/movies/
    ここには「父よ、少年よ、男たちよ  錨を上げろ!舵を取れ!」とありますが、この映画に”父”というものは存在しません。”父”を喪失してグレた主人公だからこそ、”父”の代わりになるシルバー船長の存在が生きてくる物語なのに、何故こんなキャッチコピーをつけるのだろう。あともちろん宇宙が舞台なので錨は存在しない
http://www.disney.co.jp/treasure/index.html
    ここには「謎のロボット、ベンとともに銀河の彼方に飛び立ってゆく。」とあるけど、このベンはスティーブンソンの「宝島」における島の住人ベン・ガンなので、当然航海には関係ない。後半まで登場しません。 あ、このポスターに写っている船も出てきません(もしかしたらオープニングで破壊される船かも)。
    プロットは宝島と一緒です。ある日ベンボウ亭に、フリント船長の財宝の地図の在処を記した地図が持ちこまれる。その地図を手に入れたジム・ホーキンスは地元の富豪に船を用意してもらい出発する。しかし船員の一人に冷酷な海賊シルバーが・・・。
    ただし細かい部分でSFらしく、現代らしく、ディズニーらしく変更しています。物理学者の名前は「ドップラー」だし、キャプテン・アメリカならぬキャプテン・アメリアという女性キャラが出てくるし、片足のシルバーがサイボーグのシルバーになっているし(サイボーグとアンドロイドの違いがわからない人は、この映画を観ればわかります)。このあたりは実にディズニーらしい。
    映画が始まった瞬間はスゴイ感動したんですよ。宇宙を舞台に伝説の海賊の物語が語られる、壮大な宇宙戦争が繰り広げられ海賊は姿を消す・・・。しかし実はそれは[子供の絵本の話]だった。
    これを観た瞬間は「そうだよ!子供の夢って小さなモノから空想が壮大に膨らむんだよ!アニメってこうあるべきだよ!ディズニーわかってるよ!」と感動しましたが、次のシーンでは不良になったジム・ホーキンスがウィンド・サーフィンとスノボ・アクションが始まる。何この媚び方?以降映画はいつものディズニー映画らしく騒々しく軽薄な内容に堕ちていきます。
    この映画で一番最悪だったシーンがあります。オーナー側のジム・ホーキンスは何故か船の下働きをすることになってしまい、厳しい船員にこき使われる辛い現実に直面する、そして父親に捨てられた過去を思い出したジム・ホーキンスに歌が流れてきます。
「大人はわかってくれない~、僕は独りぼっちさ~、今の僕を受け入れてほしい~」
何なのさこれ?このシーンでスクリーンに火をつけてやりたい気分になりましたよ。
この映画にはとにかく不満だらけなので、細かく挙げていきます。
    小道具の使い方がとてつもなく下手。「トレジャー・プラネット」はスティーブンソンの「宝島」なのだから、当然球体(宝の地図)が全てを導く最も重要な存在のはず(ラピュタでいう飛行石の役割)。なのにその機能に説明がない。序盤で球体が発動しても天体図(海図)としての役割しか見えない。この球体には宝の場所を示す機能があるはずなのにそれを説明しない。そして飛行石に滅びの呪文があったように、球体にも[スターゲイトの鍵]という秘密があったのですが、これが全然驚けない。だって脚本に伏線貼ってないだもん([スターゲイト]自体には一応伏線は貼ってある)。さらに球体は主人公にしか扱えないなのですが、どうして主人公だけ特別なのかという理由がない(ラピュタの場合だとシータが王族だったからという説明がつく)。ここは当然ボーンズから託されるときに、主人公だけ扱い方を教わるなどの理由付けが必要でしょ。
    クライマックスも不満あり。ベンはメモリーを無くしたロボットという設定で、自分の役割を失っています。当然ベンはクライマックスで自分の役割を取り戻すはずですが、[これが役立たず]。いやこういうのは逆に共感できるんですがね。問題は別にあります。ベンがメモリーを無くした理由は[「ブービートラップの存在を知っているため」なんです。で、このブービートラップは財宝への入り口に仕掛けられているのです。ここまでは構わない、問題はこれから。何とブービートラップの正体は「財宝を消滅させる」だった!おいおい、入り口に仕掛けるブービートラップは「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のように、侵入者撃退のトラップでしょ!なんで入り口で財宝消滅なのよ!(実際はタイマー式にしているが)]
「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」は[聖杯を持ち出すことは出来ないし]、
「グーニーズ」は[財宝の中に罠があり]、
「天空の城 ラピュタ」は[財宝(巨大飛行石)自身が空に昇ってしまう]。
いずれも財宝に到達してから[失う]事に意味があるのに、財宝に到達する前から[失う]ことが決まってるって現実的にはアリだけど物語的にはおかしいぞ。
    それに[財宝消滅の方法は爆発]というのもおかしい。「グーニーズ」も「天空の城 ラピュタ」も財宝が人間の手に届かない存在になるから観客にも夢が残るんでしょ![爆発]ってどういうことよ。
    デザインもヒドいです。劇中でてくる大量の異星人のデザインは一つとして魅力を感じない。いや全てのデザインに魅力を感じない。あ、宇宙鯨とフリークスのビッチは良かった。主人公のキャラ造形も変で、顔の向きによって頬に線が入ったり消えたりするのが目障り。でも不良になった主人公の髪形がムレット(あってますでしょうか?)なのがウケた。
    痛いことにギャグもはずしまくり。ドップラー博士が宇宙服を着込んでオタオタするシーンなんて、ディズニーがもっとも得意とするギャグのはずなのに全く笑えない。
    そしてご都合主義のディズニーの脚本ですら都合がつけられていない終わり方に至ってはあきれ果てるのみ。
    っていうかね。この映画の目的って財宝ではなくてジム・ホーキンスの成長なんでしょ?だからラストシーンで登場人物達全員がジム・ホーキンスの成長を讃えるんだよね?で、ここで疑問なんだけどジム・ホーキンスってどこが成長したの?   物語における成長っていうのは「マトリックス」でネオが”信じる”事を理解して、逃げずにエージェント・スミスと直接対決することでしょ?   「ドラえもん」でのび太がドラえもんと決別するために、ジャイアンにしがみつくことでしょ?   ジム・ホーキンスはクライマックスで[お得意のエクストリーム・スポーツで船を脱出させているだけじゃん]。それは成長じゃなくてただの活躍だと思います。 しかもラストシーンでは[不良だったジム・ホーキンスがピアスをはずして髪型を普通にして学校へ通う]。それは成長じゃなくて更正でしょ!

ディズニーは夢を与えるべき存在なのに、子供を騙すことしか出来ないのですか?
    手塚治虫や藤子不二夫達はみんなディズニーに憧れて、ディズニーと同じ事(つまりパクリ)を漫画でやり始めた。そして彼らはそこから「アトム」や「ドラえもん」などオリジナリティに溢れる素晴らしい大傑作を生み出してきた。なのにネタ元であるはずのディズニーが作り出したSFがこの程度ではあまりにもおそまつすぎる。
   そんな中松本零士が「トレジャー・プラネット」を誉めてますが、この気持ちはよくわかります。だって松本零士の考えていた世界が「トレジャー・プラネット」で実現しているから。松本零士の作品にも「トレジャー・プラネット」にも共通しているのは「宇宙は海」という考え方です。だから松本零士の漫画の宇宙には上も下もあるし、潜宙艦というのも出てくる。「トレジャー・プラネット」に至っては船にフジツボがこびりつくし、大波(スーパーノヴァ)が来たら命綱を結ぶし、果ては宇宙に空気がある(最初はバリアかと思ったらバリアも張ってなかった)。
    これは映画の世界ってものだから問題は無い。ただ「トレジャー・プラネット」はデザインを変えただけで、世界観の構築に失敗している。古臭い銃から光線が出たり、宇宙を飛んだあと紐をたぐって係留するのがくだらない。「天空の城 ラピュタ」でフラップターにパタパタ羽がついてたり、タイガーモスが布で出来たりしているのを、くだらないと感じる人は少ない。それは宮崎駿がきちんと世界観を生み出しているからです。ディズニーのアニメーターは研修で「天空の城 ラピュタ」を観るらしいんだから、もうちょっと頑張りましょう。


    最後に「21エモン」は散々言われているけど「オーディーン 光子帆船スターライト」というツッコミは何故ないのだろう(誰も知らないから)。
気になったこと:
● スーパーノヴァのシーンで「衝撃波の規則性を見つけた」っていう台詞があったけど、衝撃波は一回しか来てないような・・・。
● これは僕が見逃したのが原因だと思うのですが、後半の戦いで船の人口重力を切ると上に落ちるシーンがありますよね。あれ何故ですか?慣性がついていたようには見えないし。(船から見て)上方向に重力が発生したような説明も無かったし、船は普通に浮いていたし、ちょっと理解できなかったのですが・・・。

ファインディング・ニモ

    あまりにもヒドイ「トレジャー・プラネット」にガックリきましたが、「ファインディング・ニモ」の予告編があったので落ち込んではいません。
    僕はディズニーは批判するけど、ピクサーの映画(トイ・ストーリー1,2、バグズ・ライフ、モンスターズ・インク)は全て大好きです。ピクサーはスタジオ・ジブリとタメ張る存在だと考えています。そして今年再びピクサーの新作「ファインディング・ニモ」が公開されるのです。これはもう楽しみ。日本人である我々にはあのデザインは人面魚にしか見えないことはさておき期待してますよ!

ターミネーター3のミス

●  T-Xは他のマシーンを奪うことが出来るので、この能力を使い車を動かす。しかし車の運転はメカニック的なものなのでこれは不可能。

シフトチェンジとかどうするんだろ。

03/07/15   ターミネーター3について追加

リュック・ベッソン・プロデュース RUSH

    MAZDAのCMを観てビックリしましたよ。MAZDAは「X-MEN2」のスポンサーになって、劇中ウルヴァリンに借りパクされるスポーツカーを提供しているのですが、今度はMAZDAの新車ATENZAのプロデュースをよりによってリュック・ベッソンに頼んだのです。なんて無謀な。やっぱりベッソン・プロデュース作品だけあって、映画演出の基本が全く出来ていません。たった数秒のフラッシュ映像なのにツッコミどころがあります。
    だってバイクが正面から突っ込んでMAZDAの新型ATENZAの上を飛び越えるんですよ。アクション映画の常識としてジャンプして相手をかわすのは主人公側のアクションでしょ!ATENZA悪役かよ!それにジャンプするのがバイクならATENZAは何もしていないじゃん。それじゃあプロモにならないよ!しかも乗り物同士の正面対決って、逃げ場の無い状況で演出すべきでしょ!何であんなにダダ広いところでやってるのよ!正面対決する必要ないでしょ!


    (断っておきますけど、映画の基本が出来ていないのは本当はリュック・ベッソンではなくて、監督のジェラール・クラヴジックです。)
    あのCMは「MAZDAの新型ATENZAのプロモーション用ショートフィルムRUSH」のCMです。このRUSHはMAZDAの公式サイトで観れるとのことで、鑑賞したらもっと驚きました。あの飛び越すシーンとは「謎の運び屋がATENZAに乗って仕事していた、そのとき黒のバイクに襲撃されたので、ATENZAはバイクを追い詰める。追い詰められた(一応説明はついていた)バイクはATENZAに正面から挑みジャンプするが(←どうやって?)、失敗して事故る。」
   プロモとしてそれでいいのかよ!こういうカープロモーションのCMって通常は「ファミリーカーに乗って幸せそうな家族」「高級車に乗って優雅なドライブライフ」「スポーツカーに乗って迫り来る脅威を鮮やかにかわす」と相場が決まっているはずです。しかし観客を無視して自分が撮りたい映像しか撮らないリュック・ベッソンには無理な話か。っていうか「TAXi3」でいい加減警察に怒られてカーアクションを撮れなった(事実)から、ここで撮りましたっていう感じです。
    それと公式サイトのストーリーがちょっとわかりにくいです。
「南フランス/マルセイユ・・・・・リュック(主人公)はその街に住む、少し謎を持った若者、だ。真っ赤な「ATENZA 23Z」を駆り、古い町並みと港町の人々の生き生きとした生活の中を通り過ぎていく。その風景からすればハイテックなカーナビ然とした謎のディスプレイが、彼にメッセージを伝える・・・「transfer immediate~運べ、しかも早急に」。そう、彼はピアニストと母親にさえ偽りながら、ある機関の秘密任務を負っているのだ。」
    ここは
「南フランス/マルセイユに住むピアニストの青年リュック。彼は真っ赤な「ATENZA 23Z」を駆り、古い町並みと港町の人々の生き生きとした生活の中を通り過ぎていく。しかしその風景には少々似合わない高機能ナビゲーションから謎のメッセージが彼に伝わる・・・「transfer immediate~運べ、しかも早急に」。そう、彼は自分の職業を偽り、とある機関の秘密任務を負っているのだ。」
とするべきでは?
オマケ:
映画監督がCMを作った例で僕が最高傑作だと思っているのは、名匠ジョン・ウーのNIKEのCMです。ブラジル・ナショナルサッカーチームの面々が空港で突然サッカーを始めるあのCMはキメの細かいアクション描写が光っていました。

PVネタ:ウィンドウリッカー

    オレンジレンジというミクスチャーバンドの「上海ハニー」という曲のCMを観ました。CMだけでPVを観たわけじゃないので正確な事はわかりませんが、あれはエイフェック・ツインの「ウィンドウリッカー」のPVに似ている気がします。「女性のお尻にシャンパンの泡をかける」というのがどれほどのクリシェなのかわかりませんし、「ウィンドウリッカー」ではこの行為に別の意味があるのでパクリとは言い難いのですが・・・。
    エイフェック・ツインとは天才かつ変態のテクノ・アーティスト:リチャード・D・ジェイムスの一人ユニット。リチャード・D・ジェイムスは人の不愉快な事が大好きで、彼の代表曲の一つである「ウィンドウリッカー」のPVはそんな一面の現れた傑作名高い作品です。「陽気で明るい海辺の街に、長高級車(誤字ではありません)に乗ってリチャード・D・ジェイムスが登場。女を数人はべらせながらダンスを踊る・・・」これだけだったらよくあるPVだけど、「ウィンドウリッカー」は女性達の顔がどんどんリチャード・D・ジェイムスの顔に変化していきおぞましい光景となります。最終的にはフリークス的な女性まで登場。そしてリチャード・D・ジェイムスが踊る女性達のお尻にシャンパンをひっかけていく・・・。これは当然精子のメタファーです。このPVにはどことなく女性蔑視的な雰囲気も漂っています。それもエミネムのようなスタイルとしての女性蔑視ではなくて、観るものを不愉快にする女性蔑視。全てが計算された芸術性まで感じる不愉快さを持つ傑作です。
    「上海ハニー」はここまで計算していなくて単なる「陽気なエロ」っぽいので、やっぱりパクリじゃないですね。
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