『お買いもの中毒な私!』のいろんなポスター。
ハリウッド映画『お買いもの中毒な私!』は単なるコメディ映画ではなく、アメリカ型消費社会の現状とそこから立ち直ろうとするヒロインの姿を描いた映画だ。が、描いているにもかかわらずその説得力が弱い。なぜなら映画の中盤に「何じゃそりゃ!」としか言いようがない都合の良い展開になるからだ。
以降は『お買いもの中毒な私!』の中盤のネタバレである。読む人は気をつけてほしい。
お買いもの中毒なヒロインは雑誌の編集部で仕事していて、若くて実力のある編集長に恋をする。しかし編集長は立派なスーツを持っていない人だった。ある日のこと、編集長が業界のパーティに参加する話が出てきたので、ヒロインは編集長を連れてに行く。お買い物だけが取り得であるヒロインが活躍できる瞬間かと思いきや………編集長は[自分で完璧なオーダーをしているのだ!]その颯爽とした様子を見たヒロインが
「You speak Prada?(あなた、プラダ語が喋れるのね?)」
とかなりムカつく台詞を言う。そう、編集長は[大金持ちのボンボン]だったのだ………。
これは随分と都合が良すぎる。『お買いもの中毒な私!』の後半ではアメリカ型消費社会に対する批判があるのだが、その説得力が弱くなってしまった。僕の心の中に「結局ヒロインはボンボンとハッピーエンドになるんじゃないの?」という意識が出来てしまったからだ。
しかし「恋した男性が実は大金持ち」という展開は単純に否定することはできない。この展開は女性向け大衆恋愛小説(例:ハーレクイン)の定番だったりするのだ。
日本の女性向け大衆恋愛小説ならば、ちょっと違うけどケータイ小説というのがある。ケータイ小説では「恋した男性が実は大金持ち」という設定は絶対にあり得ない。日本の女性読者はそんな設定にリアルさを感じないからだ。ケータイ小説において「リアルさを感じる」というのはもっとも重要な要素で、『恋空』『赤い糸』などの大ヒットケータイ小説は「実話」という触れ込みになっている(真偽はともかくとして)。
しかしアメリカの女性たちは「リアルさ」よりも非日常的な「夢物語」を味わいたいのである。そのためアメリカの女性向け大衆恋愛小説では、ちょっとありえないパターンが多い。
というゴージャスな設定が定番なのだ。特に「実は」というのがポイントになっていて、「わたしはお金に釣られたんじゃないの、そんなこと知らなかったの、恋した人がたまたまセレブだったの」という言い訳ができるようになっている。
有名恋愛映画でいえばジュリア・ロバーツ&リチャード・ギアの『プリティ・ウーマン』も、メグ・ライアン&トム・ハンクスの『ユー・ガット・メール』も、男性側が大金持ちという設定だったりする。だから『お買いもの中毒な私!』のように消費社会批判なのにボンボンと恋愛、というちぐはぐな映画も生まれてしまうのだ。
いちおう『お買いもの中毒な私!』のフォローをしておくが、編集長には[「セレブな親から離れて自分の力で成功する!」]という目的が用意されている。また消費社会批判を行うときは、[ヒロインが編集長にフラれている]状態になっている。脚本上の工夫はちゃんとこなしている映画だ。
2009-08-16