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03/09/27    TOP文のみ

S.W.A.T.   ★★★

    「踊る大捜査線2」で青島刑事は「どうして現場に血が流れるんだ!」という台詞を吐きました。現場が感じる疑問と苦悩を叫んだこの台詞は、受態的な日本人には非常に共感しえるもののようです。しかしアメリカ人は違う、アメリカ映画は違う。彼らにとって映画とは「どうして現場に血が流れるんだ!」なんて疑問が入る余地は一切無く、映画の始まりから終わりまでまんべんなく現場には血が流れるべきなのです。
    別に公開初日に張り切って観に行く事も無いいつものアクション映画なのですが、予告編の「すぅわぁっと」という声が頭にこびりついてしまい、頭からこの声を払拭するために観に行きました。そしたら劇場は例のキャンペーンのおかげで観客の半分が男子中学生(女子皆無)という恐ろしい状態。
    映画の前半のストーリーはよくある不良の青春モノです。
    主人公とそのダチはサッカー部の部員。彼らはある日街で弱いものイジメしてカツアゲしているチンピラをシメる。しかしその事が問題になって意地悪な教頭先生に呼び出される。「お前ら何度注意してもケンカをやめないんだな!退部処分だ!それとこれからはずっと体育倉庫を清掃するんだ!」
   しかしその後主人公だけ職員室に呼び出される。「先生はお前が悪くないことは良くわかってる、お前のダチが悪いんだよな。もしお前が”悪いのはアイツです”と証言するなら、お前だけは見逃してやる。」
   だがダチを裏切る事が出来なかった主人公は清掃係に。またダチは自分が主人公に裏切られたと勘違いして学校を辞めて本物の不良になってしまう。
    それから半年後、学校に新しい先生がやってきた。先生はサッカーで不良達を更正しようとして新しいサッカー部を作ろうとしているのだ。先生のおかげでサッカー部に復帰できた主人公、さらに「俺ラッパーでセレブになってやるぜ!」というデブと中学妊娠していた不良娘も加わり彼らはサッカーの練習に青春の情熱を燃やす。そしてある日先生が「教頭先生を見返してやろうぜ!」と正規のサッカー部と校内紅白戦を持ちかけ・・・

    というストーリーの「サッカー」を「SWAT」に置き換えたのが映画「S.W.A.T.」です。そりゃ男子中学生には受けるわ。
    後半になると予告編で流れているプロット(犯罪者の護送と1億ドル)となります。でもL.A.全体が敵になって猛攻撃を仕掛けてくる中、知恵と勇気と武器と体力で切り抜けるSWAT!というシーンは無く、敵はちゃんとした悪役の人達でそれなりの計画も立ててきます。うーん、あの屋上の遠距離狙撃や市街戦をもっともっと観ていたかったんだけど。それに意外にもSWAT隊員個々の役割というものを描いておらず、狙撃が得意、格闘が得意、武器の扱いが得意という設定はありつつも特に目立つことはありません。特に主人公の”武器の扱いが得意なので自分で最新武器を作るほど”という伏線は本筋にあまり絡まずに、クライマックスで「ああ、そういやそういう設定だった」と観客がようやく思い出せる程度です。
    それでも正統派に徹した攻防戦の連続は”単なる中学生映画”の域に留まるものではありません。だけどクライマックスの[線路の上でダチと殴りあい]ってやっぱり中学生映画じゃん。


● サミュエル・L・ジャクソン
以前カツラを着用していた事を告白した。パンフレットにこの事をネタにしたギャグが書いてあってかなり笑えます。

● コリン・ファレル
「やっぱ熟女だよ」と主張している先輩に「俺は妹萌えッスよ」とか、
「6600万ドルやろうか?お前の年収660万ドルだろ?」
「年収660万ドルなんて残業しても無理ッス
「負け犬だな

というやり取りが涙を誘う。

● ミシェル・ロドリゲス
[凶暴な警官]の正体はミシェル・ロドリゲスだったなんて意外性0だよ。そんなの映画ファンの常識だって。意外だったのは子供の存在。あの子は一体お前がいくつの時に生んだのだ?
僕は「ガール・ファイト」の頃からミシェル・ロドリゲスが大好きです。今回もいつも通りの素晴らしい役柄でした。ああ、一度でいいからこういう女で苦労してみたい。

● LL・クール・J
イイ奴なんだけど、何か活躍してったけ?
「一億ドル、6人で割ったら1600万ドル。そしたらバスケの試合を観て、女優とデートして、子供を大学にやって・・・」
ってお前は夢見がちなのか?堅実派なのか?

● ボクサー
「そのヒゲはマズイだろ」
「でもこのヒゲ無いと他のキャラと区別がつかないだろ。俺達白人男性って観客に覚えられにくいからさぁ。」


● オリヴィエ・マルティネス
金持ちの男前って街を行くだけで生おっぱいが観れるのか・・・いいなぁ

● 生おっぱい
あのさぁ、「乳首が写ったらレイティングがあがる」っていうアメリカさんの規則はわかるけどさぁ。日本じゃ男子中学生が大挙して観に来ているんだぞ!乳房くらい見せてやれよ!

● 音楽
まだまだラウド系のブームって続いてくれるんだ。

● 中学一年生達
スゴくマナーが良かったんですけど。横浜市の教育はそんなにシッカリしているのか?

● 中学一年生は0円
「ただ見せるのではない。ただで見せるのだ」というキャッチコピーがカッコいい。劇場で観る事を信条とする映画ファンとしては、こうやって映画館に多くの観客が来てくれることは非常に嬉しいです。例えそれが「踊るなんとか」だとしても。

● 最後のキメ台詞
「もう[半日も勤務して]いるんだぜ」
「それがどうかしたのか?」

って僕は丸一日働いた後に仕事が来たりするんですが。で、その後映画館行くんだよ!(それは僕が悪い)。僕の会社の友人や現実の友人の皆様、僕の仕事がああいう状態なのに妙に破壊屋の更新が多いのはこういう訳です。

03/09/25    TOP文のみ

久しぶりに横浜日劇

    最近自分が過労死予備軍と言われている状況に陥っていることに気がつきました。周囲からも「痩せた」とよく言われます。でも何故か体も精神もピンピンしています。先日は映画を観に出かけたのですが、時間が合わず高校時代の友人達と焼肉へ。その次の日は睡眠時間2時間未満の24時間労働!ようやく終わって帰宅して仮眠とった後に、横浜日劇で「ザ・コア」「サラマンダー」「デッドコースター」という素晴らしい三本立てを観てきました。アホだ俺は。この3本はどれもB級映画、かつ救いようのないバカ映画ですが大満足。「シモーヌ」や「シカゴ」を観たときより楽しかった。やっぱり映画ってどんなバカ映画でもすごく愛せるなぁ。こっちもバカだから。
   以下の映画の感想はいずれも軽めのネタバレしています。

ザ・コア   以前の評価参照

    っていうか「ザ・コア」は以前観て批判しているのにもう一度観てしまった。見直してもやっぱりつまらないけど、中学生的SF感覚が素敵です。
    しかしこの映画に出てくるハッカーってファイルをバラまくときに「ネットカフェの端末を全部ハッキングして、完全制御下に置いてファイルをコピペ」ってそんなことしなくてもどっかにアップロードして有名掲示板に直リン貼ればいいのに。

サラマンダー   ★★

    いやーマシュー・マコノヒーが出てるなんて全然わかりませんでした。映画終わってパンフレット読んでからようやく気がつきました。でもその代わりイザベラ・スコルプコはすぐにわかったんですけどね。そんな奴は僕だけか。
    映画の基本設定は・・・ロンドンの工事現場でドラゴンが甦る。そしてドラゴンはあっという間に繁殖して、全てを焼き尽くす。ドラゴンは灰を食べる燃焼系アミノ式の生物なのだ。人類は20年たらずで壊滅状態。近代兵器を持つ人類ならドラゴンにも勝てるのでは?と思えるが「恐竜絶滅の原因は実はドラゴンだった」「ドラゴンが地表を焼き尽くして灰だらけにしたために氷河期がやってきた」「ドラゴンは核攻撃も大丈夫だった」ムーもびっくりのナレーションが添えられて、ドラゴンの途方も無い強さをアピール。つーか核攻撃も効かないって凄すぎ、さっきの映画だと核攻撃で地球がぐるぐる回ったんですけど。
    こうして世界中の観客のうち男子中学生のみ(含僕)を盛り上げた序章が終り、本編では崩壊した世界で生活するイギリス人達が描かれます。イギリス人達はドラゴンの恐怖にさらされ自分達の生命すら危険な状態なのに、孤児を見捨てることなく育てている立派な人達です。このイギリス人達がシェークスピアよりも有益な文化遺産を子供達に伝えるシーンは涙無くしては観れません。
    ドラゴンに怯える毎日を送るイギリス人達に、ドラゴンよりもタチの悪い奴らがやってきます。アメリカ人です。イギリス人の砦に入ろうとするアメリカ人達。しかしイギリス人は彼らを拒否しようとします。そのときアメリカ人がドラゴンに関する衝撃の事実を伝えます。
    「おらたち、どらごんの弱点知ってるだ。おらたちめりけんで野良仕事してただ。ほんだらどらごん襲ってきたべさ。でもどらごんはおらたちを喰えなかっただ。どらごんには目が悪くなる時間帯があるんだっぺ。」(方言滅茶苦茶)
    20年間、かつ最初は60億人もいた人類の誰もが気がつかなかった大発見をしていたアメリカ人!その大発見とは・・・


ドラゴンは明るい時は目が悪い!


ではなくて暗いと目が悪い!


でもなくてマジックアワーの時に目が悪いのだ!



   って映画ファンじゃない人にはわからないよ!単にお前らがマジックアワー(日没直後、日の出直前の数分間は淡く明るいのに光源が消えているので、魔法のように美しい映像が撮れる)っぽい映像が撮りたいだからだろ。
    映画の中盤でアメリカ人達のドラゴンスレイヤー振りが発揮されます。彼らが編み出した対ドラゴン戦法とはドラゴンの飛行位置を探知してスカイダイビングでドラゴンと空中戦!というもの。ここで映画本編を観ていない人は、飛行運動しているドラゴンに落下運動しているダイバーがどうやって戦うんだよ!と突っ込みを入れるかもしれないが、そんなのは本編を観たってきっと理解できないぞ。
    ドラゴンに勝てる可能性を示したアメリカ人達は 「さあイギリスのみんな!ドラゴンはオスの一匹を倒せば全滅するんだ!そうすれば世界が平和になるんだ!あいつらは化学兵器を持っているんだぜ?世界平和のためだ!アラブ系の人たちが一杯死んでも仕方が無い!共に戦おう!」 とイギリス人を徴兵してイラクロンドンへ向かう・・・。


    と、まあどうでもいい映画なんですが、僕の中学生時代のノートを漁ればきっと片隅に書いてあるに違いないプロットなので楽しめました。
しかし映画の序盤→[ドラゴンは世界を滅ぼした]
映画の前半→[アメリカ軍の一部隊にドラゴン倒される]
映画の後半→[っていうかもうドラゴン200匹以上殺した]
映画の終盤→[むしろ3人いればドラゴン倒せるね]
ものすごい勢いでドラゴンがパワーダウンしているぞ。
シェークスピアよりも有益な文化遺産
[スターウォーズ 帝国の逆襲]

デッド・コースター   ★★★

    実に気合の入った邦題です。原題は「ファイナル・デスティネーション2」で、あの「飛行機事故を逃れた高校生達。だけど死の運命は彼らを決して逃さない・・・」「殺人鬼のいないホラー映画、死因は全部事故という面白くないプロットでアメリカで大ヒットした「ファイナル・デスティネーション」の続編です。でも「ファイナル・デスティネーション」は映画的に面白くないプロットを「死の恐怖が常に横たわる」に上手く変換していました。だけど同じネタで映画は2本も作れないのでは?物語的には必然でも事象は全部偶然なんでしょ?と誰もが疑問に思うことでしょう。しかし死の恐怖は誰にでもあるだろ!っていうかどうして死ぬのっかつーよりも、その死に方に注目しろよ!!あと色んなモノに注意しろよな!と「デッド・コースター」のオープニングは太字の部分を語るのです。映画が始まるときに映画の見方を教えてくれるとは・・・。
    本編が始まるなり最大級のショックシーンが起きて、その後は「死の恐怖が常に横たわる」じゃなくて「観客にショックを与える」に徹底。製作側の底意地の悪い姿勢に脱帽です。でもここ数年ハリウッドで流行っている「断片的なイメージがクライマックスで繋がる」ってトリックはもうちょっとカッコよくやろうよ。あと何で白人主体の映画はいつも黒人が哲学的な台詞を言うのですか?(例:モーフィアス)
劇中泣けるシーン
    定職にもつかず社会の役にも立たずハッパと白い粉にハマっているボンクラ。しかし彼は自分の運命が逃れない死にあることを悟る。「今まで何一つ親孝行してこなかったけど、最期まで母ちゃんを悲しませたくない」そう決意した彼はヒロインに自分の財布と家の鍵を渡す。「もし俺が死んだら・・・・・・・[俺んちのエロ本とハッパ全部捨ててね]」

03/09/20    TOP文のみ

クリムゾン・リバー   ★★★

    野球には全く興味ないけど、5000人以上が飛び込んだと言う道頓堀のニュースを聞くと「阪神ファンってタイタニックを超えたなぁ」とか思えてきます。そんなことはどうでもよくて、今日の「クリムゾン・リバー」を楽しみにしている人は以下を読まないほうがよろしいかと・・・





    今日テレビで流す「クリムゾン・リバー」はハリウッドの猟奇殺人映画ブームを受けて、フランス人達が作った映画です。町全体に隠された秘密とその秘密から発生する事件・・・というミステリーの基本をちゃんとやっているし、トリックも作りこんである。でもその作りこんだトリックを観ている人間に伝えようとしない、という変な映画です。あとこの映画は「おフランス産ミステリー」という触れ込みながら実写バーチャファイター(←矛盾している)をやってくれる素晴らしい映画でもあります。クライマックス、画面手前で登場人物が事件の真相を語りながら、画面奥でバーチャファイトしているシーンは全身の力が抜けること受け合いです。

03/09/19    マッドシネマ(踊る大捜査線2)更新

28日後・・・   ★★★★

    ダニー・ボイル監督。彼が作り出したドラッグ青春映画「トレインスポッティング」は映像、ファッション、音楽で当時の日本人達を刺激して、渋谷系映画という言葉を生み出すほど大流行しました。「28日後・・・」はかの「トレスポ」のダニー・ボイル監督の最新作です。
    平凡な配達運送業をやっていた主人公。彼はある日目覚めた時に自分が孤独だと知る。コンビニ袋にジュースを詰め、主体性もなく町を彷徨う主人公。試しに教会へ行っても神父に拒絶され、両親からは「寝てれば良かったのに」と言われてしまう。主人公が何かに追われるように走り出せば、激情のロックが流れ彼の心情を表現する。
    主人公は行きずりで出会った人達と楽園へと旅に出る決意をする、ショッピングモールでたっぷり買い物をして。都市から離れた主人公が見たのはイングランドの美しい自然、ドラックにはまる少女、そして自分の中で目覚める本能・・・。
    と思いっ切り不真面目な感想を書いてしまいました。真面目に感想書くと、実に気合の入ったゾ○○映画でしたね。ゾ○○映画の魅力ってゾ○○そのものじゃなくて、日常的な生活を営む町にゾ○○が溢れるワンダーランドなんだよ。
    僕は断然フィルム派で、フィルムの美しい映像を映画館で観るのが何よりも好き。だから映画館でデジタルビデオの汚い映像(最近多い、「28日後・・・」も汚い)を見せられると、それだけで嫌になってしまう。大体映像の新たな可能性を求めてデジタルビデオ使っているのは極一部の自主映画制作者(ジョージ・ルーカス)くらい。デジタルビデオ使う理由が編集が楽とか撮影が楽とか、使うメリットはすごくよくわかるけどそれじゃあ観客にメリットが無い。
    しかし「28日後・・・」を観てデジタルビデオを見直しました。「28日後・・・」は製作規模がスゴいチープで、知ってる役者なんか一人もいないし、アクションシーンやスリラーシーンになると細かいカット割りの連続でごまかしまくり。でも「28日後・・・」は「デジタルビデオがあれば製作規模が小さくても、アイデアだけで壮大な映画撮れるんだぜ」という事をハッキリと示しています。これからデジタルビデオの技術がどんどん上がってくれば、新しい可能性の映画が次々と観れるのでしょう。だけど「28日後・・・」はやっぱりフィルムで観たかったよ。

03/09/14    555、映画の壺(キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン、その他7)更新

シモーヌ   ★★★★★

   「映画に芸術性と作家性を求めている売れない映画監督タランスキー。彼は自分の製作途中の映画を主演女優のウィノナ・ライダーの我侭で頓挫させられる。
    ある日タランスキーは彼の芸術性を理解しているプログラマーから、全女優の演技をデータベース化し、そこから新たなる女優をC Gで生み出せるソフトウェアを譲り受ける。タランスキーはこのソフトウェアを使いバーチャルネットアイドルしもーぬ25歳C G女優シモーヌを生み出し、映画を完成させるとそれが大ヒット。誰もシモーヌの正体に気がつかないまま、世間にシモーヌブームがやってくる・・・」

    映画が映画で有り得る最大の要素とは何でしょう?僕は映画の持つ虚構性だと考えています。小説やアニメだったらいくらでも虚構の世界を描くことができる。だけど僕らが生きている本当の現実には指輪を巡るホビットやエルフの旅は無いし、七人の侍は野武士と戦わないし、王妃と新聞記者の恋も無いし、ブラウン管から幽霊は這い出てこないし、ケイシー・ライバックは料理を作っていない。だけど銀幕の世界ではこれらは全て現実として起きている。   銀幕で虚構を表現するためには虚構を現実にする(簡単に言うとウソをホントにする)必要があります。監督も脚本家も演技者も特撮スタッフもみんな素敵なウソをついてくれているのです。だからこそ映画は面白い。
    映画には他にも色々な要素があります、それは女優です。美しく才能溢れる女性が銀幕上で何かを表現しようとしているのを鑑賞するのも映画の醍醐味です。
    「シモーヌ」はこの二つの要素に焦点を当てた映画で、僕にとっては最高の映画でした。2003年のベスト5に入る出来です。
    主人公の監督はタルコフスキー+タランティーノ=タランスキー(ちゃんと公式サイトもある)、彼は単に便利だからC G女優を使っているのでない。自分にとって最良の表現方法のパートナーとしてC G女優を使うのです。映画のサブプロットは創造者としてのタルコフスキーの苦悩を描いてきます。
    だけどこの映画で本当に面白いのはやはりメインプロット。「シモーヌ」のメインプロットは「こち亀」”両さんがハイテクを使って部長をだます”系統のプロットと同じです。ウソに収拾をつけるのではなくて、小さなウソを大きなウソで隠していく展開は映画をどんどん抜き差しならぬ状況に追い込んでいきます。映画としてルール違反のウソ([シモーヌが謝辞を述べない])もギリギリの使い方で上手い。劇中最大のウソとして描かれるライブは思わず感動してしまう程素晴らしいウソでした。しかし[ヒッキーのパソオタ]というウソだけで全員騙されるのは爆笑。
    ところでC G人間は現実にあるとよく言われていますが、僕はt.A.T.uはロシアンアニオタ達が作ったCGじゃないのかと疑っています。テレビ出演ドタキャンはホログラムに問題があったのではないかと。
オマケネタ

○ 劇中出てくる女優のデータベースにアーネスト・ボーグナインがあったのが気になりました。いや女優だけじゃなくて男優のデータも入れておいたんだろうけど何故アーネスト・ボーグナイン?それとこのデータベース「伝説の図書館」は誰か開発してくれ!映画ファンとしては絶対に欲しい!

○ PC関連の描写は滅茶苦茶なのですが、劇中やる気の無いフロッピー・ディスクが出てきたりして「PC関連にはツッコミ入れるなよ」とシッカリと主張していました。

○ 宣伝で「(シモーヌは)キャメロン・ディアズのプロポーションに、ジュリア・ロバーツのスターオーラ」って言ってるけど、劇中だと「グレース・ケリー」だったぞ。一番美しい女優はグレース・ケリーでしょう!それとシモーヌとジュリア・ロバーツの共通点は口の裂け方かと。

○ 後期型シモーヌ最高!僕みたいな奴が多いからあんな結果になるんだよな。

○ 劇中出てくる女優の名前が「クラリス・アップル」「リサ・パッカード」ってIT会社の名前になっていた。

ラウンドスケープ

    ラウンドスケープのライブに行ってきました。まずフジロックのROOKIE A GOGOにも参加していたというピンクフラミンゴMGという人たちが出てきて、ホモセクシャル的な魅力を振りまきながら魂のこもったライブとMCを披露、この人達かなり良かったです。ボーカルの人に「映画のピンクフラミンゴですか?」と聞いたらその通りでした。
   その後ラウンドスケープのメンバーが出てきて、ボーカルがナップサックを背負ったまま大暴れしながら登場(ナップサックにはファンの女性への誕生日プレゼントが入っていた!)。ライブの内容は素晴らしく熱い内容だったんですが・・・それ以上に暑い!こんなに暑いライブは初めて。どのくらい暑かったかというとサウナよりはちょっとマシくらいの暑さ。会場は観客の体から出る湯気で白くなり、吹き出る汗で床がドロドロ(屋内会場だぞ)。自分の出した汗で自分の指がふやけてきました。
    ところでラウンドスケープはメジャーデビューもしていないのにあのリンキンパークのオープニングアクトを勤めるというとんでもない奴らです。メンバーも「卵投げられる覚悟はしている」みたいな事を言ってましたが、これを機に是非有名になって欲しい。あ~早くセカンドアルバム出してくれないかな。

03/09/10    TOP文のみ,555とか他の更新はちょっと待ってて・・・連休も無いのよ

ちょっとだけ音楽

    「ワイルド・スピードX2」の予告編にカラシの「スティッケム・アップ」が、「トゥーム・レイダー2」の予告編にプロディジーの放送禁止曲の「スマック・マイ・ビッチ・アップ」が流れたりとデジ・ロック(こんな言葉使って申し訳ないけど、音楽はあんまり詳しくないんです)がまたにわかに脚光を浴びてますね。このジャンルはまた流行って欲しいけどカラシもプロディジーも活動停止しているんだよなぁ・・・最高峰のアタリ・ティーンエイジ・ライオットなんかメンバーが死んでから音沙汰無し。今現在も活躍中のデジタル・ハードコアで僕が大好きなのは「ロシアン・ポップ・プロディジー」と呼ばれているt.A.T.uと、イギリスでシングルを連発しているマッド・カプセル・マーケッツです。以前のフジロックレポートでライブの様子が地獄絵図と書きましたが、その様子がCNNで記事になっていました。しかしこの記事を読んでみると「ぶつかり合って、飛び跳ねる群集はまるでワサビをパンツの中に塗りこんだかのよう」「人々は日本人は遠慮がちだと推測しているけどザケンナ、あいつらの熱狂の拳は地震列島日本の震度計のようだ」「ジャパニーズ・ターミネーターだ」とかスゴイ事が書いてあります(英語読めんので訳は適当)。そういえば以前世界メジャーデビューしたときは「真珠湾攻撃再び」とか呼ばれていたな。
   うんでもって今週の土曜日にデジ系で新進気鋭のラウンドスケープのワンマンライブに行って来ます。期待してるぞ!
オマケの質問:今度来日すると言われているL.A.ガンズのボーカルって誰かご存知の方います?

03/09/08    TOP文のみ

座頭市   ★★★★

    これは享楽のエンターテイメントです。ヤクザ者が博打を打ち、男娼が舞い、芸人が芸を見せ、コメディアンが笑いをとり、気違いが大声をあげ駆けずり回り、百姓達は鍬でビートを刻み、雨が降ればタップを舞う。そしてその合間合間に炸裂するバイオレンスと、吹き出る血!    百姓達の営みは死と再生を感じさせ、畑を守る案山子には陰茎が生え(北野映画なので女性は関係ない)、ヤクザ者によって[焼き討ちにされた家]は、ラストで[再生してそのまま村祭りへ]と繋がります。でもこのエンターテイメントを完全に表現するためには製作費に0が一つ足りなかった。オープニングの茶屋のシーンは画面的に寂しかったし、宿場町のセットは部分的で存在が掴みづらい。クライマックスの気の抜けたシンセっぽい音も辞めて欲しかった。
    予告編でガンガン流れている晴天の豪雨(「七人の侍」へのオマージュ)などは、工夫を凝らしまくればここまでスゲエ画が作れるんだ!ということを証明していて非常に嬉しいですが、やはり金がかかっているからこそ出来るものもあると思う。ここまでしか出来ない日本映画の現状と、それを打ち破ってくれる北野武の存在を同時に感じてしまい複雑な気分です。
    殺陣は非常に速度が速く、鍔迫り合いなんてほとんど無い。あくまでも”斬る”という結果だけが連続して残る見事な殺陣です。またこの映画は序盤で刃は怖いという現実をシッカリと観客に認識させます。映画は虚構なんだから映画の中の斬り合いも虚構になってしまう、だからこそ観客には前もって人を切ることの感覚を植えつける必要があるのです。掟破りの娯楽映画をやるときにこそちゃんと守らなきゃいけない掟もあるんです。
    脚本や編集は結構フラフラして残念ですが、[バレバレのトリックを配置して、真のトリックを引き立てる]手法はお見事。オチは[めっちゃ軽いギャグ]なんですが、実は[観客の今までの認識を完全に破壊する側面も持っている決死のギャグ]だったりします。
    劇中でメクラという言葉を躊躇なく使っていたことも非常に評価できます。この言葉を使用できるということは、受け手側(今の観客達)のレベルの高さを示すのでしょう。障害者達に対して「特別扱いとかじゃなくて、普通に受け入れるのが当たり前」という認識が進んだ現在社会だったら蔑称は形骸化していきます。っていうか座頭市は「盲人」でも「目が不自由な人」でもなくて「メクラ」っていう設定なんだし。でもメクラという言葉を使うのは悪人ばっかりだったな、やっぱり気をつけよう。
    僕が大好きな浅野忠信は相変わらずの大根役者ですが、ぬめりも乾きも感じさせる魅力は益々増加。今回はキリングマシンなので演技は気にならないしね。ちなみに僕は以前ハードコア系のライブで浅野忠信を見かけたことがありますが、源之助並の暴れ振りでガンガン他の客に襲い掛かっていました(僕も襲われた)。
    あ、色々言われているタップダンスだけど僕は大好きだ!
    あと今の若い人にはアレはわからないかもしれないでしょうが、あの当時は美少年を愛でる男色文化が栄えた時代でした。いや、僕も今の若い人なんだが。(こういうことばっかり書いてるから疑われるんだな)
    でもこの映画、あの[姉弟がたった一人しかいない手がかり]を速攻で殺すのはどうかと思うぞ。

ピクサーについて

    ピクサーの新作「ファインディング・ニモ」が年末公開と知ってショックを受けています。今年は年末も期待作が目白押しで大変なことになりそうだ。
    ピクサーを知らない人のために簡単に解説しますと、ピクサーとはアニメ映画を製作する会社です。短編映画の傑作「LUXO Jr」でアカデミー賞にノミネートされたのをスタートに「トイ・ストーリー1&2」「バグズ・ライフ」「モンスターズ・インク」(←僕のベスト)といった傑作達を作り上げてきました。勿論これらの作品は興業的にも批評的にも大成功を収めてきました。きっと「ファインディング・ニモ」も期待を裏切らないはずです。
    ピクサーのスタッフはオタクなのに家族子供を愛している立派な人達なので、映画には優しさというものが溢れています(ちなみにこの文章の”家族”を”自然”に、”子供”を”少女”に変えるとジブリの髭の事になる)。そしてピクサーの作るプロットは常に子供に対する優しさを起点にします。「トイ・ストーリー1」はオモチャ達が努力して子供と再開する事を目的にします、子供にとってこれほど嬉しい事はありません。「トイ・ストーリー2」は、実は主人公がプレミアのオモチャだったという全世界の大人をズッコケさせた設定を起点にして、オモチャたちが「やっぱ僕たちの目的は辛くても子供と接する事が喜びだ」という結論に行き着きます。「バグズ・ライフ」はアリを守るために劇団員達が立ち上がるという全員役立たずの「七人の侍」ですし、「モンスターズ・インク」は独身のリーマンがガキの扱いに苦労するというプロットです。
    またピクサーの映画は基本的に大人楽しめます。大人も楽しめるだけではありません。特筆すべきは「トイ・ストーリー2」で少女がマニキュアを覚えるシーンです。成長してオモチャから離れていった哀しさなんて大人向けの感動です。僕はこのシーンを映画館で観た時にその美しさと哀しさに感動しまくると同時に「たかがアニメがここまでやっちゃうなんて、実写はどうすりゃいいんだよ!」とショックを受けました。また「モンスターズ・インク」は会社が舞台の大人向けのファンタジーとも取れますし、ブーちゃんを守ろうとするサリーの行動原理が理解できるのは大人でしょう。「トイ・ストーリー」の”台湾製”のシーンで、バズのアイデンティティが失われる事が理解できるのも大人です。だからといって子供が映画を理解できないわけじゃない、ちゃんと子供も意味を感じ取れるレベルまでに表現を噛み砕いてくれます。「ファインディング・ニモ」も、子供向けの映画で大冒険をするのは子供であるべきなのに、あえて父親に冒険させるのもきっと何か意味があるはずです。
    演出も脚本も技術も最高クラスで、なおかつディズニーが後ろ盾についているピクサーの製作レベルの高さは「スタジオジブリ」に匹敵します。これは過剰評価ではありません。でも僕はやはりピクサーよりも宮崎駿の作家性が全てを支配するジブリのほうを評価しますが。それとピクサーはディズニーと契約が切れるそう?ですね。今後どうなるのかな?
オマケ
    ピクサーは映画ギャグのレベルも高いです。「トイ・ストーリー2」では
ザーグ「[アイ・アム・ユア・ファーザー!]」
バズ「[ノォォォォオオオオオ!]」
という超絶ギャグをかましてくれます。どうでもいいけど、このギャグって劇場で子供達がバズの事を気の毒に思っているのに、うちらは爆笑を余儀なくされるという残酷な構図になっているぞ。
    「モンスターズ・インク」ではサリー達の登場シーンが「アルマゲドン」のようにスローモーションになったりします。「え、アレの元ネタはライトスタッフでアルマゲドンがパクッたんじゃないの?」と思われる映画ファンは大勢いるでしょうが、「モンスターズ・インク」と「アルマゲドン」ではブシェミの立ち位置が同じだったりします。またクレジットには「本作品の製作にあたって傷つけらたモンスターは一切いません。」という一文も出てきます。(アメリカ映画はよく「本作品の製作にあたって傷つけらた動物は一切いません。No Animals were harmed in the making of this movie.」という一文を使う)
    「ファインディング・ニモ」もキャラ設定のチラシを読んでいたら、何とホオジロザメの名前がブルースだった!やってくれるぜ。(ブルースは「ジョーズ」の鮫の仇名)

03/09/05    TOP文のみ

ハルク   ★★★

映画にはカット割という技術があります。映画とは当然脚本が元になっているのですが、脚本をそのまま撮影していくわけではありません。演劇とは違うのです。 映画には撮影の前に脚本を元に一つ一つのカットに切り分けていく作業が必要です。そして撮影を経て、編集でこれらのカットが繋がることにより始めて映画と成り得えます。カット同士の繋がりは常に意味を持つ必要があり、細かくてテンポが早いカット割はアクションを生み出し、俳優達の演技と繋がるとドラマが生まれます。
    そんでもって漫画にはコマ割という技術があり、コマ割は映画のカット割と同じ役目を持っています。だからわざわざ映画がコマ割をやる必要は無いはず。でも「ハルク」は何とコマ割をやる映画なんです、アメコミの感覚を映画に持ち込むために。勿論コマ割をやるシーンはわずかで、昔流行った画面分割テクみたいに”効果”として使っているのですが、わりと重要なシーンでもやちゃっていて興ざめします。
    監督はアン・リーで、エンターテイメント映画の「ハルク」に深いドラマを持ち込むこめると思いきや空振り気味。アン・リーの使った手法は思わせぶりな語り口に、情緒豊かな回想シーンが挿入され・・・というパターンで結構丁寧なのはいいんですが、こういう手法は上映時間短縮のために使うべきでしょう。上映時間を伸ばすために使うのはどうかと。また4人の主要登場人物は交互に関係を持っていて、それぞれの組み合わせがドラマを作り出すのですが、肝心のハルクのドラマが描かれない。ハルクはこのストーリーで5人目の登場人物となる悲しき怪物じゃないの?それとエンターテイメント映画で回想シーン中の回想はやっちゃダメでしょう。
    ちなみにハルクが変身する理由は、主人公に深いトラウマがあり、主人公が施設で虐げられるていると、体が緑色になってドカーンと大暴れ!   ってそれは日本じゃイヤボーンっていうんだよ。
    それでもこの映画の評価が低くないのは、ハルクの暴れっぷりが楽しいからです。デカイ物を持ち上げてブン投げるという単純なアクションだけでも楽しいし、「犬とハルク」も面白い。特筆すべきは中盤のハッスル振りで、研究所から脱出してアスリート・ハルクになったと思いきや、今度はグラップラー・ハルクになって戦車とバーリ・トゥード!ヘリと空中戦!極めつけはジェット戦闘機に[寝技]!(グラップラー刃牙の出血多量VSフロントネックホールドみたい)と「ご馳走様でした!」としか言えません。まあ[黒い元気玉]はどうかと思いましたが。   是非ともバキ実写化の際にはILMのスタッフ達に協力してもらい、範馬勇次郎やビスケット・オリバを再現してもらいたいものです。
○ イヤボーンの法則
完璧な解説は傑作漫画「サルでも描ける漫画教室」を参照して下さい。簡単に言うと悪役に追い詰められたヒロインが「嫌ァー!」って叫ぶと、超能力とかが発動して悪役が「ボーン」とはじけるタイプのプロット。

○ 「グラップラー・刃牙&バキ」
ボンクラ男子の魂を掴んで締め上げる素晴らしい漫画。

○ 回想シーン中の回想
これを使うと登場人物の想いを深く複雑に描くことが出来るが、本筋から離れすぎることになるので観客は退屈感も感じることになる。「ヒマラヤ杉に降る雪」や「ソラリス」を参照。ただし漫画「餓狼伝」のグレート巽VS泣き虫サクラのように本筋を完璧に忘れる事が出来るという例外も存在する。

ミッシェル・ガン・エレファント   ★★★★★

解散ってそんな・・・ロック界が寂しくなる。彼らのように最高級のロッケンロールを常に提示し続けるアーティストなんてそうそう出てこないだろうな。

03/08/31    映画の壺(その他7)更新

マイ・ビッグ・ファット・ウェディング   ★★★

    本来ならばミニシアター系の扱いが妥当な映画ですが、アメリカで社会現象にまでになって全米で大規模公開された映画です。日本人には馴染みにくい内容なのであまり話題にならずに終わりましたが。
    邦題の「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」だと「ドタバタ結婚式」みたいな意味ですが、原題は「マイ・ビッグ・ファット・グリーク・ウェディング」で「ドタバタギリシャ人の結婚式」というような意味があります。この映画はギリシャ人のヒロインがWASPの男性と結婚式を迎えるのは大変!という純粋なカルチャーギャップ・コメディです。恋愛映画ではありません。
    恋愛映画としての要素も非常に面白いのですが、最初の30分で全部終わります。この最初の30分はよくある女性のチェンジものです。
    物語において女性がチェンジするときは「シンデレラ」のように”物語上の魔法”があります。「マイ・フェア・レディ」だったら田舎娘のオードリー・ヘップバーンにヒギンズ教授が登場することで、「プリティ・ウーマン」だったら娼婦のジュリア・ロバーツにギア様が登場することでヒロインがチェンジします。そして「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」のヒロインも激しくチェンジしますが、彼女に”物語上の魔法”は発生しません(一応チェンジ前に男性と出会っているが、変身にはそれほど関係無い)。ヒロインは自力で美しく変身し、自分の意思で生活を変えていくのです。そこには”物語上の魔法”は存在しませんが”映画女優としての魔法”があります。このヒロインを演じた女優さんは素晴らしい。特にヒロインがトラウマを克服してブロンドの女性達と食事を共にするシーンは、さりげない演技ながら心に残るものがあります。
    こうして見事にチェンジしたヒロインは素敵な男性との恋が始まり、少しづつ深い仲になっていき、そして遂にプロポーズを・・・。しかしここでビッグ・ファット(大問題)が発生します。その大問題とはヒロインはギリシャ系アメリカ人だったのです。別に全然問題じゃないような気もしますが、ヒロインが属するギリシャ移民達のコミュニティは一風変わった存在で、ヒロインと男性はこのカルチャーギャップに散々悩まされます。
    中盤以降のドタバタ振りは丁寧にドラマとコメディを織り交ぜているので、まったりと楽しめる良品の映画です。
    このカルチャー・ギャップは移民の国アメリカらしい展開で僕達には馴染みにくいように思えますが、ギリシャ系コミュニティの特徴をわかりやすく描いているので割とすんなり受け入れることができます。例えばギリシャ人はちょっとした家族同士の顔合わせでも親戚総動員したり、WASPの両親が挨拶に来るとキツイ料理や酒で迎えて、何でもかんでもギリシャの優れた部分を主張します。「ギリシャ語は全ての言葉の語源だ!キモノ?あれもギリシャが語源だ。」と言ったりするのです。
    これって日本だったら日本人と韓国人や朝鮮人とのカルチャーギャップ・コメディとしてリメイクできそう。日本人がパワフルな韓国人コミュニティに圧倒され、キツメの韓国料理で祝福され、韓国人の家長の挨拶が「韓国文化と日本文化はお互い良い影響を与えているのです!我々の「千と千尋の神隠し」が世界で認められたように!」と言ったりして。
    勿論日本人はギリシャ人以上に特異な文化を持っている人種なので、「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」のように自虐コメディも作れそうです。
    朝日新聞の”物語の中の女性像”を批判したコラムに「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」に関する部分があって・・・
「こんなんだったら結婚したくねぇ」とボクは思うのだが、女性には大好評。「ワタシのためだけに都合よく生きてくれる王子様が現れたらステキだわ」ってことらしい。こうなると男の人権すら危うい。
    おいおい!この映画で一番心打たれるシーンは、中盤で家族が煩過ぎるので結婚式を諦めようとするヒロインに、男性が”二つの家族(文化)がぶつかる結婚”と向き合う事を提案するシーンでしょうが!このコラム書いた人は女性のワガママを批判しているけど、男性はヒロインのワガママに付き合って改宗を決意するんじゃない、男性は結婚して相手の家族の一員となることを選択してそのために改宗するんでしょ。それは女性のワガママじゃなくて結婚の形の一つでしょ? このコラム書いた人は結婚して女性が名前を変えて男性の家庭に入るプロットでも文句をつけるのでしょうか?それと数千年間も女性の役割を押し付け来て今更ガタガタ抜かすな!もう諦めようぜ!(注:このコラムの最後の一文はギャグです)
○   ラストシーンで文化も宗教も超えとてつもなくどうでもいい部分で通じ合う[父親と婿]はウケました。

○   千と千尋の神隠し: 韓国の情報に詳しいdagu君が以前に寄せてくれた情報ですが、韓国では一部の人たちが「千と千尋の神隠しは日韓合作映画だ」と言っているらしいです。理由は「動画を韓国のアニメ会社に外注したから」。

その他

● アダプテーション   ★★★★
チャーリー・カウフマンは「フロイト哲学的な脚本を書く人」だと思ってたけど、この頃「フロイトっつーよりもただの変態かも」と思えてきました。あ、でもフロイトは変態か。

● 28日後・・・   ★★★★
素晴らしい映画じゃないですか。めっちゃチープな撮影だったのは置いといて。


    TBSの某深夜番組の方から「今回当番組で色んな代行屋を紹介するという企画を考えており、その中のひとつとして破壊屋という職業をご紹介させて頂こうと考えております。」という連絡が来ました。うちはその破壊屋じゃない。
   破壊屋という職業を持てる男はただ一人、たるんだ未来社会でセックスの素晴らしさや肉料理のウマさを求めるケツの拭き方も知らないイタリアの種馬野郎だ!ドイツ野郎が政治家なんて悪夢だぜ。
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