方々から「(破壊屋さんは)ドラゴンボールをけなしてください!」と言われていたので、「いや、僕はジェームズ・ウォン監督好きですよ。」とあらかじめ褒める伏線を貼っていたんだけど………。これはちょっと酷い出来だった。
3/14の『ドラゴンボール・エボリューション』鑑賞会。「今日の映画館は激混みのはずだ!当日に座席のまとめ買いなんて出来るはずない!」と思い、チケットは既に3日前に購入してあった。しかし映画館の客の入りは半分ほどで、ショックを受けた。若いカップルが何組かいたが、ホワイトデーのこの日に何故『ドラゴンボール・エボリューション』なのだろうか。これが浜崎あゆみ効果なのだろうか?深町秋生さんも指摘しているが、『ドラゴンボール・エボリューション』の宣伝は浜崎あゆみに頼っている。パンフレットでの扱いも大きかった。鳥山明は『ドラゴンボール・エボリューション』のイラストを描いて宣伝に協力するのが当然なのに、それをやらなかった(本人が嫌がったらしい)。その代わりに鳥山明が書いたのは浜崎あゆみだった。
ドラゴンボールよりも浜崎あゆみのほうが国民的存在なのだろうか。
以下、映画の全ストーリー解説。鑑賞会後の飲み会のネタも混じってます。みんなありがとうナマステ。でもみんなで酒飲んでるうちに映画の内容をどんどん忘れていくので大変だった。
- 映画が始まると宇宙空間の星が集まってピッコロになったり大猿になったりして、ドラゴンボールの壮大な設定がすごい勢いで説明される。
- 2000年前、宇宙から来た魔王ピッコロと大猿が地球に壊滅的なダメージを与えた。しかし7人の老師が現れて魔封波によってピッコロを封印したのだ。
- 現代。主人公の悟空はおじいちゃんの悟飯から武術と気を教わっている。悟空は誕生日プレゼントとして四星球をもらう。
- 悟飯の「第1のルール。ルールは無い。」というセリフが出てくる。意味不明な上に本編とはほとんど関係無い。しかし浜崎あゆみはこのセリフを元に歌詞を書いているので、その意味で重要なセリフである。
- 学校での悟空はイジめられっ子の高校生で、あだなはギーコ(オタク野郎)だった。悟空は学校の授業でナメック星人の脅威について語ったりしている(ナメックスという発音がちょっとカッコいい)。悟空が「女の子と上手く喋れないんだよ。どうしたらいい?」とおじいちゃんに相談するシーンもある。
- 悟空は同じ高校に通う女子高生のチチのことが好きだった(女子高生のチチなら僕も好きだ)。悟空がチチを見るとチチの背景に突然大自然が合成されるというわかりやすい演出だった。でもこれって傑作『プライド』でも満島ひかりがやってたなぁ。
- チチは学校内のロッカーの鍵が開かないので困っていた。これをコッソリ見ていた悟空が手を動かすと、ロッカーの扉が開く。ここらへんのノリは『超能力学園Z』を連想させる。
- ちなみに悟空やピッコロたちが「気」を使う描写はスター・ウォーズでのフォースの使い方にソックリだ。
中国の武侠モノでは「気」はあくまでも体内に留まる要素だ。日本だと「気」はビームのように放出できる。アメリカだと超能力みたいな使われ方をする。国によって力の捉え方って色々あるんだな。
- 悟空は女の子と喋ろうとするとしどろもどろになってしまう性格なので、チチとまともな会話が出来ない。原作だとチチと出会うと同時に女の子のデリケートゾーンを果敢に攻めてお嫁に行けない体にしてたくせに。
- それでも悟空はチチにパーティに誘われる。悟空ははりきって髪の毛をオールバックに整えようとするが、髪の毛がツンツンなので上手くまとまらない。
- 悟空はパーティに行く。しかしパーティ会場に入るよりも先にイジめっ子たちに絡まれる。遂にブチ切れた悟空はイジめっ子たちの同士討ちを誘うことで彼らを壊滅させる。ついでに悟空は黒人番長も倒す。
- その頃悟飯は自宅で悟空を待っていた。悟空に出生の秘密を伝えようとしていたのだ。まあ悟飯がアジア人で悟空が白人なんだから、血が繋がっていないことくらいは悟空も気がついているんだろう。
- だが悟飯の元にやってきたのはピッコロとマイ(田村英里子)だった。ピッコロとマイは飛行船に乗って二人だけで活動しているんだが、ピッコロとマイの関係は一切説明無い。二人だけで世界中を回るのも大変だろう。この二人は食事当番とかを代わりばんこにやってそうだな。
- ピッコロは悟飯を瀕死にまで追い込んで立ち去る。悟飯は駆けつけた悟空に「亀仙人に会いに行け」と言い残して死ぬ。
- 旅の準備をする悟空。そこにブルマ・ブリーフという裁判所に改名手続きをお願いしたら一発で通りそうな名前の女性が登場して、いきなり悟空に銃を乱射する。ここらへんの展開は微妙に原作をリスペクトしている。
- ブルマの父親の会社は大企業で、ドラゴンボールを有していた。そのドラゴンボールは厳重に保管されていた。ある日ピッコロの部下であるマイがその厳重なセキュリティを突破してドラゴンボールのある部屋にたどり着いた。そしてマイは窓ガラスを割って逃げた………窓ガラスがあるの?そんなに重要なモノを保管する場所に窓ガラスがあるの?
- ブルマと悟空は亀仙人の元へ行く。亀仙人役を演じるのはチョウ・ユンファ。映画『ドラゴンボール』で1億ドルもかかった製作費のほとんどは鳥山明と集英社とチョウ・ユンファの懐に入ったのだろうか。
- 悟空と亀仙人が戦う。悟空がうっかりブルマを倒してしまったところで戦いは終わる。
- 子供でも観れる映画なので亀仙人のエロ描写がちょっとぬるい(ビキニ雑誌など)。ブルマのパフパフやスカートめくって御開帳は、幼稚園児だった僕にとって強烈な性体験だったのでちょっと寂しい。
- ピッコロ復活を知った亀仙人はドラゴンボールの秘密について語る。そしてブルマと悟空と亀仙人は旅に出る。雄大なメキシコロケが全て無駄な感じな風景描写だ。特に砂漠のカットが凄い。
- 途中の荒野にはヤムチャが作った落とし穴があった。落とし穴に落ちる一行。誰も通らない荒野に何故落とし穴を作るんだヤムチャ。
- その落とし穴にたまたまドラゴンボールがあった。特にドラマも無いんだけどヤムチャも仲間になる。このあとブルマとヤムチャは恋仲になる。ドラマを省略しすぎだ。この映画のセリフはほとんどが設定に関することばかりだ。
- 日食までの2週間の間にドラゴンボールを集める必要があるらしい。どうやら日食の時に大猿が現れてブルマたちを殺すらしいのだ。もう大猿の正体はバレバレだよ。
- その頃、ピッコロは自分の部下を作っていた。原作だとピッコロはタマゴを吐き出すが、映画だとピッコロの血を抜いて培養させるという方法だ。血を抜くときのピッコロは思いっきり痛がっている。採血でそんなに痛がるなんて大魔王、情けないぞ。
- 悟空たち一向は火山に向かう。溶岩ドロドロの火口にドラゴンボールがあるのだ。悟空は「ピッコロの部下たちを火口にブチ込んで、足場を作ろうぜ!」という残酷な方法を思いつく。誰も止めないままその作戦は決行された。
- 日食まではあと二日。世界のどこかにあるドラゴンボールなんて全て集まらない。というわけで映画はいきなり天下一武闘会になる。
- 実際には天下一武闘会ではなくてトイサン(台山)という格闘イベントである。そのトイサンで悟空はチチと再会する。チチは女子高生戦士だったのだ。
- トイサンには寺院があって、そこに亀仙人の師匠(黒人)がいた。演じるのは『ゴーストバスターズ』の黒い人。師匠は魔封波用のツボを作り亀仙人に託す。魔封波を使うと死ぬという設定も原作と同じ。
- 悟空は亀仙人からかめはめ波のワザを教わり練習する。だがかめはめ波が全く出せない悟空。悟空から5歩離れた位置にいるチチが「かめはめ波が成功するたびに一歩づつ私に近づいていいわ(キスしていいわ)」と言う。悟空は速攻でかめはめ波に成功。かめはめ波はリビドーの力で出すのかよ!
- 1歩目と2歩目は成功するのに、なぜか3歩目が失敗する。たぶん2歩目が成功したときに、チチとのキスを想像してかめはめ波以外のものが出てしまい、萎えちゃったんだろうな。
- しかし悟空は若いのですぐに復活。かめはめ波を習得してチチとのキスに成功する。
- その頃、チチのDNAを奪ってチチに変身したマイがやってくる(何だよその設定は?)。
- 悟空はマイに倒されてあの世に行きかけた。しかし亀仙人が心臓マッサージ代わりにかめはめ波を悟空に撃ち込んで悟空復活。かめはめ波はAEDだったんだ。便利だなぁ。他にもかめはめ波にはチャッカマンみたいな効果もあります。
- 全てのドラゴンボールを手に入れたピッコロとマイ。世界はもう終わるのか?しかし、ドラゴンボールを使うにはドラゴン・テンプルに行く必要があるのだ。目的地が決まってるのなら待ち伏せすればいいのに。
- ドラゴン・テンプルでピッコロは悟空に衝撃の事実を語る。悟空は隕石に乗って地球にやってきた超パワーを持つ赤ちゃんだったのだ。つまり悟空は地球人ではなくて………この設定だとクリプトン人だなぁ。
- 日食がやってきた。悟空が大猿に変身してブルマたちの敵になる。大猿といってもチェ・ホンマンよりちょっと大きいくらい。あと自分が大猿だと気がついたときの悟空の演技がめっちゃ酷い。
- 魔封波に失敗して亀仙人は死ぬ。
- ブルマはドラゴンボールを奪って逃げ出すが、マイがブルマを追い詰める。ここでこの映画で唯一良いシーンがある。ブルマがドラゴンボールをマイに投げ渡すフリをして、ホイポイカプセルを投げつけるのだ。ホイポイカプセルは空中で変形してマイに襲いかかる(良いアイデアだ)。だがマイはそれも避ける。
- そのときヤムチャがマイを後ろから射殺する。女性を後ろから撃つって………ヤムチャ見損なったぜ。お前がサイバイマンに倒された20年前からずっと見損なってきているが。(そういえば原作のヤムチャって幼いチチを殴っていたよね?)
- いろいろと心の声が聞こえてきたので、悟空は大猿状態を止めることができた。悟空とピッコロの最後の戦いが始まる。
- 悟空はかめはめ波を撃ちながら空を飛んでピッコロに突っ込む………、原作だと足でかめはめ波を撃ってピッコロに突っ込むので説得力があるが、前方にかめはめ波を撃ちながら前方に飛んでいく映画版はちょっとシュールだ。
- 結局このかめはめ波が決め手になって悟空が勝つ。
- 悟空たちは亀仙人を生き返らせるためにドラゴンボールを使って神龍を呼び出す。そんなスケベジジイよりもおじいちゃんの悟飯を生き返らせてあげようよ!無理か。
- 映画があまりにもつまらないので、ここで「ギャルのパンティおくれーーー!」と叫ぼうかと思ったが、他の観客の迷惑になることはやめた。
- 亀仙人は生き返った。
- 映画のラストシーンは、誰もいないトイサンの会場。悟空とチチは「私たちはどっちが強いのか?」とケンカになって、ここで決着つけようとするのだ。二人がケンカを始めたところで映画が終わる。これって『ロッキー3』のラストシーンと同じだよね。『ロッキー3』だとここで名曲『アイ・オブ・ザ・タイガー』が流れるんだけど、『ドラゴンボール・エボリューション』だと浜崎あゆみが流れた。
僕はジェームズ・ウォン監督の映画が好きなので、『ドラゴンボール・エボリューション』もそれなりに楽しめると思ったが全然ダメだった。映画最大の欠点は背景の説明や設定のつながりが無いという点だ。このストーリーだと絶対に必要な「ピッコロ復活」のシーンが無いのは完全な手抜き。ピッコロがおじいちゃんの仇のはずなのにその説明も無い。必要なセリフやシーンをとことんカット(上映時間は90分未満)したために、おそろしく退屈な映画になってしまっている。メキシコロケや竜の使い方などが去年の大駄作『D-WARS』にソックリなのも残念だ。
日本のマンガなんてそのまんまハリウッド映画にできるわけがない。設定だけを借りて全く違う作品になるのは構わない。しかし『ドラゴンボール・エボリューション』には予想以上に原作へのリスペクトがたくさんあって、それが足かせになっていた。『ドラゴンボール・エボリューション』の失敗によってルパン3世、エヴァ、AKIRA、童夢、寄生獣といった数々のハリウッド映画化準備中の計画が数年以上先送りになることだろう。ジェームズ・キャメロン、お前が立ち上がる時が来たようだ(MANGA大好きのジェームズ・キャメロンは『アバター』の次に『銃夢』に取り掛かる)。
さてこの映画の最大のツッコミどころは、エンドクレジットで日本のどこかでピッコロがベッドで寝込んでいて、関めぐみに介抱されているという珍シーンだ。これは単なる続編への布石だが、『ドラゴンボール・エボリューション』の続編はとてもじゃないけど設定をリセットしない限り作られることは無いだろう。続編が無いということは、あのままピッコロは日本の村で暮らしていくということだ。だったらピッコロを主役にして続編を作りませんかね?こんな風に↓
地球を滅ぼそうとして悟空に敗れたピッコロ。ピッコロは日本の田舎村で関めぐみに介抱されているうちに彼女への親しみを覚える。故郷のナメック星が爆発してしまい、仕方なく地球にやってきたピッコロの悲しさを理解できるのは関めぐみだけだったのだ。しかし村の人々はピッコロを不気味がり差別する。その村人たちの態度はピッコロが地球にやってきた時の地球人たちの態度と全く一緒だった。
(ここまでのドラマが1時間半。クライマックスとラストは↓こんな感じ)
ある日、村を支配するためにレッドリボン軍がやってくる。関めぐみは激怒して抗議する。しかしレッドリボン軍は支配の見せしめのために関めぐみを撃ち殺そうとする。銃弾が放たれるが、とっさにピッコロが関めぐみの目の前に飛び込んで代わりに撃たれる。撃たれたピッコロが立ち上がる。それを見たレッドリボン軍はかつて自分たちが尊敬した大魔王とピッコロが似ていることに気がつく。ピッコロが叫ぶ。「似ているのも当たり前だ!オレ様はピッコロ大魔王だ!この村はオレ様が支配している!二度と近づくな!」恐怖のあまり一目散に逃げ出すレッドリボン軍。こうして村の平和は保たれた。
しかし銃弾が効かないと思われたピッコロは、血を吐いてよろめく。人間としての愛を手に入れたピッコロは魔族の力を失っていたのだ。ピッコロは関めぐみを愛していたのだ。「もう大魔王でもピッコロでもない。本当の名も忘れてしまったナメック星人だ。」とつぶやきながらピッコロは倒れた。魔族の力を失ったピッコロにとって銃弾の傷は致命傷だったのだ。同じくピッコロを愛していた関めぐみは泣き叫びながらピッコロを抱きかかえた。ピッコロは関めぐみに別れの言葉を伝える。「オレとまともにしゃべってくれたのは………お前だけだった………お前と過ごした数ヶ月悪くなかったぜ。」
ピッコロは村の英雄となって死んだ。
5年後。関めぐみは幼い子どもと暮らしていた。緑色の目を持つ子どもには父親がいなかったが、村人たちはその子どもを大事にしていた。関めぐみは我が子に話かける。「あなたのパパは遠いお星様からやってきて、ママと出会ったの。そしてまたお星様に戻ったのよ………。」 END。
2009-03-16
はてブ|
▼この記事の直リンク先