遂に東日本大震災を題材にしたコメディ映画が生まれた。早っ!といっても直接的にネタにしたわけでもないし、被災地を題材にしたわけでもない。ネタになっているのは震災後の滑稽な東京の姿だ。
今から映画の序盤のストーリーを解説します、序盤の展開のみネタバレとなっています。
- 映画のストーリー(震災前)
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物語のヒロインは、ちょっとしたセレブ人生を歩んでいる女子高生リエだ。リエのお父さんは旅行会社を経営している結構な金持ちなので、リエは苦労知らず。さらにリエは美貌と美脚の持ち主なので、女子高生たちに大人気の読者モデルとしても活躍している。
2011年3月10日、リエは友人たちと集まって談笑する。リエは間近に迫った卒業式には出ないでロサンジェルスへ留学してしまう。卒業式に出ない理由はロサンジェルスでレディ・ガガのライブを観るためだ。リエの友人で歌手デビューが決まっているアズサは
「レディ・ガガなんてマドンナのパクリ」
と一刀両断するけど。リエの元カレもやってきた。元カレはイケメンだけど、あまりにも頼りがいの無いナヨナヨした男なのでリエにフラれたのだ。そのとき地震が起きる(3月10日の前震)。元カレはニュージーランドのクライストチャーチ地震を引き合いに出して
「海外は危険、ロサンジェルスに行かないで安全な日本にいて」
とリエに頼むが、リエは
「ニュージーランドに近いのはロサンジェルスよりも日本よ」
と呆れる。こうしてリエはロサンジェルスへ旅立った。次の日、東日本に大地震が発生した。東北地方は津波に襲われ、原発はメルトダウンした。
- 映画のストーリー(震災後)
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2011年3月22日、リエは日本がどうなったのだろうと確認するためにガイガーカウンター持参で東京の自宅に戻ってきた。
リエが自宅前にいると、例の元カレがやってきた。元カレは被災地で震災ボランティアと活躍していて見違えるように男らしくなっていた。元カレは飼い主が津波で死亡した被災犬をリエに預けると、救援物資を抱えてまた被災地へ戻って行った。
震災の影響で旅行業界は大打撃を受けてリエの父さんの会社は倒産した。それどころか顧客に代金を返済しなかったため、お父さんは詐欺罪で逮捕された。自宅もヤクザに差し押さられてしまった。リエのクレジットカードは使えなくなったし、どこに行くにもタクシーを使うリエの現金はあっという間に無くなった。困り果てたリエだが
「こんな時だからこそ日本人同士助けあおう!」
という人にロサンジェルスに帰るための航空券も盗まれたために人生終了。しかたなくリエは公園で野宿する。お巡りさんが
「こんなところで寝ると危ないよ」
と諭してくると、寝ぼけたリエは
「危ない?ここは何ミリシーベルトですか?」
と聞き返す。 - 映画のストーリー(本筋)
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食べ物も住む処も無くなったリエは被災犬と一緒に東京を歩く、その時リエの耳にレディ・ガガのボーン・ディス・ウェイをパクったとしか思えない日本語の歌が聞こえてきた。歌声のほうを見てみると、まったく客を集めていない路上アーティストがレディ・ガガのように熱唱しながら自主制作CDを売っていた。よく見てみると路上アーティストはアズサだった。震災のせいで歌手デビューの話が消えたアズサは、自分が嫌いなレディ・ガガをパクリながら流しで活動していたのだった。
リエはアズサに生活を助けてもらうようにお願いするが、セレブ人生を歩んできたため生活力が欠落しているリエと、たくましく現実を生きるアズサとの同居生活がうまくいくはずもなく…。
- 不思議の国のリエ
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ここまでが序盤の展開だ。このあとはプチセレブ人生から転落したリエが庶民として生きて行くカルチャーギャップコメディとなる。カリスマ読者モデルだったリエがスーパー(のチラシの)モデルまで落ちぶれるとか。演技陣ではリエ役の森星(もりひかり)とアズサ役の村田唯の二人が抜群に良い。
でもこの映画は単なるカルチャーギャップじゃあない、リエが生きて行くのは震災後の東京だ。この映画が描くカルチャーギャップには東日本大震災と原発事故で価値観が変わってしまった日本人も含まれる。震災後の日本に住む俺が、震災後の人々を描いたこの映画を観てカルチャーギャップを感じるのだから不思議なもんだ。
監督の金子修介は本作を<「不思議の国のアリス」パターン>って表現しているけど、確かにそうだ。プチセレブだったリエが震災後の東京で奮闘する姿は、異世界を冒険するアリスに重なる。
リエが出会う人々は震災後で意識が変わった人々なのだ。例えば放射能を恐れるあまりデマメールを転送する人、放射能に襲われる日本から逃げ出さない外国人(ゴジラ好きというのが皮肉)、リエの犬が被災犬というだけでやたら感動するウザい人、っていうかそのウザい人ってこの映画の本来のメインターゲットじゃねえか!
- 警告
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ネタバレが増えていきます。
- メルトダウン
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この映画で特に優れていると思ったシーンは、リエの状況をメルトダウンを使って説明しているところだ。リエが周囲の人たちが嘘ついていることに気が付くシーンがあるんだけど、その時ラジオからは政府と東京電力が炉心溶融を認めるというニュースが流れてくる。
東京電力がメルトダウンをしぶしぶ認め始めたのは5月になってから。リンク先は燃料の大量溶融、東電認める 福島第一1号機という2011年5月13日の記事だけど、2号機と3号機についてはまだ大量溶融を認めていなかった。
多くの日本人は3月の時点で「いやもう溶けているだろ!」とツッコミ入れていて、本当のことを言わない政府と東電にうんざりしていたはずだ。俺は4月の時点で東電の嘘を笑うエントリを書いて、10年以上やっている破壊屋史上最高アクセス記録となった。そんな俺でも5月の大量溶融の報道は「え?そこまで酷い状況なの?」と衝撃を受けた。
嘘つかれていることにリエが衝撃を受けるシーンに、原発事故隠しという日本人がもっとも強い衝撃を受けた嘘を重ねていて面白い。
- 東京電力と自主規制
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そしてこのメルトダウンのシーンは、監督本人が「自主規制した」と言っているところでもある。さっきの「政府と東京電力が嘘ついていた」というシーンは伏線になっていて、クライマックスでリエが
「皆、ウソばっかり。政府と同じじゃない」
と周囲を糾弾するシーンに繋がる。しかしここは当然伏線を回収するシーンなので
「皆、ウソばっかり。政府と東京電力と同じじゃない」
というセリフになるべきだ。でも監督が削ってしまったのだ。監督本人がこのシーンの自主規制について語っているが、確かに自主規制した監督の気持ちはわかる。商業映画で嘘つきの代表例として固有の社名を出すのは難しい。でも削らないで欲しかったかな。
- 犬と難病と妊娠と
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俺がこの映画に大きく感動した理由がもう一つある。『青いソラ白い雲』を構成する要素は犬・難病・妊娠だ。これらは数年日本映画界で安易に使われてきた要素で、犬や難病キャラが出てくるだけで「あ、またか」とうんざりさせられる。またこういう要素を使う映画は駄作ばっかりだった。
でも金子修介監督はこれらの要素を逆手に取った。ヒロインは被災犬を押し付けられた人だし、妊娠ネタは「放射能だらけなのに妊婦がマスクしていないなんて!」と焦りだすキャラを登場させてギャグにしてしまう。難病で死ぬシーンもギャグっぽく撮っている。今までの日本映画が感動させようとして失敗してきた事に、逆のアプローチで取り組んでいるのだ。
- 放射能コメディ
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『青いソラ白い雲』は2012年現時点で商業作品が震災や放射能をどこまでコメディとして扱えるか踏み込んでいる。震災後の状況を誰もコメディとして捉えることができなくて、唯一やってくれているのはネット上の不謹慎ギャグという状況が俺には不満だった。だからこそ『青いソラ白い雲』は2012年の俺の暫定ベスト1映画だ。
だけどこの低予算映画『青いソラ白い雲』はまったく話題にならなかった。監督のインタビューやブログを読んでいると宣伝から放射能コメディの要素が消されたのがよくわかる。ライターのとみさわ昭仁さんと飲み会に行ったときに、とみさわさんが
「この映画が大ヒットしていたら抗議する輩が出てきたと思う」
と言っていたけど、きっとその通りだろう。でも『青いソラ白い雲』が踏み込んで描いたギャグの数々は、今後の日本の映画やテレビ番組作りにきっと良い影響を与えるはずだ。世間的な評価はマイナーな佳作コメディだろうけど本作は2012年を象徴する映画だ。これは『青いソラ白い雲』の最大級のネタバレなので、未見の人は可能な限りクリックしないで欲しいけど、今この時代にこういうキャラクターを登場させただけでもこの映画は素晴らしい。
- 青いソラ白い雲
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放射能コメディというのもこの映画の一つの要素に過ぎなくて、この映画はラストで震災後の日本をどうやって生きればいいのかまで踏み込んでくる。タイトルの本当の意味がわかったとき、感動というよりも清々しい気分になった。
- オマケ
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ちなみに金子修介監督は「犬と少女というテーマで映画を作ってくれ」という依頼を映画会社から受けていた。映画のテーマとしてはかなり安易なもので、同じテーマを扱った大橋のぞみとソフトバンクの犬が共演する映画『大好きなクツをはいたら』は完成することなく大橋のぞみごと消えた。