日本公開年度 | 2008 |
監督 | クリストファー・ノーラン |
製作国 | アメリカ |
悪がはびこる街:ゴッサムシティには、二人のヒーローがいた。法を逸脱して悪と戦うバットマンと、法に乗っ取って悪と戦うホワイト・ナイトと呼ばれるハービー・デント検事だ。そこに最悪の狂人ジョーカーが現れて、ゴッサムシティに混乱を巻き起こす。
新バットマンシリーズの第二弾として製作された。ジョーカーを演じたヒース・レジャーは撮影終了後に事故で亡くなってしまったが、彼の鬼気迫る名演技は伝説となった。
アメリカ国内ではヒース・レジャーの事件や、ネット上で大量のバイラル広告(口コミを誘発しやすい広告)を展開したこともあって空前の大ヒット。日本を除く世界中の国々でも大ヒットとなった。しかし日本では『少林少女』にも負ける始末。
アメリカは自分たちが正義だと信じていた。しかし9.11で貿易センタービルが崩壊したのをきっかけに、テロと報復の連鎖が起き、正義は揺らいでしまった。ついでに真のヒーローはアメコミのキャラクターではなくて、テロの現場で救助に当たった消防隊員たちだったということもわかってしまった。アメコミはその事実から目を背けずに「もしも現実にスーパーヒーローがいたら?」「正義って何?」という課題に向き合ってきた。そして『ダークナイト』が現れた。
「90年代最高の映画は『ショーシャンクの空に』」というのは定説だ。『ショーシャンクの空に』は刑務所の中でも希望を持ち続けることを描いた映画だった。「闇の中に輝く希望の光」これは物語の定番の概念で、いろいろなマンガ・ゲーム・小説・映画で使われてきた。しかし『ダークナイト』はそこからさらに踏み込んだ。希望の光すら危うくなる時代、[闇の中に生きる正義をダークナイト]として描いたのだ。
テーブルマジック
福本次郎氏
カネには興味がなく、ただ悪の頂点に立ちたいという欲望は、結局のところ何を目指しているのだろうか。正義感ヅラしたバットマンや検事の鼻を明かしていく姿は痛快だが、動機が明示されないために狂人にしか見えなかった。
「映画評論家なのにジョーカーの目的が理解できないのか!」と話題になった文章。
日本公開年度 | 2009 |
監督 | クリント・イーストウッド |
製作国 | アメリカ |
フォードの自動車工だった老人コワルスキーは、妻を亡くして一人で暮らしていた。ある日、隣に引っ越してきたアジア人の少年が、コワルスキーが大切にしているフォードの名車:グラン・トリノを盗もうとする。その事件をきっかけに人種差別主義者のコワルスキーと少年に交流が生まれるのだが………。
製作規模は小品ながら、クリント・イーストウッドのキャリアの総決算となる名作。グラン・トリノとはフォードの名車で古き良きアメリカの象徴。クリント・イーストウッドが演じる主人公は、元フォード社の工員でグラン・トリノを自らの魂としている。しかし主人公の息子はトヨタの営業マンで、街のチンピラはホンダに乗っている。主人公の住んでいる街は、基幹産業であった自動車産業が壊滅したため、白人の住人たちが消えて、移民たちが住み着いた。映画の背景に現代アメリカ社会がくっきりと浮かび上がっている。
この映画が日本公開された2009年、フォードと同じくアメリカを象徴する企業のGMが破綻した。
70年代にクリント・イーストウッドが演じたダーティー・ハリーは映画史に残る名キャラクターだ。極悪人の人権を無視してマグナムをぶっ放す。その正義の鉄槌に観客は酔いしれた。だが『グラン・トリノ』のクリント・イーストウッドは[人を殺したことで苦しんでいた。いや人を殺すだけならまだしも、人を殺して称えられることに疑問を感じていた。そして再び悪人たちと対峙した]クリント・イーストウッドが出す答えは……。
移民の国アメリカではヘイトクライム(人種差別に起因する犯罪)が増加している。そんなアメリカの現状を描いた傑作に『クラッシュ(238位)』があったが、ゼロベスト映画の結果では『グラン・トリノ』と『クラッシュ』には大きな差があった。『クラッシュ』は人種衝突を複雑に描いて観客に問題を提起した。いっぽう『グラン・トリノ』は問題に対してハッキリと答えまで描いた点が、支持を集めたのだろう。その答えとは[新しい移民たちがアメリカ人の魂を受け継ぐというものだ]。別にアメリカ人が素晴らしいという答えではない。あの少年が自分の民族的アイデンティティを捨てていないのは、[クライマックスで民族衣装を着ていることからもわかる]。←シーンの意味を読み取ることが出来ない人たちは「『グラン・トリノ』は白人様の映画だ」と批判している。
日本でも暴力的な外国人排斥運動がおおっぴらに行われるようになってきた。『グラン・トリノ』から学べるのはアメリカの姿だけではない。
日本車大勝利!でも日本車もいつかはインド車や韓国車に負けるのだろうか
Yahooレビューより
選んだテーマの割には、表現されていることは安直で、薄っぺら。 クライマックスも陳腐で、深みがないというか、コクがないというか。 テーマを描き切っていない。映像的に美しいシーンもコレといってなく、正直言って、何がいいのか、 どこが泣けるのか。神経を疑う。 (中略)うちの妻は気分が悪くなり、精神的にもショックを受けてしまった。ああいう場面を持ってこなければ、正義とか、絆とか、死に方とかを描けない というなら、まさに、表現者として失格。しょせんは、三流の映画監督だということだろう。
この夫婦のように辛いシーンを描く映画に対して怒りだす人が多い。あと映画評を書くときに「テーマ」という言葉を使う人に限って、その映画のテーマが理解できていないのはよくある話。
日本公開年度 | 2001 |
監督 | 原恵一 |
製作国 | 日本 |
20世紀へのノスタルジーを掻き立てる社会現象が起き、オトナたちは日々過去を懐かしんで楽しんでいた。しかしそれは、日本の未来に希望が持てなくなり、過去の日本を復権させようとする組織の陰謀だった。そしてオトナたちが街から消え去り、しんちゃんを始めとする子供たちは街に取り残された。
『BALLAD 名もなき恋のうた』という実写リメイクが作られるまでになった現在の状況とは違い、当時は「クレヨンしんちゃんの映画版は号泣必死の大傑作」だなんてほとんどの人が知らなかった。そのために「家族連れで何気なくクレヨンしんちゃんを観に行ったら親が号泣」という現象が起きた。
2001年度の映画秘宝ベスト10では、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』が日本映画初かつアニメ映画初のベスト1を獲得した。本作以外にベスト1を取った日本映画やアニメ映画は一本もない。
映画の中に出てくる『イエスタディ・ワンスモア』はこんな↓悪の組織だ。
2005年には「昭和=素晴らしかった」をテーマにした『ALWAYS 三丁目の夕日(187位)』が大ヒットしてキネマ旬報ベストで2位になった(映画芸術ではワースト1)。そして歴史ブームも起きた。日本の未来に希望が無くなり過去にしか栄光がなくなってきているのか?日本は既に『イエスタディ・ワンスモア』に侵略されているのだろうか?そういう時代だからこそ、ゼロ年代最高の日本映画に『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』が選ばれたのだろう。
オトナ帝国に反逆したのはコドモのしんのすけだった。しんのすけは自分のために、未来に生きるために、東京タワーを走り続けたが、[結局オトナ帝国の野望を止めることはできなかった。でもオトナ帝国の野望を止めたのは、未来を選択した人々だった]。この映画で特筆すべきなのは、未来を選ぶ人々の様子がもの悲しそうに描かれることだ。未来には希望がないかもしれないが、それでも未来に向けて生きるしかない。
もう一つ特筆すべき点がある。それはしんのすけの父親である野原ひろしの存在だ。ゼロ年代の日本の映画興行でもっとも重要なのは女性だった。女性を励まし、女性を泣かせ、女性を魅了させる映画が大量に作られたが、逆に男性の存在が希薄になった。ゼロ年代の日本映画で描かれた男性のライフスタイルは、ネット文化に浸かった男か女性好みのイケメンくらいだった。そんな状況の中で、あえぎながらも生きていく現代日本社会の父親像を野原ひろしが提示したのだ。
TSUTAYA DISCASの常連レビュアー
これPTAに対する言い訳、皮肉だろ。
クレヨンしんちゃんの映画は面白いと言うから借りてみたが、
つまンねえな。
戦国モノのヤツも見たけどつまらない。
しんちゃんでやる意味が全くない。
ま、しんちゃんでやんないとこんな映画は誰も観ないだろうけどね。
この映画は批判意見をいくら探しても見つからなかったので、この文章をようやく見つけた時は逆に嬉しかった。
日本公開年度 | 2004 |
監督 | ピーター・ジャクソン |
製作国 | アメリカ、ニュージランド |
冥王サウロンが創った「一つの指輪」を滅びの山に捨てるための旅は続いていた。フロドはかつての指輪の所有者だったゴラムと共にいたが、ゴラムは指輪を奪おうと狙っている。その頃サウロンの軍勢はゴンドールの首都を包囲していた。ゴンドールには長らく王がいなかったのだが……
前2作の『旅の仲間(15位)』『二つの塔(25位)』の時点で既に大量のVFX(視覚効果)を使っていたこのシリーズだが、『王の帰還』のVFXは前二作を合わせた量よりも多い。ビガチュア(大型ミニチュア)の精巧さや、ロケーション撮影の素晴らしさも相まって、中つ国というファンタジー世界が完璧に再現された。
アカデミー賞では11部門受賞という大量獲得を達成した。
ゼロ年代の日本映画界は実写化に失敗し続けた。失敗する理由は色々あるだろうが、製作姿勢に作品への愛が感じられないというのが大きい。「原作があるほうがヒットしやすい」という理由だけで実写化が行われた。脚本に必要なのは売れる要素と原作を合体させることであって、原作のエッセンスを研究する必要はなかった。マンガやアニメを愛することなら誰にも負けないはずの日本人が、実写化にはほとんど失敗するという事実には悲しいものがある。だがピーター・ジャクソン監督は『指輪物語』への多大なる愛を武器にして実写化に成功し、興行的にも批評的にも大きな成果を残した。
原作がどーのこーのという話になると、原作を未読か既読か?という点が出てくるが、映画を楽しむだけなら、そこまで重要なことではない。原作で描かれている要素から、映画的な要素を上手く抽出しているかどうかが重要なのだ。その点が成功すれば原作を読んでいなくても面白さがよく伝わる。僕が原作で一番好きなのは滅びの山に向かうフロドの描写なんだけど、実に上手く映像化されていた。またペレンノール野の合戦は、ゼロ年代でもっともスペクタクルな映像体験といって間違いない!(ゼロ年代の終わりに『アバター(32位)』が出てきちゃったけど。)
宮崎駿氏
「ロード・オブ・ザ・リング」だってそうです。
敵だったら、民間人でも兵隊でも区別無しに殺していい。誤爆の範囲なんですよ。
一体アフガニスタンの爆撃で何人殺してるんですか?
それを平気でやっている映画が「ロード・オブ・ザ・リング」です。
原作を読めば分かりますけれども、
実は殺されてるのは、アジア人だったりアフリカ人だったりする。
それがわかんないでファンタジーが大好きって言ってるのは、馬鹿なんです。
『王の帰還』はエルフやドワーフなどの異種同士が団結する映画にも関わらず、異文化の人間=悪の軍勢と描いた。この点への批判は色々とある。
日本公開年度 | 2008 |
監督 | エドガー・ライト |
製作国 | イギリス |
超絶的に優秀なロンドンの警察官ニコラス・エンジェルは、物騒な事件とは無縁な田舎町に左遷となる。その田舎町の警察官のダニーはハリウッド映画オタクだった。エンジェルとダニーは相棒を組んでパトロールする日々。しかし町で人が死ぬ事故が多発する。
エドガー・ライト監督の長編デビュー作『ショーン・オブ・ザ・デッド(37位)』は、その傑作振りが大きな話題になったが日本では未公開だった。そして長編第二弾の『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』も同じく日本未公開になるはずだった。しかし映画ライターのわたなべりんたろう氏が公開署名運動を展開し、映画評論家の町山智浩氏がその署名運動を煽った。結果『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』は劇場公開されて連日満席の大ヒットとなった。
ゼロ年代に公開署名運動が起きた映画は、アフリカで起きた虐殺事件を映画化した『ホテル・ルワンダ(54位)』、オリジナル声優を全員クビにしたが、怒ったファンたちの抗議行動によってオリジナル声優を取り戻した『ザ・シンプソンズ MOVIE』があった。一見感動的なエピソードのように思えるが、観客が行動を起こさないと良作が観られないという悲しい状況も意味している。
エドガー・ライト監督は階級社会のイギリスにおいて労働者階級の田舎者で、スーパーマーケットのバイトをしながら絶望を感じていた。そんな彼が映画の中で自分の田舎町を破壊する。僕が映画館で『ホット・ファズ』を観たとき、[主人公が老人にとび蹴りを食らわせる]シーンで拍手喝采となった。あのシーンには見た目の面白さだけではなくて、既存の概念を破壊する快感が感じられる。
平和なイギリスの田舎町で続発する殺人事件を描いたこの映画のオチは、[「町が極端に保守化したため、人を殺してでも町の品位を守ろうとした」]というものだった。劇中で人が殺される理由に[「家が派手だったから」]というのがあった。日本では楳図かずおが派手な家を建てようとしたところ、毎月10万円の損害賠償を請求される訴訟が起こされた。劇中の町はよそ者を監視しているという設定だが、日本にも創価学会の信者たちがよそ者を監視している信濃町がある。そもそも劇中の人々が凶行に走ったきっかけは、[外国人たち(ロマ民族)がやって来たことにより町の品位が落ちたことだった(後日、その外国人たちは殺害される)]。日本でも日系ブラジル人3世が静岡県内に土地と新居を購入しようとしたところ、その情報が不動産会社から地域住民に漏らされて、地域住民たちが購入阻止を図った。とうぜん人権侵害なので法務省が不動産会社と地域住民に注意を行ったが、結局ブラジル人は土地の購入が出来なかった。『ホット・ファズ』の町で起きていたことは、すでに日本でも起きている。
福本次郎氏
村に赴任後もコンビを組むダニーという警官を狂言回しにするのかと思いきや、彼の立場もイマイチ不鮮明。
クライマックスでは、闇のグループと戦うために馬上の騎士をなるニコラス。その過剰な武装は明らかにコミカルを目指しているのだが、まったく面白くない。(中略)そのアクションも洗練とは程遠く、ベタにもなりきれていない。いったいこのこのは何を目指していたのだろう。最後まで理解に苦しむ作品だった。
中盤の展開が期待外れという意見は確かに多かった。しかしダニーの立場がわからないのは福本さんくらいだろう。ハリウッド映画への想いが[全て現実になる]というクライマックスがポイントなのに。
日本公開年度 | 2008 |
監督 | アンドリュー・スタントン |
製作国 | アメリカ |
29世紀の地球は大量消費社会が生みだしたゴミに埋もれ、自然は消滅し、人々は宇宙に移住していた。ゴミ処理専用ロボットのウォーリーは、700年のあいだ一人ぼっちで地球のゴミを処理し続けていた。ある日宇宙から美しい高性能ロボットのイヴがやってきた。そしてウォーリーはイヴに恋をする。
セリフを使わずに登場人物の感情を観客に伝える。色々な映画作家がチャレンジしてきたことだが、『ウォーリー/WALL・E』によってこの手法は極められた。一人ぼっちのウォーリーが誰かと手をつなぎたい気持ち、好きな人と会えたときの嬉しい気持ち、好きな人と仲良くなりたいときの一生懸命さ。全て言葉を無くして描かれる。ゼロ年代最高のラブストーリーに選ばれたのが言葉を持たないロボットの恋だったというのも面白い。
福本次郎氏
映画史上の名作に対するオマージュといえば聞こえはいいが、この作品、あまりにもパクリが多過ぎる。(中略)「2001年」の他にも数え切れないほどの近未来・宇宙・ミュージカル映画からの剽窃は見るに堪えなかった。
ゼロ年代のネット上の批評には「パクリ批判」というのがすごく多かったし、破壊屋もそれをやっていた。福本さんは僕に「パクリ批判」がみっともないことを気づかせてくれた。
日本公開年度 | 2009 |
監督 | 庵野秀明、摩砂雪、鶴巻和哉 |
製作国 | 日本 |
すいません、未見なので公式サイトのコピペです!
汎用ヒト型決戦兵器エヴァンゲリオンに乗ることで、自ら戦うことを選んだ碇シンジ。大きな運命を託された14歳の少年の物語は、ここから未知の領域へ突入する。綾波レイと人気を二分するヒロイン、アスカがエヴァンゲリオン2号機に乗って参戦。加えて魅惑の新ヒロイン、マリが登場する。
深町秋生のベテラン日記-天使映画というジャンル。最強の暴力映画「ヱヴァンゲリヲン破」からのコピペです。
「ヱヴァ破」からは、80年代アニメに横溢していた豪腕パワーを感じた。「東京」が景気よく破壊されるところは大友の「AKIRA」のようであり、圧倒的な終末感は宮崎の「ナウシカ」を思い起こさせる。(ついでにラストは「ラピュタ」のよう)戦争と日常を対比させながら、人々の営みと美しい都市を描くさまは押井の「パトレイバー」のようでもあった。日本アニメの巨人たちの長所を欲張りに取りこんだように思える。
破壊屋管理人
集計を始めたとき「上位100本のうち、俺が未見の映画があったらヤバいな…」と思っていたんですが、まさか上位10本に未見の映画があるとは思いませんでした。劇場版シリーズは映画館で観ていたんですが、新劇場版は完全に無視していました。まさかこんな大チョンボに繋がるとは思ってもいなかったです。
数ある映画サイト・ブログの中でも『エヴァ:破』が未見なのは破壊屋くらいなもんでしょう。ごめんなさい。
日本公開年度 | 2009 |
監督 | 園子温 |
製作国 | 日本 |
厳格すぎる神父の父親と暮らしていたユウ。愛欲に負けた父親はユウに常に「懺悔」を求めてきた。ユウは懺悔する罪を作るために、不良グループと付き合い、パンチラ盗撮道を極めた。その頃ユウたちが住む町に新興宗教団体が進出してきた。そしてユウには運命のマリアとの出会いが刻一刻と近づいていた(注:盛りだくさんだが、これでもまだ物語の導入部分)
ゼロ年代のハリウッドの恋愛映画にはパターンがあった。まず「男と女の価値観の違い」を提示してドタバタ騒動を起こす。それから男と女が相手の良い点を見つけたり、自分を見つめなおすことによって、溝を埋めていきハッピーエンドに到達する。しかし日本の恋愛映画は違った。男と女が繋がる理由は「運命」だった。だから運命を邪魔する不治の病や交通事故は恋愛映画の要素として何度も使われた。大ヒット恋愛映画の中には、ヒロインと恋する男性が不治の病で死んで別の男性が交通事故で死ぬ物語もあった。価値観も立場も無視して相手をひたすら愛する映画は純愛ブームという社会現象になったが、どれも質が非常に悪かった。ゼロ年代ベストの中にもほとんど入っていない。
だがクズだらけの純愛映画の中から怪物のような傑作が生まれた。それが『愛のむきだし』だ。『愛のむきだし』は上映時間が4時間もあるが、長さを感じさせない。それは暴走している純愛地獄が、単純にエンターテイメントとして面白いからだ。運命の女性を探すために盗撮を繰り返し、運命の女性に近づくために女装を繰り返す。この映画の主人公はまぎれもなくヘンタイだが純愛だった。
ヘンタイは犯罪ではありませんが、盗撮は犯罪です。
前田有一氏
そういうネタはすべてが作り物であるフィクションの世界では、えてして自立できない。要するに、なんでもありの世界でなんでもありのストーリーをやっても、観客は驚きも感心もしない。
観客=自分という視点で文章を書いているのがこの人の強みであり、そして映画ファンから嫌われる原因でもある。
日本公開年度 | 2009 |
監督 | ダーレン・アロノフスキー |
製作国 | アメリカ |
80年代に一世を風靡した人気プロレスラーのランディ、現在はスーパーマーケットでアルバイトしながら週末だけリングに上がっていた。ある日ランディは心臓発作を起こして倒れてしまい、引退を決意する。しかし引退後の人生はさらに辛いものだった。
主人公のランディがプロレスの試合で激しく肉体を傷つけられる様は、キリストの受難と重ねられる。これは劇中で『パッション(397位)』への言及があることから明らかだ。ランディを助けるキャシディという女性は子どもへの愛がとても深い母親で、子どもの学費のためにストリップをやっている。ランディがバイトに向かうシーンは、まるでプロレスの崇高な入場シーンのように描かれる。プロレス、ストリップ、アルバイトといった世俗的な要素が深く掘り下げられる『レスラー』は、聖と俗を一体化させた映画なのかもしれない。
ガンズもファミコンもマイケル・ジャクソンも80年代が最高だった!
Yahooレビューより
社会保険の破綻したアメリカでこの先どうやって生きていくのか? ランディは。(中略) SATCの世界に憧れ、賢い消費者であることが信条の 自分にはこういう世界は相容れない。(中略) 皆しっかりしてくれ!! ランディーの様な人のせいで皆税金が上がったら怒るでしょう?
SATCに憧れている賢い消費者………まあいいや。『レスラー』を批判しているレビューを何本か読んだが、現実世界で上手く生きられないランディに共感できない、という批判が多い。確かに同情できない側面があるけれど、それでも僕はランディに共感した。ただ見当違いの批判をしている人たちは、クライマックスで[ランディが死に向かっていること]に気がついていなかった。
日本公開年度 | 2003 |
監督 | クエンティン・タランティーノ |
製作国 | アメリカ |
元殺し屋ザ・ブライド(花嫁)。彼女は結婚式の最中に、かつて自分が所属していた暗殺団の襲撃を受けて、夫やお腹の子を殺され、自身も長年の昏睡状態に陥った。再び目覚めたザ・ブライドは、4人の暗殺者と彼らのボスであるビルへの復讐を開始する。
『別冊映画秘宝 キル・ビル&タランティーノ・ムービー インサイダー』からクエンティン・タランティーノ監督のインタビューを引用する。
(飛行機の中で日本刀を持っているシーンについてツッコミ入れられて)
『キル・ビル』の世界ではみんな日本刀を持っているの!いいかい?この映画は現実とは何の接点もないの!オイラがガキの頃から観てきたいろんな映画の記憶だけで作られた映画的宇宙が舞台なんだから!千葉さんの役名は服部半蔵で、オイラの大好きなTV番組『影の軍団/服部半蔵』の主人公と同一人物なんだ。役名が同じなだけじゃなくて同一人物なの。服部半蔵は江戸時代の人ですよ、って言われたけど、別にいいの。オイラのファンタジーだから!
『キル・ビル』はタランティーノが好きな映画の面白いシーンを足して足して足しまくった映画だ。現実とは何の接点も無いオレ様ファンタジー、そんな作品が世界中で大ヒット!しかもゼロ年代ベスト作品!クエンティン・タランティーノがうらやましすぎる。
人種差別反対!
Web上の質問サイトに投稿された質問
キル、ビル見たけど全く面白くありません。
いったいあれのどこがいいのでしょうか? 教えてください。
血がいっぱい出ていますね。 ストーリーも意味わからないし
Web上の質問サイトには、傑作・良作に対して「この映画のどこがいいんですか?教えてください」という投稿がよくある。嫌味で書いている人もいるが、「世間では評判がいいのに、なぜ私にはつまらないのだろう?」と不安になっている人も多い。