『ダイ・ハード』★★★★★
『天空の城 ラピュタ』や『ブルース・ブラザーズ』に並ぶ僕の映画人生ベスト10にランクインする映画。
初めて観たのは中学生の時の日曜洋画劇場で、「こんなに面白い映画があるのか!」と大興奮した。初めてレンタルビデオの会員になった時は、『ダイ・ハード』を借りて一日三回観た。友達から貰った『ダイ・ハード』のビデオは何度も何度も繰り返して観た。何が凄いってこの映画は脚本や演出や演技が完璧だということだ。
前半で伏線をバラまいて、後半で激しいアクションと極度の緊張描写と共に伏線を回収していく。そんな『ダイ・ハード』の脚本のテクニックに痺れた。ここでも解説している。有名な伏線は「裸足」や「アルのトラウマ」だろうけど、
「ホリーが会社からロレックスの時計を貰った」
そんな小さい台詞にも伏線が貼られているのは感心した。それに気がついた僕は、よく学校で友達に
「どうしてハンスはビルから○○○のかわかるかい?」
と友達に自慢しまくった。別にたいしたことじゃないのに。
ダクト内の緊張感は素晴らしかった。それが撮影の力だということをキネマ旬報の映画評を読んで理解した。撮影していたのはヤン・デ・ポンだった。ちなみに脚本はスティーブン・E・デ・スーザだ。その後二人とも監督に出世した。
アラン・リックマンの演技がブルース・ウィリスと対比になっている事も気がついた。ハリポのスネイプ先生があの素晴らしい発音で英語を喋っていると「ハンスだ!ハンスがホグワーツにいるぞ!」と思ってしまう。
音楽のセンスも素晴らしい。マイケル・ケイメンのおかげだが、それよりも「歓喜の歌」だ。普通の日本人は「歓喜の歌」といえば年末を連想するだろうけど、僕はナカトミビルのセキュリティを突破したテロリストたちを連想する。
『ダイ・ハード』を観ると、いつも不思議に思うことがあった。「なんでロケット発射シーンで割れた窓ガラスがまた割れているんだ?」
映画にミスがあるなんてことも知らなかったので、不思議な現象だと思ってた。それは単にロケット発射シーンを使い回していただけだったし、よく観てみりゃ爆発シーンも使い回していた。でもおかげで一連のシーンが高度な編集テクニックで繋がっていることに気がついた。
脇役の俳優たちも好きになったので、みんなのフィルモグラフィーを探した。インターネットなんて無かったので映画のパンフでダイハード組を見つけると一生懸命頭に叩き込んだ。ロバート・ダビやレジナルド・ベルジョンソン。兄テロリストのアレクサンダー・ゴドノフは死んでしまった。一人だけ東洋人テロリストのウリを演じたアル・レオンがわからなかったが、あいつのフィルモはインターネットのおかげでわかった。
移民問題や対日感情や保守性やエリートに対する反感を含んだ構造になっていることも気がついた。映画ってのは社会を写すものなんだ。
西部劇の傑作『真昼の決闘』を観たとき、この映画が『ダイ・ハード』の元ネタだということがわかった。映画ってのは過去の映画から学んでいるんだ。
そして字幕付きのビデオで観ていたために、ジョン・マクレーンがいつも何か変な台詞を言っていることに気がついた。それが
「イピカイエ・マザファッカ」
だった。ジョン・マクレーンの台詞をクライマックスでハンスが真似して奪ってしまう面白さを理解した。それに「映画には決め台詞がある」ことにも気がついた。ハリウッド映画の主人公たちは最後の敵を倒すときに、洒落た台詞をキメていたんだった。
『ダイ・ハード』は高校生だった僕に映画ってのは↑そうやって観るもんだということを教えてくれた。脚本や演出や演技や編集の妙を味わいながら観るということを。そこには娯楽映画も芸術映画も関係ない。僕が雰囲気ばっかり重要視して計算が働いていない映画を毛嫌いするのも、この事が大きく関係していると思う。
ウェブサイトを作るときには「サイト名はダイ・ハード関係にしよう!」と思っていた。サイト名候補は「イピカイエ」「アジアの曙」「ナカトミビル」だったけど、やっぱり漢字だけのサイト名にしたかったので『デモリションマン』から「破壊屋」にしちゃった。
2007/06/24|▼この記事の直リンク先