破壊屋に戻る01月の更新内容全てを表示2008年の映画の感想を一覧表示

ぜんぶ、フィデルのせい   ★★★

僕が前田有一の超映画批評を取り上げなくなったのは、『ハイテンション』の感想を読んで呆れてしまい、「前田有一氏は映画を観るプロではない!こんなの読んでも仕方ない!」と思い、それ以来読まなくなったからだった。「あの文章のここがおかしい」と指摘する気も起きなかった。
前田有一氏の『ハイテンション』の感想は一見普通に褒めているだけだし、『ハイテンション』は僕も面白いと思っている映画だ。でも実際に『ハイテンション』を観た人が前田有一氏の感想を読むと唖然とするだろう「私は物語の整合性、公平性、構成の巧みさを高く評価するタイプ」「非常にフェアである」「優れたミステリというものの暗黙のルールを、実に良くわかっている。 」という部分は普通に笑ったぞ。『ハイテンション』が未見でネタバレしても構わない人は、allcinemaのコメントを読むと前田有一氏の文章の何がヤバいのかわかりやすいと思う。


で、まどぎわ通信が『ぜんぶ、フィデルのせい』について、前田有一の超映画批評をミスリードだと指摘していたので、久し振りに超映画批評を読んだんだけど………うわー、これは確かにミスリードだ。別に前田有一氏は間違ったことは書いていないと思う。でもこの作品のことを誤解している。前田有一氏は思想を右と左でしか判断できない上に、「左だからダメ」というのが前提かつ結論なので映画の内容が理解できていない。ウーマンリブを描いていることに全く気がついていないのも実に前田有一氏らしい。女性の証言者たちが集まっても「あー共産主義だね」と考えてしまったのか、そのシーンが何を意味しているのかまでわかっていない。『ぜんぶ、フィデルのせい』を観て前田有一氏と同じ感想持っているヤツがもしかして他にもいるのか?と心配して検索したが、今のところそんなヤツはいないのでホッとした。


『ぜんぶ、フィデルのせい』のストーリーは公式サイトにラストシーンまで全て書いてあるので、映画を観るつもりが無い人はそちらを参照して。


『ぜんぶ、フィデルのせい』という映画は、両親が突然左翼系の活動に目覚めてしまい、その娘がえらく困ってしまうという映画だ。こんなシーンがある。家にはキョーサン主義のヒゲの活動家たちが出入りするようになったので、娘はヒゲの活動家たちに質問をする。
「キョーサン主義って何?」
「ぼくたちは一つのミカンをみんなで分けて食べようとしているんだよ。」
「ミカンを売ってお金を儲ければいいじゃない。」
「儲けようとしないんだ。代わりに君の宿題をやってあげるよ。」

以下、ネタバレ

こんなシーンもある。共産主義者たちからダンケツの精神を学んだ娘はついでに家政婦からこんな話を聞く。
「私の国では動物たちが神様に会いに行く時に、みんな力を合わせるのよ。カエルもね。」
その家政婦はベトナムからやってきた女性だった。娘はダンケツの意味を勘違いしてしまう。「みんなが間違っていてもそれに合わせること」だと考え、失敗してしまう。

それ以外にも娘は大人たちの活動にひたすら困惑する。大好きな日曜日もいつも台無しだ。いつも不機嫌になる。それは全部フィデル・カストロのせいだ。でも娘はその激動の中で色々学んでいく。
ある日チリの社会主義体制にとって大打撃となる事件が起き父親は呆然とする。そんな父親の手を娘は握り締めてあげる。もう娘は不機嫌じゃない。どうして父親がそういう活動に身を投じたのか理解したからだ。


観ればわかるんだけど、この映画のストーリーで重要な要素は実は「中絶」だ。中絶の問題で苦しんだ女性が何人も登場し、それぞれのエピソードが語られる。さらに両親の実家にも中絶した女性が住んでいる。
両親の実家は保守派だった。娘がある日実家の庭を歩いていると、罠にかかって千切れた狐の足を見つける。狐は自分の足を噛み切って逃げ出したのだ。
一方母親は中絶に関する本を出版した。当時としては大問題だったが、それが母親の戦いだった。この時代はウーマンリブの時代でもあった。


娘は学校でこんな授業を受ける。
「飼い主に逆らった羊は死にます。従順さが大切なのです。」
でも両親の姿から色々学んできた娘は反論する。
「先生、飼い主と共に生きる羊さんと、そこから逃げ出して山で生きようとする羊さんがいます。狐さんも自分で逃げたんです。」
「あなたは間違っています!」

娘は「あんな学校嫌!」ということで、親友と別れてでも転校することを選ぶ。母親も父親も娘の決断を支持した。

映画のラストシーンは子供たちが元気よく遊んでいる場面をずーっと俯瞰で撮影している。この終わり方は実にフランス映画らしい。


以上のことからわかるように、この映画の内容に僕たち現代日本人の政治的立場はそれほど関係ないはずだ(ホントはキリスト教がかなり関係しているけど)。娘が学んだのは共産主義や社会主義ではないし、それに対する反発でもない。自分の意見を言うことの大切さだ。

どうしてラストシーンが俯瞰なのか?どうして娘の親友はベトナム人の料理が食べられないのか?どうして狐の足が千切れていたのか?どうして娘は嫌いなスペイン人の従姉妹と仲良くなったのか?映画の各シーンの意味が理解できると、映画は益々面白くなる。だけども映画ってのは中々わかりにくい。わかりにくいけど「ラストシーンが俯瞰なのは、束縛のない新しい社会に溶け込む様子を描きたかったらです」ってナレーションで解説するわけにはいかない。映画を観るプロたちはそのために存在する。

2008-01-28

はてブ▼この記事の直リンク先

破壊屋に戻る01月の更新内容全てを表示2008年の映画の感想を一覧表示