犬の十戒っつーのがあって、それをヒントに『犬と私の10の約束』という映画が作られた。「十戒」を映画化したんだから、そりゃもちろんクライマックスで海が割れて、発情期の犬たちが乱交パーティーやって、飼い主が「何やっとんじゃー!」って怒って十戒をブン投げると犬がみんな死ぬんだろう。そりゃチャールトン・ヘストンの『十戒』か。チャールトン・ヘストンの『十戒』は、十戒をブン投げて[パーティーやってる異教徒を虐殺する]のが、マジで映画のクライマックス。さすが旧約聖書の映画化だな。
で、犬の十戒を読んでみたんだが違和感を感じる。
「豚や虫や人間だったら成立しないだろうな」「犬畜生でも十戒があんのかよ!」ってことではない。
「それだけで私は幸せです」
「私にたくさん話しかけてください。人のことばは話せないけど、わかっています。」
「私にはあなたしかいません。」
「私がずっとあなたを愛していたことを。」
これって飼い主の「私が犬を愛しているんだから、私も犬に愛されたい!」という感情から発生した、愛玩動物に対する思い込みのような気がする。この文章を読んで感動できる人は、私生活に大きく犬が関わっており、なおかつその関係が非常に良好なはず。僕もこの文章を読んで、子供の頃からずっと飼っていて老衰で死んだ犬ゴローを思い出して、「そうかそうか、うちの家族はあの犬にそんな想われていたのか!」と嬉しくなった。しかしその一方で犬の十戒がゴローの感情を勝手に「愛」というキレイゴトにしていると感じる。人間の「愛されたい!だからアレは愛なんだ!」っていうワガママが「犬の感情」にすりかわっている。
オマケ1:このサイトに書かれているネコの十戒は、飼い主からの一方的な要望のみの文章なので、読んでいて違和感を感じることが全く無い。
オマケ2:以前「「ペットを捕まえて、チゲ鍋食べてちょっと元気を出す」みたいな暖かいシーンがある韓国映画無いの?」って書いたけど、日本映画の『花よりもなほ』にそんなシーンがあったの思い出したよ。
2008-02-27