ポニョは崖の上にいた人間の男の子:宗介と出会って恋に落ちる。[宗介の血を手に入れたポニョは人間に変身。ついでにポニョはパパが作っていた滅びの水をぶちまける。そしたら津波と巨大魚が大量に発生するというディザスター&モンスターな状況になって町は滅ぶ。]
ずいぶんと暴走したストーリーだが、この時点で上映時間の1/3だ。残りの展開では[町が滅んでたというよりも、むしろ世界が崩れかかっている]ことが判明する。
『崖の上のポニョ』は今までの宮崎アニメと違ってストーリーに意味が無い。ストーリーに意味が無いということはつまりダメな映画ということである。
一番目立つのは世界が崩れたことに何の意味も持たないということだ。あれだけの大災害が起きているのに、宮崎駿は「水が引けば元通りになる」と信じられないことを言っている。
『崖の上のポニョ』は童話の『人魚姫』をさらに子供向けにした作品である。『人魚姫』には「魔女の制約で声が出ない」「人魚に戻るためには王子を殺す」といったストーリーを深くする要素があったが、『崖の上のポニョ』にはそういう要素が無い。ストーリー上のひねりが無いのだ。
また宮崎駿は『崖の上のポニョ』を作る際に「初源に属するものをためらわず描く」と言い、生命力も愛も勇気もそのまんま描いた。しかし映画のテーマをそのまんま描かれても「いやーこの映画って生命力と愛と勇気に溢れていますねー」とは褒めにくい。
以上、ポニョの欠点。
こう書くと『崖の上のポニョ』が悪い映画に思えるかもしれないが、僕は高く評価する。何故なら『崖の上のポニョ』は最高の妄想映画だからだ。宮崎駿は現代社会を「神経症の時代」と表現しており、そのカウンターとして『崖の上のポニョ』を作った。しかしこっちが神経症ならあっちは妄想としか思えない。
『千と千尋の神隠し』の公開当時、作品に込められた高いメッセージ性と豊かなイマジネーションを世界が絶賛した。でも本当のこと言うと『千と千尋の神隠し』の高いメッセージ性と豊かなイマジネーションの原動力とは、宮崎駿が自身のガールフレンドたち(対象年齢10~12歳、全員の年齢を足しても宮崎駿より若い)をターゲットにした結果だった。
『崖の上のポニョ』ではその対象年齢がさらに低くなり5歳児をロックオン。 『千と千尋の神隠し』では湯婆婆や釜爺を通じて少女を上から目線で見つめていたが、『崖の上のポニョ』は違う。『崖の上のポニョ』では宮崎駿が5歳児と同じ目線で幼女ポニョを見つめている。『崖の上のポニョ』の主人公の宗介(5歳)とは宮崎駿(67歳)なのかもしれない。そう解釈すると、『崖の上のポニョ』に込められた妄想が見えてくる。
『崖の上のポニョ』で一番妄想っぽい要素は、宮崎駿である宗介が会う2人の女だ。
一人目の女性は宮崎駿の母親をモチーフにしたトキ(いじわるなおばあさん)である。宮崎駿は天国で母親と再会することを想像しながら『崖の上のポニョ』を作った。これが後半のトキさんと宗介のエピソードとなる。
宗介が通るトンネルは、『天空の城 ラピュタ』でパズーが父の姿を追い求めた竜の道と同じで異世界への入り口を意味する。トンネルを抜けた宗介は、トキさんの胸に飛び込みそのまま極楽的な世界へ移動する。極楽的な世界では宗介の物語上の母親であるリサが待っている。天国での母親との再会を映像化したのだ。
宗介が物語上の母親であるリサを「ママ」とも「お母さん」とも呼ばないのは、宮崎駿がリサではなくてトキさんを自分の母親と見なしていたことが関係しているのかもしれない。
もう一人の女は当然ポニョである。幼女ポニョはとにかく宗介のことが「だいすきー!」なのだ。前提が「だいすきー!」なんだが結論も「だいすきー!」で劇中感情が全く変化していない。それ以外の感情が見えない。そしてポニョと宗介の関係が、フォーエバーラブストーリー(ただし彼らは5歳)となって映画は終わる。宮崎駿が本作で描きたかったのは極めて単純な愛と勇気だ。だから僕たちもポニョと宗介の関係をそう解釈してあげればいい。でも今までの宮崎駿って少女に対して確固たる理論を持っていたはずなのに、『崖の上のポニョ』にはそれがない。老人となった宮崎駿が少女に望んだたった一つのことが「だいすきー!」だというオチは感慨深いものがある。
僕は『千と千尋の神隠し』を観た時、宮崎駿をルイス・キャロルと同類として捉えていた。少女への想いを作品に昇華する点が似ているからだ。でも『崖の上のポニョ』を観た後では、宮崎駿はヘンリー・ダーガーと同類として捉えるべきなのかもしれない。ヘンリー・ダーガーとは裸の少女戦士と妄想ファンタジー物語を描き続けて死んだ老人だ。
ところでこの映画の本当のラストシーンはあのキスシーンではないと思う。
『崖の上のポニョ』は、0号試写と完成披露試写会で大人たちから高い評価を得た。なのに宮崎駿は子供たちの反応が鈍いことを理由に落ち込んだ。素晴らしい映画を作ったにも関わらず、子供たちを引き付けられずに落ち込む宮崎駿の姿。自分が子供になったつもりで映画を作ったのに、子供たちに受け入れられなかった宮崎駿の姿。これこそが『崖の上のポニョ』の裏ラストシーンだ。
最後に僕が『崖の上のポニョ』を高く評価している本当の理由を書く。それは波にライドオンしたポニョが爆走カーチェイスするシーンが超面白かったからだよ!
以下はオマケネタ
2008-07-31