パンズ・ラビリンス
映画のオチ。[実はヒロインの妄想だった]。
キャッチコピーにも「幻想の国」とあるのでトリックでも何でもないけど、映画のオチはコレだった。
クライマックスでヒロインが空に向かって喋るシーンがあり、この瞬間にパンが見えるのがヒロインだけだと観客に明かされる。全ては内戦の現実から逃げていたヒロインが作り出した空想だったのだ。
「現実から空想の世界に逃げる=ダメなオタク」的な発想がある我が国では、ヒロインがファシズムから逃げ切る悲劇のラストシーンは理解しにくい。
ところで本作の全てのファンタジーが空想だったとすると、一箇所だけ説明がつかないシーンがある。それは魔法のチョークを使った脱出シーン。魔法のチョークはただのチョークなんだから、現実に監禁されていたヒロインは脱出できないはず。
このように説明がつかない現象を1つ用意するというのはファンタジー映画や妄想オチの映画がよく使うテクニックで、僕が大好きなテクニックでもある。「ファンタジー世界で大冒険⇒現実に帰る⇒ファンタジー世界のアイテムが現実にもあってビックリ」というパターンなんかが非常に多い。
このテクニックを逆の観点から使って成功した映画が[『グッバイ!レーニン』]だ。あの映画に出てくる社会主義の幻想の中で生きる母親は、「運ばれるレーニン像」のみ周囲の人から説明をつけてもらえない。僕達が『パンズ・ラビリンス』を観て「どうしてチョークが使えたのだろう?もしかして本当にファンタジーだったのでは?」と疑問を持つのと同じで、あの母親も「どうしてレーニン像が運ばれたのだろう?もしかして社会主義は幻想なのでは?」という疑問を心に抱えたまま生きていく。