今の日本映画ってのは脚本も演技も演出も酷いので笑ってしまうシーンが多い。だからといって映画館で爆笑すると他の客に迷惑がかかるので、僕はなるべく笑わないようにしている。だが『少林少女』のクライマックスは大声で笑わせてもらった。
恐るべき駄作だ。幼稚で稚拙で軽薄だ。本広克行(監督)と十川誠志(脚本)は頭がおかしいんじゃないのか?フジテレビは彼らを使って映画を作り、毎朝めざましテレビで宣伝している(毎朝じゃないと思うが)。頭がおかしい奴らの映像をニュースの枠で朝から国民に見せているのだ。
つまらない映画を作ったくらいで「やめろ」とまでは言いたくないが、本広克行と十川誠志には日本映画から離れてもらいたい。もう悪影響のレベルになっている。本広克行は自分が何をやっているのかわからないまま仕事をしていたとしか思えない。十川誠志の脚本はケータイ小説よりも酷い。
とにかくクライマックスが想像を絶する。僕は数年前から「こういう事をやってしまう日本映画っていつか登場するんじゃないか?」と漠然と思っていた。”こういう事”とは唐突な「癒し・愛・純粋」で映画を結論付ける現象だ。『キューティー・ハニー』『CASSHERN』といった大駄作がもう既に”こういう事”をやってしまっているのだが、『少林少女』はそれ以上に浅はかだ。『少林少女』を作った本広克行と十川誠志には宗教の意識なんて全く無いはず。だが『少林少女』の珍クライマックスはカルト宗教がセミナーで流す映像のようになってしまっている。何故そんな映画を作ってしまったのか?
『少林少女』の珍クライマックスは一見「陰陽」だが、それは建前だ。本当の所は「癒し・愛・純粋」だから全てが解決するという概念が日本映画にまかり通っていて、『少林少女』もそれを採用したということだ。観客を楽しませるために理屈を抜いてくるチャウ・シンチーがいかに正しかったのかがよくわかる。そんな珍クライマックスも含めて以下内容をぜんぶ解説する。
- 想像を絶する程の凄い気を持った女性:柴咲コウは中国で少林拳を学んでいた。どうして柴咲コウが凄い気の持ち主なのかは説明がないし、そもそも想像を絶する程の凄い気が何なのかよくわからない。さすが「何らかのエネルギー」の十川誠志が書いた脚本だ。
- 柴咲コウは故郷に帰ってきた。柴咲コウは故郷の知人たちと再会する。この知人たちとの再会シーンは特別出演ネタなので映画本編とは関係ない。
- 柴咲コウの故郷には悪の大学があってそこに悪の学長がいた。悪の学長を演じるのは仲村トオルだ。っていうか悪の大学っていう設定はどうよ?
- 悪の大学で行われている悪の会議シーンは部屋の電気を消してやっている。何か暗いから悪っぽい。この「電気を消している人が悪い」という演出はフジテレビのお約束なのだが、最近だと省エネ対策にも見えてくるね。
- 悪の会議とは「力よりも美に投資しよう」というわけのわからんものだった。この前半の設定は「悪は力を求める」という後半の設定と完全に矛盾する。「力よりも大切なもの」って普通主人公側の論理だよね?
- 高級車の窓がスーッと開くと仲村トオルのドアップが出てくる!もちろんスローモーションだ。本広克行の稚拙すぎる演出に笑ってしまった。
このシーンは気に入ったのでタイトル画像にした。
- 仲村トオルが筋トレしている近くで、部下たちが悪の大学の運営をしている(ギャグじゃなくて大マジでやっている)。
- 悪の大学を糾弾していたジャーナリストの車が爆発して死亡した。
ニュースでは「事故・自殺の両面から調べています。」と言っているが、遺書もないのにジャーナリストの車が爆発して自殺はねーだろ!
- 柴咲コウは少林拳を広めるために故郷に来た。
- 柴咲コウはそこらへんの中国人美少女からラクロスに誘われた。だからラクロスをやることにした。
- しかしラクロスはチームプレイ。柴咲コウは身体能力が優れているが個人技しかできないのでチームの足手まといになる。映画を観た人にはわかると思うが、アレは「個人技しかできない」からじゃなくて「コントロールが下手」なのが原因だ。でも映画のテーマがチームプレイなので無理矢理チームプレイを強調する。
- ラクロスチームのメンバーから嫌われた柴咲コウ。一人になった柴咲コウはサッカーと出会う。
- こうして柴咲コウはサッカーのコーチからチームプレイを学ぶ。ラクロス関係なーい!ラクロスでチームプレイが出来ないからサッカーをやるって、この映画のやりたい事って何?
- まあなんだかんだでラクロスチームのメンバーはコウを許すことにした。このシーンは本当に「なんだかんだ」的に表現していて物語になっていないので驚いた。
- ラクロスチームの練習風景がモンタージュ形式で表現される。今まで数多くの映画を観て来たが、『少林少女』程酷いモンタージュは観たことがない!ここで言うモンタージュの意味を知りたい人は是非『チーム・アメリカ ワールドポリス』を観てください。このYOU TUBEを観てもいい。
- 悪の学長(仲村トオル)は柴咲コウの力を引き出すために、柴咲コウの大切なものを奪うことにした。何故力を引き出したいのか説明がない。
- でも仲村トオルのキャラ設定を読んだら「仲村トオルは力のみを追求している」と書いてあった。これが先ほど書いた「力よりも美」という設定と矛盾している。
- 柴咲コウの大切なものを奪うために、悪の大学の戦士たちは柴咲コウの道場にガソリンを捲いて放火することにした。悪の大学の戦士たちは全員装甲を身につけているんだが、こんな格好でガソリン捲いてたら怪しすぎ!っていうか悪の大学の戦士たちって何なの?学生?バイト?(格闘技を学んだ学生らしい)
- 柴咲コウは道場内にいるのでガソリンは外に捲かれる。でも柴咲コウが道場の外に出ると、何故か道場の外側は一切燃えておらず内側だけ。
- さらに中国人美少女も誘拐され、柴咲コウの師匠である江口洋介の食堂まで爆破された。警察呼べよ!
- 燃え盛る道場を見ながら江口洋介が自身の過去について語り出す。語ってないで消防車呼べよ!マトモな映画だったら焼け落ちた道場を見ながら過去を語り出すんだが。まあこの映画はマトモじゃないし。
- ここで凄い脚本のミスがあるんだが、長くなるので最後で解説。
- 怒った柴咲コウは単身で悪の施設に突撃して、悪の大学の戦士たちを100人くらいを倒す。映画のテーマのチームプレイはまったく関係なかった。悪の施設は『死亡遊戯』の塔みたいな所で、各階ごとにいろんな映画のパクリをやっている。このパクリネタは悪い意味じゃなくて、オマージュのはずなんだけど、個人の自主映画レベルのオマージュだ。
- 最上階には悪の学長がいた。悪の学長と柴咲コウが戦うんだけど、少林拳とは関係のないドラゴンボールみたいな戦い。
さあ、こっからが『少林少女』のトンデモクライマックスだ!嘘ネタじゃないぞ!全部本当のことだからな!
- 柴咲コウは悪の施設の天井を破り、空へ飛ぶ。
- 太陽と重なった柴咲コウからまゆばい光があふれ出す。
- 空を飛びながら柴咲コウは仲村トオルを愛する。
- 空中で抱き合いながらクルクル回る柴咲コウと仲村トオル。
- 柴咲コウが「キラキラぁ」「宇宙は」「胎内」とか精神病みたいな感じで語りだす。
- おっぱいを吸う赤ちゃんとか癒しっぽい映像が出てくる。
- 仲村トオル泣く。
- 柴咲コウと仲村トオルは抱き合いながら墜落。墜落の衝撃で悪の施設は崩壊する。
- 柴咲コウと仲村トオルが子供に戻って会話をしている(純粋な気持ちを表現したいらしい)。
- ハッピーエンド。
- エンド・クレジット。
- 仲村トオルは放火・爆破(もしかしたら殺人も)の犯人のはずだが、改心したので善の学長になった。ラクロスチームを応援している。
- ラクロスチームは『少林サッカー』のようなシュートを放ち、相手チームのゴールを爆破させる。
- その後に柴咲コウがマスコミのインタビューを受けて「団結力とパスワークが重要です!」と1秒でわかる嘘をつく。
- 完
ハッキリ言って映画にラクロスはあまり関係ないのだが、『少林少女』のパンフレットには5ページに渡ってラクロスの解説、およびラクロスチーム18人の全員の設定が書いてある(柴咲コウは1ページ)。矢口史靖の映画を真似したいんだろうなぁ。
先ほどの脚本のミスを解説。
登場人物が知らないことを観客が知っている。当たり前のテクニックだ。
『ダイ・ハード』には、主人公が途中で出会う気弱な男が実はテロリストのボスだというシーンがある。気弱な男の正体を観客は知っているが主人公は知らない。だからこそ観客は気弱な男との会話シーンを見ていると凄まじく緊張するし、その後の「主人公は気弱な男の正体に感づいていた」というシーンが活きて来る。
だがバカが脚本を書くと、観客しか知らないことを何故か登場人物が知っているという現象が起きる。リュック・ベッソンが脚本を書いた『トランスポーター』で、ヒロインが誘拐された場所を主人公が知っている現象などがそれだ。
しかし究極のバカが脚本を書くと、登場人物も観客も情報を知らないまま話が進むのだ!この現象が起きると観客が置き去りになるのだが『少林少女』がそれをやってしまっている。具体的には「悪の学長が中国人美少女を誘拐し悪の施設に監禁した。」という情報が観客にも登場人物にも知らされないまま映画が進むのだ。だから中国人美少女は偶然助け出せたということになるのだが、それだと柴咲コウが悪の施設に突撃した意味がわからない。『少林少女』の物語の繋がらないっぷりはケータイ小説よりも酷いぞ。(でも天才宮崎駿も『ハウルの動く城』で観客を置き去りしている………)
もう一つこの映画には酷い要素がある。コメディセンスが恐ろしいほどなかった。『少林少女』はコメディ映画なのだが観客が一切笑わなかった!こんなシーンがある。
ラム・チーチョンが岡村隆史に
「シャチョーさん」
と言うと岡村隆史が
「社長じゃねえし」
と言い返す。
このギャグ自体が面白くないんだが、このつまらないギャグを劇中10回近く繰り返すのだ!
さらに
- 岡村隆史が噴水の手入れをしていると噴水にボールが詰まる。
- 岡村隆史がボールを取る。
- 水が勢いよく出てくる。
というギャグがあるのだが、これギャグなのか?
普通は
- 岡村隆史が噴水の手入れをしていると噴水にボールが詰まる。
- 岡村隆史がボールを取る。
- 水が出てこない。
- おかしいと思った岡村隆史が噴水口を覗く。
- 突然水が出てくる(または別の場所で水が噴き出している)。
じゃないのか?
あとさ、柴咲コウのオーラの演出だけどさ。柴咲コウのお尻からオーラが出てくるのはちょっと変だった。オナラに見えたぞ。
最後。この映画は音が非常に変だ。フジテレビがいつも自慢しているジョージ・ルーカス傘下の「スカイウォーカーサウンド」を使っているんだが、「音が立体的に聞こえる」んじゃなくて「音が変な位置から聞こえる」のだ。他にも登場人物たちの会話は通常の音なのに、脇役の会話は低音バリバリだったりする。宝の持ち腐れ。
マッドシネマ
『少林少女』の脚本の酷い部分ベスト10
2008-04-28
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