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キレイゴト   

ちょっと前に『余命一ヶ月の花嫁』のヒロインが現実ではAV女優だったことが話題になっていた。「元AV女優」という点以外にも色々バッシングされているが、「美談の主がAV女優だったなんて!」と怒っている人たちが多いのは滑稽だ。何が嫌なんだろう。でも『余命一ヶ月の花嫁』の作り手側がAV女優だということを隠した点も滑稽だ。引退したAV女優という設定のほうが確実に深く重い作品になるはずなのに。欧米の映画だったらヒロインが性風俗産業にいる(たいていはストリッパー)という設定はよくある。日本じゃそういうのは受け入れられないのだろうか。


『恋空』のヒロイン:美嘉は映画版もドラマ版も清楚で純情そうな女の子として描かれていた。しかし美嘉は授業を抜け出してセックスし、学校内でセックスして妊娠する(これがホントのスクール・シューティング!)。彼氏は金髪でバリバリのヤンキーだ。映画秘宝には「美嘉ってビッチだよね」と書いてあったが、僕はそれを読んで「ビッチの何が悪いんだよ!」と思った。でもまあ確かにビッチだ。美嘉は純情な女の子とはかけ離れた行動を取る。
破壊屋オフ会では 「美嘉を演じるのは新垣結衣じゃなくてギャル曽根にすべきだった。」 という意見があった。その通りだと思う。『恋空』のヒロインをギャル曽根にして

  1. 純情なヒロインが恋愛依存になってビッチ化する
  2. レイプ・妊娠・流産を経験する。
  3. 一回り成長したヒロインは、自分の物語をケータイに記す。
  4. それが世間に出回って、多くの若い女性が共感してくれた。(←これが映画のオチ)

という企画にすれば、『恋空』はもっと深い作品になっただろう。


『赤い糸』のヒロイン:メイも全く同じで、映画版もドラマ版もとにかく純情な女の子として描かれる。好きな男と手を繋ぐシーンすらないし、キスが一回あるだけだ。原作のメイとは全く違う。原作のメイは14歳の女子中学生だが、酒を飲んで、朝起きるとヤニを吸い、髪にメッシュを入れて、日サロに通い、友人男性に次々と抱かれる女だ。もう一度書くがメイは14歳なのだ。原作のメイと実写化されたメイは全く違う生命体だと言い切れるほど違う。


ローティーンやミドルティーンの時期に遊びまくっている子が純情でおとなしい子というのはちょっとありえないな設定だ。でも実写化された美嘉とメイは純情そうな女の子になっている。ビッチだと受け入れられないのだろうか?それは違う。『赤い糸』の原作はメイがビッチであることを一切隠していない。日本ケータイ小説大賞を受賞して映画化もされた『クリアネス』は個人営業の風俗嬢………つまり娼婦がヒロインだ。タイトルがズバリすぎて笑ってしまう『泡姫』というケータイ小説もある(ただし泡姫とはソープ嬢のことではなくて人魚姫という意味、でもやっぱりヒロインは娼婦)。ケータイ小説を好む女性たちにはギャルが多いので、こういった描写を余裕で受け入れている。

にもかかわらず性的な要素が取り除かれて「純」になってしまう最大の理由はやはり「テレビ」だろう。『余命一ヶ月の花嫁』には「テレビで話題作り」→「映画でヒット」という流れに載せようとしている。『赤い糸』はもっと凄くて「テレビで話題作り」→「映画でヒット」→「映画の続きはテレビでやります」という流れだ。テレビで性的な要素を流すわけにはいかないから全部「純」になる。でもテレビだけを批判するわけにもいかない。売れるモノを作ろうとするのは当然だ。
問題があるのは「人間にはそういう部分がある」というのを見たがらない世間の目かもしれない。安易な感動にすぐに飛びついている。エロやグロが無くても心の底から感動して泣ける。映画やドラマに「病死・事故死」という展開が多いのも、単にそのほうが簡単に涙を誘えるだけであって社会的な背景は無いんだと思う。


まあとにかく何が言いたいかと言うと、キレイな物語やキレイなヒロインなんてつまらんという個人的な意見である。日本映画にもっとビッチが欲しい!性的な意味ではなくて、あばずれな性根を持つヒロインが観たい!そういう意味で『プライド』は大変素晴らしい傑作であった。

2009-02-08

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