映画の評価を知ろうとして海外の掲示板を読んでみると、いつも「?」と思うことがある。それは「神が議論の対象になること」だ。海外の掲示板では、キリスト教右派らしき人たちが議論を巻き起こしている場合がある。彼らにとって「映画の内容が聖書的かどうか?」というのは非常に重要なことだ。だから彼らにとって不都合な映画は攻撃の対象となる。特にファミリー・ムービーに対して顕著だ。子供が観る映画に聖書の観念が入っていることがキリスト教右派にとって望ましい。
今、海外では『ライラの冒険 黄金の羅針盤』の掲示板が思いっきり荒れている。キリスト教右派たちが論争を起こしまくっているからだ。無神論者のことを英語で「ATHEIST」というのだが、掲示板には「ATHEIST」という単語が一杯使われている。
何故かと言うと『ライラの冒険 黄金の羅針盤』の原作者は無神論者で、作品の中で神に対する反乱を描いているからだ。これはキリスト教右派たちにとって非常に不愉快な状況だ。
掲示板の記事を読んでみると、『ナルニア』と『ライラ』を比較している意見が多いのも特徴的だ。映画『ナルニア』を観た日本人たちには、映画の中で死亡やら復活やらがオートマチックに発生するので「?」となった人が多いと思う。あれは『ナルニア』が聖書をモチーフとしているからだ。だから『ナルニア』はキリスト教右派達にとっては好感の持てる映画になる。
映画『ライラの冒険 黄金の羅針盤』は、映画会社の方針でアンチ宗教的な側面は取り除いてある。問題となりそうな描写も悪役=教会と描いている程度で、徹底して攻撃されるような作品ではない。でもカトリック連盟がボイコット運動を表明したので、『ライラの冒険 黄金の羅針盤』への攻撃が始まった。映画を観た子供達が原作に手を出すのを恐れているのだ。
思想が違えば映画に対するスタンスも違うのは当然のことだ。日本のネット上だと前田有一の超映画批評が非常にわかりやすい。前田有一氏は映画の主人公が反戦的な考えを示しただけで怒りだす。監督が徹底した反戦主義の観点を持つ『母べえ』では、「出征シーンで子供が泣いているから左翼的プロパガンダだ!」と前田有一氏が怒っている。確かに泣いている3,4歳の子供が一人画面に映っているんだけど、別れのシーンで泣いている子供がいるくらい当たり前の演出なのに!(右翼にとっては出征で泣いたら悪いことなのか)
そういう僕も『俺は、君のためにこそ死にに行く』を観たときは、靖国オチで苦笑している。靖国神社で英霊参りしている人たちにとっては筋も通っていて素晴らしいシーンのはずなのに!
でも『ライラ』のように「無神論者は悪だから絶対に許さん!否定してやる!」と政治的な煽りと攻撃が始まるのはバカらしい。このバカらしさは「韓国が嫌いだから」という理由だけでネット上で韓国映画の評価を下げようとしている日本人たちや、「日本が被害者的に描かれているから」という理由だけで素晴らしい反戦映画・戦争映画を公開させない韓国人たちにも感じる。
まあ「アレはプロパガンダだ!」と攻撃する人が一番プロパガンダしているのはよくある事だよね。
2008-03-06