破壊屋200720062005

生きてこそ(雪山に閉じ込められた)   

(小梅太夫風に)
チャンチャカチャンチャン、チャチャンチャ、チャンチャン
チャンチャカチャンチャン、チャチャンチャ、チャンチャン
日帰りスノボに行ってぇきーたーらー
そのままゲレンデにぃ閉じ込められました。チックショー!
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一番最後の朝7時に雪上車で救助されました。ようやく家に帰れたところです。

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生きてこそ(雪山に閉じ込められた)   八甲田山

(ガーラ湯沢の公式サイトより)
2006.2.25 本日2/25の天気
ずばり「快晴」です!!お客さまのご来場をお待ちしております!!

大学の友人の企画でガーラ湯沢にスノーボードに行ってきました。
ガーラ湯沢を知らない人に説明しますと、ガーラ湯沢&ガーラ湯沢駅は特殊な形態のゲレンデです。まず乗客は東京方面からの新幹線でガーラ湯沢駅に降ります。次にガーラ湯沢駅内でボードをレンタルしたり着替えたりして、荷物は全てガーラ湯沢駅に預ける。そしてガーラ湯沢駅から出ているゴンドラでガーラ湯沢のゲレンデに向かうのです。新幹線から降りて支度してすぐにゲレンデで滑れるので非常に便利です。こち亀に出てきた中川系列のスキー場みたいなもんです。しかしそこに恐るべき罠が!


大体16時頃から、ゲレンデに人が溢れ始めてきました。帰りのゴンドラを待つお客さんたちがゲレンデに長蛇を作っているのです。以前もガーラに来てこの現象はあったので(毎回起きている)別に何とも思わなかったのですが…。
17時頃になると益々人が増えてくる。17時半過ぎに僕達も行列に並ぶことにしたのですが、そこで強風のためにゴンドラが徐行または停止している事が判明。「ええー」と思いつつも我慢して列に並ぶ。日は落ちてどんどん寒くなってきた。まるで『皇帝ペンギン』の寒さに耐えるペンギンみたい。僕達の帰りの新幹線の時刻も過ぎてしまった。僕たちは交代でトイレに行ったりしていた。

19時過ぎ頃になっても僕達はゲレンデに放り出されたまま。ガーラ湯沢駅の東京方面の新幹線も無くなってしまった。アナウンスでは
「21時にガーラ湯沢駅発の臨時車両を出します」
「ガーラ湯沢駅から湯沢駅までバスを出します」
「旅館列車を出します」

と言うけど、僕達はゲレンデに残されたままガーラ湯沢駅に降りれない。っていうか旅館列車って何だったんだろう?検索しても出てこない。僕の聞き間違い?

さらにアナウンスで中上級者用の下山方法が説明される(ここで自分達が結構危機的な状況にいることに気が付いた)。その方法は

  1. 40人一組でパーティを組む。
  2. 雪上車を使い隣のスキー場まで移動する。
  3. 隣のスキー場を降りて脱出する(僕の元に寄せられた体験者の方は「ずっとボーゲンで降りた」そうです。)。
  4. 隣のスキー場からガーラ湯沢までバスで移動する。

とのことですが、この雪上車もなかなかやってこない。いい加減怒り出す人々も出てきた。アナウンスが流れると
「わけわかんねーよ!殺すぞ!」
と叫んでいる人もいた(言葉は酷いが、確かにわけわからんアナウンスだった。叫んだ人の気持ちはよくわかる。)
他にもケータイでガーラ湯沢に電話をかけて
「寒い中小さい子供も待たされているんですよ!何とかしてくださいよ!」
と抗議している人もいた。
僕は大きい大人ですが、この日は快晴でウェアの下はシャツしか着ていなかったため、かなり辛かった。


20時を過ぎても一向に事態は改善されない。
20時40分頃にようやく整理券が配られて僕達はレストランに入れた。3時間もクソ寒いゲレンデに立たされていた。ガーラ湯沢のスタッフ達は一生懸命頑張っていたけど、それでもガーラ湯沢側の対応は最悪だったと思う。『八甲田山』を連想した。
レストランに入って金を払って夕食を食べる。財布ももちろんガーラ湯沢駅のロッカーの中に置いてきたために手持ちのお金が足りず、友達にお金を借りた(酒を飲まなかったらお金は足りたんですが)。
ちなみにこの時間に強風のためにゴンドラ内に3時間取り残されるというトラブル(っていうか事件だろ…)が発生していたらしい。僕達はそんな深刻な事態になっているとは知らなかった。でもまあゴンドラでしか下山できない状況で
「ゴンドラに取り残されている人がいます」
なんて知ったらレストラン内は確実にパニックが発生したと思う。知らないで良かった

2006/03/01|▼この記事の直リンク先

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生きてこそ(雪山に閉じ込められた)   The 40 Year Old Virgin

ゴンドラが危険な状況になっている事を知らない僕たちは、21時頃でも
「東京帰るのは難しいなー」
程度に思っていました。僕だけ東京から遠い横浜なので、友人に
「上野にいいカプセルがあるぞ!」
と言われていました。確かにもうカプセルを使うしかない。しかし22時頃に
「風はおさまりません。むしろ強くなっています。本日はゴンドラの運転再開ができません」
というアナウンスが流れた。今更そんなこと言われたって…。

強風でゴンドラが止まるってのは仕方無いと思うけどさ。強風が発生したら出られなくなるってガーラ湯沢は危険なゲレンデじゃないの?ゴンドラ以外にも下山方法を確保すべきじゃないの?それにガーラ湯沢側は1500人が下山できない可能性があるってわかった時点で雪上車を使うべきだったんじゃないの?(ただし一度の雪上車で脱出できるのは40人だった。うんでもって雪上車の往復には1時間かかる。つまり1500人が下山するのには40時間近くかかる!)

ガーラ湯沢側は
「誠に遺憾であり、早速、原因究明及び対策を実施してまいります。」
と言ってますが、その原因や対策ってこっちが知ることできるのかな?メール送ってみようかな。


僕達は幸いレストラン内に席を取れたけど、そうじゃない人は廊下やトイレの前で休むことになった。今までテレビニュースで「災害が起きたので、公民館や体育館で寝ている人々」を思いっきり他人事だと見なしてきたけど、ついに自分もそーいう状況になったか。
23時頃にレストランでカレーライスが無料配布される。遅いよ!もう金払って夕飯食べちゃったよ!(カレーを無料配布したとはいえ、おおよそ1000人位が高い値段の夕食食べたんだからこのレストランは結構儲かったんじゃ…)
ちなみにこの時間帯に毛布が届いたんだけど全然数が足りない。毛布も整理券順なので手に入らない。周囲の人は誰も毛布が入手できていなかった。仕方無いので僕は売店でダンボールを貰ってきて床に寝ることにした。僕の仕事は徹夜が多いので、こーいう寝方は慣れています。
荷物が何も無いのでコンタクトレンズを外しても保管できない。ガムシロップの容器をお茶で洗って、コンタクトレンズの入れたら次の日、コンタクトレンズがお茶の色に。交換タイプなんで別にいいけど。


ガーラ湯沢のスタッフは頑張っていたけど、ガーラ湯沢側の対応が根本的にマズいと思う。ゴンドラが停止しても取り残された客には
「ガーラ湯沢駅で臨時列車や湯沢駅までのバスを出します」
って説明を繰り返したり(下山できないんだからそんなもの意味がない)、食事の配布時間や毛布の到着が深夜だったりで、ガーラ湯沢側はどうやら下山できない事態を想定していなかったようです。


1時半頃に友人達に起こされる。ゴンドラが本格的に動き始めたのと、毛布が大量に届いたらしい。でも僕たちの整理番号の順番はかなり後ろなので、ゴンドラに乗れるまでは大分時間がある。それに「とりあえず今は寝ていたい」「下山しても眠る場所が確保できない」という事で、僕たちはグッスリ眠るって朝になったら下山することにしました。
ゴンドラが動き始めて下山できる人が多いので、レストラン内も人が少なくなってきた。広めに場所が取れるので毛布を広げて寝ることにしました。その時僕は
「初対面の女性と隣り合わせで寝るなんて、恥ずかしくて…」
と言ったら
「(アンタは)どんだけバージンなんだよ!?」
と初対面の女性に言われた。

2006/03/02|▼この記事の直リンク先

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生きてこそ(雪山に閉じ込められた)   恐怖の報酬

(ガーラ湯沢の公式サイトより)
2006.2.26 本日2月26日(日)ガーラ湯沢営業休止
2月26日(日)は強風のため、全ゲレンデ営業休止となります。なお、他スキー所への振替も行えませんのでご旅行の中止をお願いいたします。大変ご迷惑をおかけします。心からお詫び申し上げます。

ゴンドラに閉じ込められた人は悲惨だったけど、ガーラ湯沢に一泊二日で来てた人たちも悲惨だったろうなー。何せ予約していたホテルに入れなかった上に、二日目はゲレンデが閉鎖になったんだから。


夜が明ける朝5時頃に僕達は放送で起こされました。放送の内容は
「強風のためゴンドラは本日も15時頃まで動きません」
夜眠ってしまった僕達はまたもや取り残されたのだ!かなりのポカをやってしまった!ちなみに報道で言ってた最後まで取り残された96人とはこの人たちのことです。しかしその後
「雪上車を呼びますので、それに乗ってください。」
との事。これでようやく下山できる。雪上車は子供連れ優先だったので、僕たちは朝7時まで待って最後の雪上車に乗り込むことになった。2台の雪上車に分かれて乗った。まるで『恐怖の報酬』みたいでカッコ良かった。どっちか谷底に落ちるとかしたらドラマチックだったんだがなー(オイオイ)
しかしです、雪上車でゲレンデを降りるのです。あの急角度を車が下りるのです。僕は腰掛けてたからいいけど、雪上車の中で立っていた人は酷い目に遭っていました。

雪上車に乗って隣のスキー場経由で下山をして(これが朝8時で、この時全員下山完了)、バスでガーラ湯沢駅に向かい、ようやく脱出できました。
下山するとマスコミがいたので、この事件がニュースになっていることを知りました。親からもメールが来ました。何人かインタビューを受けたらしいので、この時ケータイから破壊屋の掲示板に
「『生きてこそ』みたいな美談を作れば良かった」
と書き込みしました。


これで話は終わりです。ちなみに友人たちには
”寝ていたら下山できなかった”なんて情けないので、今回の事件の話を周囲にする時には”オレたちは自分の意思で敢えて最後まで残った”ことにしよう」
と提案しておきました。


ところで掲示板で僕の事を心配してくれた常連さんからこんなカキコを頂いた。
>(色々事件が起きているギッチョさんは)全くと言っていいほど刺激のない自分の人生に、2%ぐらいハプニング数値を分けてもらいたいです。
そうかなぁ?普通の人とそんなに変わらんと思うけど。でもまあ、雪山に閉じ込められてレストランの中にみんな集まっていて、そのうち僕達は飢えに苦しみ始める。閉じ込められた人々の中には実は猟奇殺人犯がいて、(以下むごたらしい文章なので省略)レストランで調理した八仙飯店のなんとか饅頭を作る。極限状態に追い込まれた何人かは理性を失い何と猟奇殺人犯に同調してしまう。そして理性を失った殺人集団は、レストラン内にあった緊急時用のマサカリをかついでMassacre開始。何とか逃げることができた僕達は僅かばかりの食料を持って雪山の奥へ逃げる。吹雪の中で一夜を明かすためにスノーボードで知り合った美女と抱き締め合うんだけど、眠ってしまった彼女は次の日の朝死んでいた。悲しみを抑え僕達は下山に必要な雪上車を手に入れるために、再びレストランに戻り潜入する。しかしレストランを支配していた殺人集団に見つかってしまい、何人かの犠牲者が出てしまい、僕と友人にも絶対絶命の危機が来る。だがその時雪崩が起きて、殺人集団ごと全てを飲み込んでしまう。僕と友人だけはすんでのところをスノーモービルで脱出し山を降り始める。友人は「オレ、麓に婚約者が待っているんだ」と生きる喜びを感じているが、そこに最初の猟奇殺人犯が襲ってきて、友人は崖から宙吊りになってしまい、そのロープは僕の体にくくりつけられている。僕は緊急避難でロープを切断し、猟奇殺人犯と一緒に友人を崖の下に落とす。たった一人で下山した僕は
「本当に恐ろしいのは自然ではない!人間なんだ!」
と泣き叫び気が狂ってしまうんだったらハプニング一杯で刺激のある人生だと思いますが、実際僕は疲労困憊していて何もする気が起きませんでした。刺激なんて全然無かった。帰りの新幹線の中では友人と
「男女で雪山に閉じ込められたのに、オレ達男としての株を何も上げれなかったなー」
と反省してました。

2006/03/03|▼この記事の直リンク先

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生きてこそ(雪山に閉じ込められた)   クリフハンガー

今回の騒動で周囲の人たちから
「まるで『ホワイトアウト』みたい!」
と言われるのがちょっと…。あんなつまらん映画よりももっとイイ映画はある!少なくともレニー・ハーリン監督の『クリフハンガー』があるぞ!他にもレニー・ハーリン監督は『ダイハード2』『ロング・キス・グッドナイト』などのスノーアクションを撮っているぞ。実は下山できなかった日はレニー・ハーリン先生の『マインドハンター』の公開初日でした。先生を無視してスノーボードやってた天罰だったのか!(破壊屋は昔レニー・ハーリンのファンサイトだった)

というわけでマニアックな映画ファンが集まる掲示板で
「みなさんだったらどんな映画を連想します? 」
と質問してみました。返って来た回答はどれもすげーマニアック!流石だ。



破壊屋の掲示板には『南極物語』もありました。僕が他に思いつくのはスタローンの『D-TOX』。あとやっぱりレニー・ハーリンの『ディープ・ブルー』にも雪山に閉じ込められるエピソードがありますね。『バーティカル・リミット』は何か違うな。
『生きてこそ』は複数回答がありました。やっぱりこれが定番ですよね。ちなみに「生きてこそ」を調べようと検索したら凄いことになった左側の検索結果の文章と、右側のスポンサー欄の内容に差がありすぎて笑え…っていうか怖い。
ちなみにスノーボードに行った仲間内では『私をスキーに連れてって』がでました。この映画のタイトルって今聞くと韓国映画みたいだなぁ。

2006/03/16|▼この記事の直リンク先

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破壊屋200720062005