破壊屋200720062005

ロッケンローラーの生き様   

ちょっと前にケイト・モスが麻薬で世界的大スキャンダルになったけど、ケイトが麻薬を始めるきっかけとなったのは、ケイト・モスがジョニー・デップの次に付き合ったピート・ドハーティという男が原因。この人はロックバンド:ベイビーシャンブルズのフロントマン。ピートはたしかドラックから足を洗うために寺に入れられた事もあった(もちろん更正は失敗した)。BARKSのピート関係のニュースの見出しだけを集めてみたけどとにかくすげえ。まだアルバム出していないバンドなのに、ここまでニュースを作るとは。

少なくとも生き方はバリバリのロッケンローラーですね。


以前書いた在日韓国人の方がやっている”日本を紹介するブログ”。管理人の方に「僕が日本の着物着ている写真あげましょうか?」という事で写真を渡したらまた掲載されました。また「コメントは”日本でバカと出会った!”にしてくれ」とお願いしたのに、かなり感動的なコメントを書いてもらって恥ずかしくなりました。

これは大学の卒業写真で、大変思い出深い格好です。僕は「卒業式では絶対に紋付袴で参加する!」と思っていたので、貸し衣装を借りて都内の着付けスタジオを予約したのですが…。時期は卒業シーズン、当然着付けスタジオは着物を着る女子大生だらけ。だからスタジオは男子禁制「え、僕はどーすれば?」「こちらでお着替え下さい」と通されたのはスタジオの事務所。しかしスタッフはみんな忙しいらしくて誰も事務所にいない。普通にFAXが着信している事務所の中、肌着の着方すらわからん僕はパンツ一丁で仁王立ちして困り果ててました。そのうち別のスタッフが来て、事務所の中にパンツ一丁に肌着を羽織っただけの男がいるのを見て、ギョッとした表情で「どーされました!?」と言われました。
そして紋付袴になったのはいいのですが、脱いだ服やら何やらで大量の荷物が出た。「ご家族の方はいないんですか?」「いや、僕1人なんですが…」。周りを見ると晴れ着を着ている女の子達はみんな家族連れ。着付ける時は家族を連れていくのは常識らしい。仕方ないので後輩を呼んで荷物を持ってもらいました。
うんで卒業式に行って、パーティに出て、友人達と新宿で朝まで飲んだ後、眠らずに紋付袴のまま横浜に帰って親戚の家を回って卒業の報告して、また東京に戻って衣装を返しました。すごいしんどかったけどイイ思い出になった。
韓国の人に「この服着るのは1人じゃ無理だから、着せてもらうのにお金がかかるんだよ!」と言ったらすごく驚いていた。「韓国にだって難しそうな民族衣装あるじゃん!」「昔は大変だったらしいけど、今はボタンあるからすぐ着れるよ」…あ、いいなそれ、楽かも。日本の民族衣装は、世界的に見てももっとも優れたデザインだと思うけど、着るのが楽になってくれると嬉しいな。紋付袴は高過ぎだし。


海外ニュース読んでいたら日本でのライブ8を評して「日本人はビョークにしか興味が無いのか?」といった批判がありました。その批判には「もし今日ビョークがいないのなら、私はチケットを手に入れても興奮していなかった。」という日本人男性のインタビューがありました。もしビョークがいなかったらチケットを手に入れても会場には行かなかった自分の事を考えると耳が痛い。


セレブがもし過去の雑誌とかに登場したら?昔のキネ旬風キルスティン・ダンストがすげえ。

2005/11/15|▼この記事の直リンク先

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