20世紀ノスタルジア


広末涼子の映画デビュー作。監督は一部ではキチンとした評価を受けているドキュメンタリー派の原将人。しかし「20世紀ノスタルジア」はハッキリいって単なる電波系映画です。
「WASABI」に引き続き広末涼子の映画ですが、演技者としての広末涼子は「WASABI」ですらチャントしています。でも作品選択眼も女優の実力の一つだと思うよ。


映画はまだ広末涼子がブレイクする前に撮影が始まったけど、何故か途中で撮影は中断される。そのまま1年半が過ぎる間に広末涼子が大ブレイク、さらに撮影は再開されて映画は完成した。

そのために映画は秋という設定(ブレイク後の広末涼子で撮影したシーン)で広末涼子演じる杏夏休みの自分(ブレイク前の広末涼子で撮影したシーン)を思い出すというストーリーになっている。

しかしこの所為で映画全体は違和感だらけ。ブレイク前の広末涼子で撮影したシーンは電波系ドキュメンタリー風で主人公の男子生徒との登場シーンが5分5分なのに対して、ブレイク後の広末涼子で撮影したシーンはアイドル映画になっており、例えば広末以外の会話シーンでも広末が画面中心にちゃんと写っているという有様。さらに相当な強行日程で撮影されたのかアフレコ(*:ロケで撮影すると雑音が入ってしまうのでセリフはあとから録音する)全くあっておらず、口の動きとセリフは全く違う。他にも広末をロングで撮影して、そこにガンガン台詞を入れるという手法も使っているために画面では風景が写っているのに会話だけでストーリーが展開します。しかもオールアフレコなのに音響技術は商業映画とは思えない程最悪で、例えば画面奥で会話する人物と手前で会話する人間の台詞を全て同じ音響で出しています。こうすると台詞が全部同じ場所から聞こえるんですよね。

こう書くと秋の広末のシーンが最悪と思われるかもしれないが、真に最悪なのは夏の広末のシーンです。




広末の学園生活


舞台は秋。都内の高校に通っている遠山杏(広末涼子)。他の生徒と区別をつけるためか一人だけチェックのスカートを穿いているのでとてもわかりやすい。お昼の時間の校内放送で突然、宇宙人が地球の物質文明をレポートしているビデオが流れる。といっても流れるビデオは浅草雷門の土産物屋を写しているだけで、ナレーションで宇宙人レポートと言い張っている。どうやら杏はとある男子高校生と一緒に映画を撮っていたらしい。
ナレーションを聞いて、学生達の
「これ片岡君じゃない?」
「1学期だけいた変なやつ?」
「あーオーストラリアに行ったやつか」
説明的な会話が入りつつ、放送室へ走ってビデオを止める杏。しかし放送部員の杏は校内で宇宙人ビデオを流したために、放送部はピンチになってしまう。杏は放送部の部費を守るため(その展開は学園マンガだろ)に未編集の宇宙人ビデオを編集する羽目になる。

実は杏は夏休みの途中に片岡徹という男子高校生と一緒に宇宙人になって地球レポートをしていたのだ。


オーストラリアに行った片岡徹を想う杏は「身を焦がして愛する人を待つ女の演歌」を歌いつつビデオカメラを抱きながら町を歩く。ここまでの展開でだいぶ危ない映画だと思った人は多いでしょうが、このあと本編は電波系になります。


杏は片岡徹との初めての出会いを撮ったビデオテープを再生する・・・。




電波系な出会い


舞台は夏休み。清洲橋でビデオを撮影している杏、そこに
「放送部の遠山杏さんでしょ?僕2年A組片岡徹」
と舛添要一にソックリな男子高校生が杏をビデオで撮影しながら自己紹介、杏は
「あーあなたかー、NYから来た天才ビデオアーティストって」
と漫画のようにお互いを説明する超不自然な出会いをする二人。ちなみに片岡徹がNYの天才ビデオアーティストという点に関しては、その後一切フォローがありません。っていうかコイツ才能ないです。さらにこのシーンでは片岡徹はずっとビデオで何かを撮りながら喋ってますが、こいつは上映中ずっとそうやっています。

そして次の台詞は
「実は僕宇宙人なんだ」
と衝撃的告白。いぶかしげる杏に片岡徹は平然と
「撮らないの?スゴイスクープだよ」
とりあえずビビッて片岡徹を撮り始める杏、さらに電波系入ってくる片岡徹
「実は私は宇宙人です、喋っているのは片岡徹という地球人の少年です、私の名前はチュウセ。地球に来た調査員です。それで地球人の片岡徹としては宇宙人のチュウセと一緒に地球をレポートするSF映画を撮りたいんだ。」
とまるで女優不足に悩んでいる大学の映研みたいに強引に映画制作に誘う片岡徹、っていうか会話飛躍しすぎです。


「それでさーチュウセが今君の体を借りたいって、分裂しかかっているみたい、君の体を貸してあげてよ」
さすがドキュメンタリー派の監督ですね、劇映画なのにロマンチックな展開はできないようです。こんなこといきなり少女に言ったら性犯罪だろ。


当然の如く嫌がる杏に
「宇宙人は単性生殖だから」
と無理やり安心させる。
「宇宙人ってどんな格好しているの?」
「目に見えないんだ、エーテル体だから」


・片岡徹君、スゴク怪しいですね。
「20世紀ノスタルジア」はSF映画であり恋愛映画だそうですが、 エーテル体が単性生殖だという辺りにこの監督にSF的才能が無いことが伺えます。




最悪のミュージカル・シーン


そして清洲橋で目をつぶって手を合わせる杏と片岡徹、二人共ビデオマニアなのでその様子を三脚で撮影している。
「まだ来ないの?もうこっちからは出たよ」
「あ、来た来た私は・・・」
「ポウセだよ」

こうして杏も宇宙人ポウセになりました。


片岡徹は突然宇宙人のテーマを歌いながら清洲橋でクルクル回りだす


ちなみに宇宙人のテーマはこんな歌詞です。狂ってます
「タイムマシンに乗って
ワープしてきた
地球の滅亡を遡って
たどり着いた未来
人影とらえ
寂しさの中タイムマシン飛ばした
タイムマシンに乗って」



片岡徹君は未来からやってきた宇宙人だそうです、ドラエもんと同じ設定ですね。まあ高校生が真昼間の橋でクルクル回りながらこんな歌を歌ってたら、間違いなく心の病院行きです。


さらに歌の途中でも杏と片岡徹の喜びの会話が続きます。


「タイムマシンってどんな風に運転するの?」
「ワープモードオン!」
「エーテル体の宇宙人にしては随分地球人じみていない?」
「エーテル!エーテル!エーテル体!僕チュウセ!」





頼むから会話が噛み合った脚本書いてくれ





ヒアリングして書いている僕もつらい





さらに歌の終わりの歌詞は
「過ぎ行く流れに響く君のハミング、君はいつも夢を追い抜いてる。」
確かに夢を実現するじゃなくて夢を追い抜いてるだな、狂ってるもん。




秋の杏、ビデオを編集しながら
「スゴイ、スゴイよ徹君、時を越えたミュージカルになったよ!徹君と初めてあった清洲橋の場面が素敵な場面になりました。」
と大喜び。


ちなみに監督はこのシーンをミュージカルと言い張っているそうだが、歌のレッスンを全く受けていない役者ですらない素人に歌わせ、電波系の歌詞で、教育テレビのBGMよりも下手糞な作曲のこのシーンが何故ミュージカルなのか?監督が作詞、作曲もやっているらしいが。
それとこの映画の撮影は役者にデジタルカメラを持たせてクルクル回りながら撮っているだけというカメラ所有者なら誰でも出来る方法です、照明使ってないし。
そのために背景がグルグル回って役者の顔のアップが延々と続くだけという、ある意味トリップムービーな映像です。




映画ナメとんのか


再び場面は夏の広末に戻り、片岡徹と遠山杏の・・・もとい自称宇宙人チュウセとポウセが地球の滅亡をレポートする映画制作が始まった。といってもハトバスに乗って弁当食いながらカメラ回すだけです。


これではただ単にデートフィルムです。 でもサンドイッチを見て
「地球人の食べ物は建物と同じ形だ。」
自転車に乗って
「光のオアシスへ行こう」
電波な会話をする辺り普通のデートと違いますね。


「僕達の視覚が地球に慣れてくるとすごいのが見えて来るんだよ」
「ナにそれ超能力?」
「そうタイムワープモードON」
また噛み合わない会話をしてます。とにかくタイムワープモード(何だよソレ)になったチュウセは雑草を
「ジュラ紀の植物だよ!」
といよいよ危ない状態。


直後片岡に恋し始めた杏は片岡の肩に手を乗せるが、ドキっとした片岡徹は車を見て
「あ、恐竜だ!」
しかしチュウセはエーテル体のために排気ガスにやられて(恐竜じゃなくて?)倒れてしまう。脚本兼監督の人はエーテル体を何か勘違いしているようですね。


この後に片岡徹と杏はヌーヴェルバーグ(*:フランスで起きた映画革命)の映画を観にいく。しかしここまで映画に喧嘩売った内容だと
「映画は地球人の栄養物らしい」
という台詞もムカついてきますな。


残念ながら上映はもう既に始まっていた。杏はビデオで見る為に自分の家に片岡徹を招待する、ビビる片岡徹。 しかしビデオマニアの片岡徹は初めて入った女の家をビデオカメラで撮りまくり。 杏の母親はこんな失礼なヤツを叩き出すべきだと思います。


ビデオを見終わった片岡徹は帰ろうとするが、片岡徹も杏もビデオマニアなのでお互いを撮り続ける。
そして片岡徹はやっぱりクルクル回りながら家に帰る。ちなみに電波系の片岡はこのときもブツブツ喋ってビデオカメラを回しているのだがいるのだが、その内容は
「地球から4.3光年、最後の望みはオーストラリア。」
とオーストラリアから星に帰る方法を唱えている。どうして4.3光年を超えてワープしてきた宇宙人がオーストラリアからじゃないと帰れないのかサッパリわからんが、帰ってくれるならサッサト帰れ。
しかもこの様子を見た杏は
「衝撃の告白かと思ったのになぁ」



この作品はSF映画であり恋愛映画だそうですが、一体どこがロマンチックなのですか?




警告:以降はネタばれです
意味不明の映画なので読んでも大丈夫だと思いますが



映画(色々な意味で)終了


さらに片岡徹と杏の映画作り(宇宙人が地球をレポートする)は続く。とっていもまたハトバスに乗って観光するだけ。しかも東京タワーで
「地球人の脳の中に夜の都市があるんだ!」
「ピカピカピカー!杏の神経回路がショートしかかっているんだって」
「街の光の刺激で片岡徹の脳が爆発しかかっているー」
「爆発するー!」
と二人はもう頭がイッてしまう寸前。そしてこの映画のテーマソング「ニューロン・シティー」が流れて、東京タワーを背景に片岡徹と杏が延々とドアップで歌い始めます。


「ニューロン・シティー・カガヤキー!
ニューロン・シティー・マタタキー!
エーテル体エーテル体バチバチー!」



どうやら片岡徹と杏はイッてしまったようです。ここら辺の映像と音楽にはつまみにマジック・マッシュルームが似合いますね。



片岡徹は
「眠りを放棄した都市、
夜の都市システムが完成したとき、
地球人はもう夢を見る必要はなくなる、
それは地球人の滅亡への第一段階だ。」
と地球の滅亡を予言する。




清洲橋で宇宙人のコスプレをする片岡徹と杏。映画のラストシーンを撮影するのだ。
「ようやく調査の結果が出た、やっぱり地球は滅亡する」
驚く杏は反論を始める。
「そんなことないと思うな」
「楽観的だなぁーそれこそが地球が危機的に陥っている証拠だ。
僕は早速
オーストラリアに行って星に報告してくるよ」
「僕は?」
「ここで待っていてくれ、星の結論が出たら迎えに来る」





END










こうして片岡徹と杏の映画製作は終わった。杏は片岡徹に恋しているが、片岡徹はシャアシャアと
「明日からオーストラリアなんだ、撮影が全部終わって良かったよ。」
「いつ帰ってくる?いつか帰ってくる?」
「とにかく星と交信してみなきゃ、チュウセは地球人と上手くやっていけないんだ。」



こうして片岡徹と杏は別れる。しかし(もうしつこいかもしれないが)二人ともビデオマニアなので、お互いをビデオに撮りながら別れる。




完全に狂った片岡徹


以降は秋の杏の物語となる。


秋の杏、彼女は自分一人で追加撮影を始めることにする。杏は自分の顔を超アップで撮りながらナレーションを入れる・・・。
どうでもいいんですが、「20世紀ノスタルジア」のドキュメンタリー派の監督は、ナレーターは画面に映らないというドキュメンタリーの常識知っているんですかね?まあ秋の杏は広末涼子のアイドル映画なので常に画面に広末出さなきゃいけないのはわかるんですが。


そして杏はまたまたハトバスに乗って追加撮影をするが、杏はつらくなって映画撮影をやめてしまう。




杏は偶然片岡の未編集ビデオを見つける。その中には片岡徹がバッテリー不足になって工事現場で充電しようとしたら、警察官に「逮捕だー!逮捕だー!」と捕まる姿があった。(それは赤塚不二夫の警察官だろ)。しかも捕まった事を母親に慰めてもらう姿もあった(そんなシーン自分で撮るなよ)


さらに見つかる未編集ビデオ。ビデオを再生すると夏休み中不眠症だった片岡のナレーションが延々と続く
「毎晩夜の都市に出て脳が覚醒した。
地球人滅亡方程式に片岡徹が組み込まれた。
やはり片岡徹に地球を救えることはできない。
宇宙の歴史を変えることはできない。
地球人が森を捨てたことに全ての原因はあった。
自分すら救えないヤツに地球が救えるわけがない」

片岡はこんなこと呟きながら毎晩出歩いていた。でもこれでは単なる心の病気持ちの徘徊者だと思います。
このビデオを見終わった杏は
「あなたは一人で悲しんでいたのですね、ポウセは悲しい」





そしてラストシーンへ


秋の杏は夏のある日の夜を思い出す・・・

注:ここはこの映画唯一のラブシーンです。

ある晩片岡徹が杏(親は留守)の家にビデオカメラを充電するためにやって来る。 そこで片岡徹はアボリジナルの楽器で星と交信して地球の都市を破壊する考えを杏に伝える。
「こりゃいいや!早速星と交信だ!」
と交信するために唸りだす片岡、一緒に唸りだす杏。しかし今度は
「グヘヘヘヘ」
と笑い出す片岡徹、びびった杏は片岡徹を止めようと抱きつく。しかし片岡徹は
「行かなくちゃ」
「行くってどこへ?」
「オーストラリア」
また夜の街へ徘徊する片岡徹

注:唯一のラブシーンはここで終了です。





秋の杏は最後の未編集ビデオを見つける。 その中には片岡徹が自分の中の別人格と杏に関する恋話している様子が入っていた。 それを見て喜んだ杏は再び映画撮影を再開する。


野良猫や花壇の花や東京湾のカモメや近所のガキを撮って地球の素晴らしさを表現する。


そしてナレーションには
「 杏と遠山徹は仲良くなった!
徹と過ごした夏休みは楽しかったです。
弱くて泣き虫な自分を素直に認めよう
そして何よりも徹が好きな自分を素直に認めよう!」






僕は映画ファンです。映画ファンとしてちょっと言わせてください。




こんなのは絶対に映画じゃない!





杏は学校の先生、親友、父親、母親と今までの登場人物を総動員して映画を撮影するが、結局はアイドル映画なので実際は杏役の広末ばっかり写っている。


さらに杏は星と交信しようと走る、
「ほらそこにある木だって星と交信している!」
木に抱きついて星と交信を始める。
そして地球は滅亡しないという星の結論を聞いて


「未来は変わった!バンザーイ!」
と映画はハッピーエンドになる。




オーストラリアから片岡徹が帰ってくる、二人で本当のラストシーンを撮影しに海岸へ行く。


21世紀最初の日の出の海岸、片岡徹と杏の間に双子の赤ちゃんが生まれたことを星に報告する。ただしゆりかごの中にいるのは2体のキューピー人形。




片岡徹と杏は20世紀にお礼をして映画は終わる。




最後に


今回の「20世紀ノスタルジア」は今までで一番大変でした。監督がきちんと評価をウケている人なので批判しにくい上に、僕がこの映画が死ぬほど嫌いなので、ビデオを10分程まで見ると耐え切れず止めてしまうので、なかなか完成しませんでした。


よく「20世紀ノスタルジア」はアイドル映画ではないと言われますが、主演女優に囚われている製作姿勢はアイドル映画そのもの、広末涼子がブレイク前に撮影したシーンでは、広末は普通の格好ですが、ブレイク後に撮影した広末はどう見てもスタイリストが選んだ服を着ています。アイドル映画というよりも電波系実験映画だというのなら、一切反論せずに納得しますが。

02/07



まじめな批判


今まで散々「20世紀ノスタルジア」映画を批判してきました。しかし冷静に観れば杏の恋心や都市への想いなどはキチンと描けてます。それなのに何故ここまで酷い内容になってしまったのでしょうか?
これは監督が自分の伝えたいメッセージを全部伝えようと、キチガイ高校生というキャラを作って彼に全てのメッセージを洪水のように代弁させた所為です。
通常伝えたいメッセージがあるときに劇映画は様々な工夫をこらします。しかしこの監督はその手段を放棄、デジカメの映像と最低のナレーションで全てを片付けます。


さらにこの監督はアーシュラ・K・ル・グィンやフィリップ・K・デッィクやコヤニスカッティ(*環境ビデオみたいな映像作品)から影響(BY:映画秘宝)を受けて「20世紀ノスタルジア」を撮ったらしく、構成は安っぽいSF映画になっています。
”単性生殖の宇宙人”のセクシャリティにこだわる辺りがアーシュラ・K・ル・グィンのSF小説で、”夜の都市”にこだわる辺りがフィリップ・K・デッィクで、ナレーションはコヤニスカッティの思想と同じです。さらにヌーヴェル・バーグも含み、広末にゴダールの映画の台詞を唐突に喋らせたりします。おまけに宮沢賢治作品からキャラクターを設定し、全編にドキュメンタリーの手法を使った上に、トドメは女子高生の青春と恋愛を描いたアイドル映画という、ほとんど闇鍋状態。こんなにやりたいことがあって、さらに監督からのメッセージが加わったら電波系映画になってしまうのは当然の結果です。
撮影はハンディデジカメが半分を占め、演技は素人レベル、っていうか広末も含めてほとんどが素人でキャスティングしたらしいですが。監督脚本作曲作詞の原将人はやりたいことをやりまくった挙句、自分の思想もぶち込みすぎで商業映画としては完全に大失敗。ここまで酷いと実験映画としてでも疑問符がつきます。




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