Archive for 12月, 2012

破壊屋オフ/12月24日/新宿/フランケンウィニー字幕

金曜日, 12月 21st, 2012
日時 12月24日 祝日
集合時間 未定(15:00かな)
場所 新宿
募集締切 土曜日昼過ぎ

参加したい方はメールフォームか、Twitterか、何でもいいので俺に連絡ください。

ホラー映画ベストテン

土曜日, 12月 15th, 2012

ホラー映画

↑これは全部アイドルホラー映画をメインに撮っているジョリー・ロジャーって会社のラインナップ。


ワッシュさんがホラー映画ベストテンをやってますが、うーむ悩むなぁ。俺はホラー映画というジャンルにそこまで思い入れが無い。子供の頃はホラー映画が怖くて見れなかったし、大学生になったら今度はホラー映画に耐性がついてしまい怖さを感じなくなった。映画を観ていて恐怖することもほとんどない。でもホラー映画を「怖さ」だけで判断するのが間違いで、ホラー映画ファンたちはもっと複雑な感情や思想でホラー映画に接しているんだよな…。よし、じゃあ俺は単純に「大人になっても怖かった映画」を選ぶことによう。以下の5本はホラー映画じゃない作品も含まれているけど、そんな作品たちです。というわけで、ワッシュさんこの5本を集計に足しておいてください。10本も思いつかなかった…。

以下は解説。

  1. 隠された記憶
  2. 遊星からの物体X
  3. 回路
  4. リング
  5. そして、ひと粒のひかり
隠された記憶

裕福なフランス人が奇妙なストーカー被害に遭う。彼は子ども時代の友人マジッドが犯人ではないかと疑うが…っていうストーリー。

主人公はフランス人でマジッドはアルジェリア人。フランスは1962年までアルジェリアを植民地にしていた。政治的人種的な側面もある映画だけど、例えば日本人の主人公が犯罪被害に遭ったら「俺の知り合いの朝鮮人が犯人に違いない!だってあいつは子どもの頃…」っていう風に、日本に置き換えてみると理解の助けになるかもしれない。

ミヒャエル・ハネケ監督作品はどれも怖いんだけど、これは格別。首を切られても生きている鶏(実在する)も怖いけど、クライマックスのエレベーターのシーンが特に怖い。他人と一緒にエレベーターに乗るという日常描写だけでも、ここまで恐怖を引き出すのが凄い。

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遊星からの物体X

俺が通っていたキャンパスでは映画を借りて構内で観れることができた。そこで初めて観た『遊星からの物体X』はすげー怖かった。当時盛り上げっていた映画は『マトリックス』や『ファントム・メナス』で大学の友人たちと「映像がすげえ!」って毎日会話していた。でも1982年の『遊星からの物体X』の古臭い特撮のほうが、CGが進歩したハリウッド映画よりもずっと新鮮で印象的で効果的だった。

あまりの怖さに、それを共有したくなって友達を呼んで二度目の鑑賞。コードが繋がっているヘッドホンで鑑賞するんだけど、友人は例の心臓マッサージのシーンで恐怖のあまりに飛び上がった。コードでつながっている俺は自分のヘッドホンが突然動き出すことにビックリした。心臓マッサージのシーンとのダブルパンチ。あれを超える恐怖はないだろうなぁ。

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回路

黒沢清の最恐ホラーはダントツで『CURE』だけど、あれは高校生の頃に観たのでまだかろうじて映画に怖がっていたころ。でも大学生になってホラー映画が怖くなったときに観た『回路』はすげー怖かった。

『回路』の「幽霊がいるというよりも死者が生者に近づいてくる」「幽霊を素手で捕まえようと思えば捕まえられる」といった概念には心底恐怖した。そんな発想自分の中にはまったく無かった。でも、その後日本映画は死者が復活する作品を連発。幽霊とコミュニケーション取るのが当たり前になった。

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リング

これを観たのはレンタルだった。もう十分にホラー映画に耐性がついているときだった。だから「井戸調べるシーンが怖いなー」と思いつつも強い恐怖を感じるほどではなかった。

ところが映画観終わったあとに、自分の頭の中に「呪いのビデオ」の映像がべったり刷り込まれているのに気が付いた。俺は映画観た後はあまり引きずられないタチなので、映画で恐怖が刷り込まれる感覚が自分でも斬新だった。

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そして、ひと粒のひかり

世界中で映画賞を取りまくったアメリカ・コロンビアの合作映画。少女が胃の中に麻薬を入れる運び屋の仕事に手を出す映画。俺は観ながら「どうせ運び屋シーンはこの少女がドキドキしているところを描くだけなんだろうなぁ」と思っていたら、運び屋シーンがホラー映画よりも超怖え!映画館で観たときは運び屋シーンが終わったときに観客から一斉に溜息が漏れたのが印象的だった。

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『人生の特等席』のラストシーンの補足説明 公立と私立

日曜日, 12月 9th, 2012

『人生の特等席』を観た。俳優引退宣言したクリント・イーストウッドがなぜか主演している作品で、彼の引退宣言は宮崎駿の引退宣言同様「死なない限り現役」だと思っておいたほうが良さそうだ。

人生の特等席

『人生の特等席』はガンコもの同士の父娘を描いた平凡極まりない良作だった。平凡極まりないかと思ったら、「父娘が仲悪くなった理由」が思わず声を漏らしそうになったほど特異な理由だった。

原題の『Trouble With the Curve(カーブ絡みの問題)』の通り「カーブ」がポイントになっていて野球のバッターがカーブに対応できるかというのがポイントになっている。年老いたクリント・イーストウッドが道路のカーブに対応できるかというのも。でも『人生の特等席』という邦題も映画のテーマに即していて上手いと思った。


以下はネタバレ


ラストシーン近くでクリント・イーストウッドと対立していた球団の幹部がクビになり、そのとき彼が「クビはやめてください!お願いします!子供を私立に入れたんです!」って嘆願するシーンがある。さすがに子供絡みとなると可哀相に感じるけど、でもここは映画の意味がわかる重要なシーンでもある。

アメリカでは私立と公立の差は日本以上に違う。極端なことを言うけど生徒の人種が違う。もちろん公立のほうが様々な人種がいて私立には白人が多い。そのため白人の家庭の親は一生懸命お金を稼いで子供を私立に入れようとする。

公立高校の実話を映画化した『フリーダム・ライターズ』が一番わかりやすい。もともとは名門校だったのが様々な人種を受け入れるようにしたところ(というか1992年まで通える高校が人種などで分けられていたのだ!)、黒人やメキシカンやカンボジア人の生徒(一部はギャングの手先)がやってきて校内は荒れ放題。そんな状況を受けて優秀な生徒たちの大半が逃げ出して転校してしまった。ヒロインが担当するクラスで白人の生徒は一人しかいない。でもヒロインは「様々な人種を受け入れるなんてアメリカの理念に即した高校です」と赴任を決意したというのが物語の出発点だ。ちなみに映画のオープニングはロサンジェルスの人種衝突暴動の実写映像だ。

フリーダム・ライターズ

フリーダム・ライターズの出発点。

ハワイを舞台にしたジョージ・クルーニーの『ファミリー・ツリー』では、ジョージ・クルーニーの長女は私立に通っているためにハワイの原住民系の住民と交流が無くなった。ハワイの原住民系の住民は公立に通っているのだ。そのことに対してジョージー・クルーニーが「ハワイ在住のアメリカ人としてそれは正しいのか?」と疑問を感じることがクライマックスの決断に繋がっていく。

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またアメリカとイスラムの関係を描いた某映画ではクライマックスで主人公(アメリカ人)の子供が生まれる。そして主人公が「僕はこの子を公立に入れる!」と宣言するのがラストシーンだ。つまりアメリカとイスラムの断絶に直面したアメリカ人の主人公は、この問題を解決するためには多種多様な人種・宗教・思想を受け入れる人間を育てることだと訴える。そのために私立ではなくてあえて公立に入れると宣言するのが感動のラストシーンなわけ。(ネタバレしても構わない人向けに、その映画のタイトルはこれです

『人生の特等席』で球団幹部がスカウトする選手は白人の悪いイメージを集めたような男だ。で、トドメを刺すように彼の子供が私立に入っていることがわかる。それに対してクリント・イーストウッドはマイノリティの友人を持ち、彼がスカウトする選手もマイノリティのメキシカンだ。『人生の特等席』はアジア人にアメリカを託した『グラン・トリノ』と同じく、クリント・イーストウッドが次なるアメリカ人を発掘するという側面もある映画なのだ。実際に発掘するのはクリント・イーストウッドじゃなくて、彼の娘だというところがクリント・イーストウッドの引退寸前っぽさが出ているけど。