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『少林少女』の脚本の酷い部分ベスト10   

『少林少女』は十分な準備期間があった映画とは思えないほど酷い。柴咲コウが本当に血の滲む想いをしても、優秀な女優たちを集めてラクロスチームを結成しても、結局全てがブチ怖しとなった。
『少林少女』が大批判を浴びる映画となってしまった原因は製作側にあるわけだが、とりわけ十川誠志が書いた脚本が凄い。
ここまで出来が悪い脚本が商業映画に使われるのは奇跡だ。「愛とか正義とか癒しとかラクロスとかキーワードだけをブチ込んどきゃ流行は作れるんだよ!というのがフジテレビの考え方だが、だからといって本当にキーワードをブチ込んだだけの脚本を書きやがった。というわけで僕が唖然とした『少林少女』の脚本の酷い部分ベスト10!


第一位:クライマックスでどうして柴咲コウがあの場所に突撃するのか説明がない。
「あの場所」とは大学内の施設。施設についての伏線は「あそこはトレーニング施設です」という台詞が前半にあるだけ。施設で中国人美少女が囚われていたのも単なる偶然だった。
ハリウッドでこんな脚本を書いたら二度と仕事が来ないよ。こんな脚本家に仕事があるのは日本映画界だけだろうな。
第二位:前半と後半で矛盾が発生している。
「仲村トオルにとっては力よりも美」→「だから仲村トオルはラクロス部設立」というのが前半だったのに、後半で「柴咲コウがラクロス部の中心人物になる」→「仲村トオルは柴咲コウを倒そうとする」という矛盾した展開になる。これはラクロスのストーリーと少林拳のストーリーが融合していないのが原因。
さらに言うと仲村トオルの「ただ力を欲する」という設定とも大きな矛盾を引き起こしている。
こんな酷い脚本を書く十川誠志も凄いが、この脚本を没にしない本広克行と亀山千広も凄い。十川誠志って亀山千広の弱みでも握っているんじゃないの?
第三位:クライマックスで柴咲コウが台詞じゃなくて単語を連発。
ここ数年の日本映画の悪い癖として、説明的な台詞で映画のテーマをベラベラと語ってしまうというのがある(『ゲド戦記』とか)。しかし十川誠志は説明すらしなかった。そのために愛と癒しのクライマックスで柴咲コウが「宇宙」「キラキラ」など単語のみを連発。まるで心のビョーキみたいな人になってしまった。こんなんで感動する人がいるってのは結構恐ろしいことだと思う。
第四位:脚本家がラクロスを知らない。
セリフに専門用語無し。パンフレットではポジションが存在したけど、多分脚本上は登場人物のポジションすら決めてないね。
でもこれって十川誠志が悪いんじゃなくて、おそらく
「すいません、私ラクロスわからないんですけど」
「脚本にはラクロス無くていいよ。あとは現場で何とかするからさ」

という話が行われて、現場で何とかならなかったんだと思う。そういや「事件は現場で起きてんだ!」とかいうくだらない映画があったな。
映画本編ではみんなで練習するシーンがモンタージュ、みんなで試合をするシーンはダイジェストになっており、ラクロスを描写することを全力で回避している。
第五位:ラクロスのチームプレイを学ぶためにサッカーをやる。
ラクロスやってチームプレイを学べよ!これも脚本家がラクロスを知らないことの弊害だよなぁ。
第六位:柴咲コウは大学生じゃないのに大学のラクロスチームの選手
これって普通の発想じゃないよね。フジテレビの発想だよね。自分がスポンサーのチームのためなら何でもやるという発想。この映画に出てくる悪の大学って何となくフジテレビに似ているんだよなー。
第七位:話の本筋が存在していない。
ムチャクチャな映画だと思われている『少林サッカー』。あれは少林拳の達人たちが「少林拳の使い手だからって実生活には何の役にも立たんよ!」ということでショッパイ人生を送っていたが、少林拳をサッカーに応用することでショッパイ彼らが輝きだす。という単純だがシッカリした本筋が存在する。だからこそ[「街中に少林拳がある風景」]を主人公が見ているラストシーンが活きてくる。
しかし『少林少女』には本筋が存在していない。少林拳を普及させたいの?ラクロスで勝ちたいの?悪と戦いたいの?悪を愛したいの?仲間を見つけたいの?どれが本筋なのかサッパリわからない。
第八位:理由もなく瞬間的に悪が癒される。
ここ数年の日本映画の悪い風潮が、さらに醜悪な形となった。癒しの理由が特に無いのも恐ろしい。大川隆法でも池田大作でもこんな展開は発想できないよ。
第九位:登場人物に背景が存在していない。
柴咲コウはどうして凄い力の持ち主なのか?仲村トオルはなぜ力を欲するのか?江口洋介は何がしたかったの?中華料理屋にいた仲間たちは何なのか?登場人物たちの背景がさっぱり見えてこない。背景が存在してないので、柴咲コウは仲村トオルを大学内で見かけただけなのに戦いを挑む。という妙な展開になる。
第十位:ラクロスチームに問題点が存在しない。
「落ちこぼれたちがアイスホッケー」「素人たちが相撲部」「男の子がシンクロ」「不良たちが甲子園を目指す」。チームの物語の基本だ。「乗り越える」「成長する」、『少林少女』にはそんな基本的な要素すら存在しない。それで映画作って観客が感動するわけないじゃん!
次点:柴咲コウが少林拳を教える相手は、少林拳の達人4人と一緒にいる中国人。
少林拳を教える意味が見えてこない!人物配置は脚本の重要なポイントだが、ここまで豪快な人物配置のミスは珍しい。

2008-05-09

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