破壊屋2007200620052004旧映画の感想

エコール   ★

今回の破壊屋の文章は虫食い文字があります。それは破壊屋は僕の知り合いの女性たちもチェックしており、彼女達からの評価を下げたくないから………いやもう評価は下がっていると思いますが「変態だと思われてもいいけど危ない人だとは思われたくない。」という僕の必死な思いを理解してください。
虫食い文字の部分は「何かヤバいことが書いてある」程度の認識でいてください。はいそこのお前!検索しない!


チャイルド・ポルノ『エコール』。あのヤバすぎる公式サイトを破壊屋で紹介して以来、友人達に
「あの映画は一体何なんだ?」
と言われました。説明した後に
「で、お前は何であの映画を観に行ったんだ?
と誰も言ってこなかったのは幸いでした。
みなさんはあの公式サイトのギャラリー程度の写真で騒いでいるようですが………あのギャラリーは映画本編に比べればまだおとなしいほうの写真ばっかりですよ。


この僕が『エコール』を観て怒り出すとは自分でも意外でした。『エコール』で延々と映し出される女子小学生たちの肢体と裸の映像は、実に興味無い&不愉快&退屈で眠いに尽き、目がハッと覚めるのは教師役の女性のレオタード姿だけ。自分が真のロリコンでない事を確信できたという点では観に行った価値があります。ちなみに真のロリコンがこの映画を観に行くとどうなるかは、ここに大変わかりやすいがわかりたくない感じで記されているのでご参考までに。

僕が『エコール』を観て何で怒ったかというと、ああいう作品は映画として認めたくないからです。少女の無垢なる魂を表現するために少女の肢体や裸を撮影するというのは、チャイルド・ポルノとコンセプトが同じでしょう。それじゃあ映画じゃないじゃん。
例えば『千と千尋の神隠し』で千尋が初潮を迎えていることを気が付いた人は少ない。それは宮崎駿が直接的な表現を避けて、暗喩的に初潮を表現しているからであり、そういった表現から意味を読み取る事のが映画を鑑賞する醍醐味のはず。『エコール』はそれが無い。初潮を迎えたら生理ナプキンが出てくる。性に目覚めたら自分の体をまさぐる。死をイメージする時は本当に死んだふりをする。などといったあまりにも直球すぎる表現が延々と続きます。
一応比喩表現も色々あって「少女=蝶々」「性の目覚め=噴水」という表現をしているんだけど、どれも演出がしつこくて「観りゃわかるよ!」といった感じでした。映画の話はこれで終わり。


『エコール』を撮ったのは女性監督のルシール・アザリロヴィック。彼女はやっぱりロリコン映画の『ミミ』を監督した人です。『ミミ』の内容も、少女がロリコンのおじさんに[イタズラされてショックと薬で意識不明になった上に、その少女暴行犯のおじさんがしゃあしゃあと知らん顔している所で映画が終わる]という、マトモな人間なら鑑賞後に怒り出す最悪映画です。もちろん良識ある僕も怒りました。何でこんな映画が一部のお洒落さんたちにウケていたのか疑問ですが、今評価するとしたら町○ひ○くの世界観を先取りしていた作品とも言えます。良識ある人間は町○ひ○くなんか読まないか。

というわけでルシール・アザリロヴィックはフランスの力○靖だとたった今僕が命名しました。彼女の作品からは女性ならではの感性を感じることはできませんが、性犯罪者の感性を感じることはできます。実際彼女は素顔も性犯罪者っぽいんですよね。僕も負けてないですけど。


オマケ:
『エコール』に似たような映画では、今となってはチャイルド・ポルノの『思春の森』がありましたね。「森」「少女」という点で『思春の森』と『エコール』は大きな共通点があります。違う個所は『思春の森』が女子小学生高学年なのに対して、『エコール』は女子小学生オールラウンド。『思春の森』が性に目覚めた後なのに対して、『エコール』は性に目覚めるまでという点で違います。違うのか。


えー次回は、公式サイトのギャラリーを元に『エコール』の内容を解説するんで、これでも僕もあなたも危ない人に(ロリコンネタで顔出しちゃって大丈夫かなぁ)。

2006/11/30|▼この記事の直リンク先

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エコール   

以下はネタバレを隠していません


なんか反響が大きくて逆にやる気がなくなったんだけど、色々な所で約束してしまったので頑張って作りました。『エコール』の公式サイトのギャラリーに合わせて、映画のストーリーを全部解説していきます。


1頁目:1行目
森の中のエコール(学園)では少女たちが集められていた。彼女たちはどこから来たのか?その説明は一切無い。あったら困るし。
エコールに鍵をかけられた棺が届けられる。棺を開けると、中には下着姿の少女(イリス)がいた。
「弟はどこ?」
と戸惑うイリス。少女たちはこのようにどこからか連れ去られてエコールに入園するのだ。それは入園じゃなくて拉致って言うんだよ!
1頁目:その他
アジア系の少女イリスのエコールでの学園生活が始まる。家族とも会えず、外に出ることも許されない。それは学園生活じゃなくて監禁って言うんだよ!ただこの映画は少女の特殊性をエコールという特殊な世界に閉じ込めることで表現しているので、そこらへんは間違っていない。むしろ正しい発想だと思う。問題はその後。
2頁目:1行目
エコールの少女たちは年齢毎に違う色のリボンをつける。
2頁目:1行目~2行目
少女たちが水遊びしている姿が延々と映し出される。映画本編だともっと直接的な映像です。
2頁目:3行目
写真のように森の中で戯れる少女=モンシロチョウという解釈をしています。だから戯れるシーンがすげー長いので眠くなる
3頁目:1行目
朝のシャワーとか。
赤リボン(最年少)の少女達は他にもいる。みんなどこからか連れ去られて来た。
3頁目:2行目
先生や使用人もみんな女性。
3頁目:3行目
いじめが起きてイリスが暴力を受ける。暴力のシーンはドン引きです。写真は傷ついた足。暴力を受けたイリスはショックを受ける。
4頁目:1行目
杖をついた女性教師。エコールの女性教師たちは少女の頃にエコールにいたが、脱走を図ってその罰として永遠にエコールに暮らしているらしい。杖をついているのもその際の体罰の結果らしい?
少女たちはチュチュを着てバレエを学ぶ。
4頁目:2行目
イリスは何かに怯えてトイレに隠れていた。実は友達の少女がボートで脱走を図り、溺れて死んだのだ。
5頁目:1行目
女教師たちは籠の中の白い鳩や、蝶々の標本を作っている。エコールの意味するものをストレートすぎる方法で表現。
青リボン(10歳くらい?)の女の子たちは体の審査を受けて、一番美しい少女はどこかへ連れていかれる。って怖すぎるぞこの映画!その後少女がどうなるかは説明が無い。知りたくもない。
選ばれなかった少女はショックを受けて寝込む。その後彼女は逃走を図り消える。これが彼女のトゥモローワールド。
5頁目:2行目
冬が終わったことを少女の裸で表現する。冬の終わりの表現なんて腐るほど種類があるだろうが!何故わざわざ裸を写す?
5頁目:2行目~3行目
最年長の少女たちは夜になると一時間だけ消えていた。何故か?実は彼女達はチョウチョウのコスプレをして、ロリコン男たちの前でバレエを踊って学園の予算を稼いでいたのだ!!って誰かこの映画を止めてくれ!
5頁目:3行目
少女は男モノの手袋を自分に着けて、その手袋で自分の体をまさぐる。だから表現が直接すぎるぞ!
ちなみに映画本編ではこの少女が成長していることを、彼女の裸を全て写すことで表現。遂に一線を超える
っていうか少女の成長を表現する時に、裸を写すってのは違うだろ。手段と目的が入れ替わっているぞ。『レオン』を撮ったリュック・ベッソンさん!説教してくださいよ!
6頁目:1行目
春が近づき、別れの季節がやってくる。
6頁目:2行目
観客全員ドン引きする「少女が死んだのでわ?」と思わせるシーン。しかも映画本編ではこのシーンで少女のスカートの中を写し続ける。並大抵の変態ではここまで出来んぞ。
成長した少女たちはエコールを卒業する。っていうかこの写真の場所はどこだよ?(エコールの地下なんだけどね)。
外は普通の世界だった。
6頁目:3行目
少女たちは噴水のところへいく。
6頁目:2行目:5列目
これはラストシーン1。少女たちは例によって服を脱いで水遊び。画面奥にいる男が近づいてくる。中央の噴水の水が、溢れる性衝動をイメージして映画は終わる。
1頁目に戻って:3行目:5列目
ラストシーン2。エコールでは新たに少女が連れられてきた。
END

『エコール』は最低の映画だと思うが、女子高校生を題材にした『エコール3』があったらベタ褒めしたかも(『エコール2』でもまだキツイ。)

2006/12/10|▼この記事の直リンク先

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