長嶋一茂が企画・製作・主演した映画。まず「長嶋一茂って映画屋だったのか!」という点で驚く。次にケビン・コスナーが超一流スターから退くきっかけとなった失敗作と、全く同じタイトルをつけるセンスにも驚く。そして映画の内容が郵便屋さんという点でさらに驚く。今の時期にこんな映画が出てくるなんて郵政民営化関連じゃないのか?郵政が民営化されて郵便局の窓口で映画のチケットが購入できるようになったが、その宣伝に使われたのがこの『ポストマン』だ。
映画の内容もすごい。
田舎町での郵便配達屋さん。彼は「郵便配達はバタンコ(自転車)だ!」という筋金入りのポストマン。今日もバイクを拒否して効率の悪いバタンコ(自転車)で郵便配達を行います。
「田舎町での郵便」とか「効率を無視したバタンコを使う」とか、郵政民営化で真っ先に消えそうなモノを題材にしている。
だが映画を実際に鑑賞してみるとそんなに酷くはない。僕は破壊屋でネタにするために映画館へ行ったんだけど、演出・脚本のルールを守っている映画なのでバカにするのが難しくて困った。初監督作品でこれなら立派だ。
長嶋一茂の演技は感情表現がまるで出来ていない。ところが「感情表現が出来ない」=「普通の人っぽい」ということで、この映画の郵便局員役にはピッタリ合っている。ただ感情を前面に出す演技は失笑するほど酷い。僕が観た劇場でもおじいちゃんおばあちゃんたちが笑い出していた。
脚本は意外とちゃんと出来ている。状況描写的なセリフがちょっと気になるが、今の日本映画の悪しき風潮である「感情をセリフで説明する」をやっていない。省略できる描写もガンガン省略していて小気味良い。
演出は「アナログ」という点をとことん重視している。現代が舞台なのでケータイやパソコンは存在しているが、画面には一切登場しない。演出の統一が図られている。
じゃあ褒めるところ褒めたんでマッドシネマ・スタート!
ちょっと休憩。
この映画は回想シーンにそのまま入る&出るという凄いテクニックを使う。解説しよう。
北乃きいが過去を回想するシーンがあるのだが、これがスゲエ怖い。普通だったら回想シーンに入る&出る際にはカットで画面が切れるので「今は回想シーンなのかどうか」という判断は必要無い。しかしこの映画はそのまま回想シーンに入るので「今は回想シーンなのかどうか」という判断を観客がする必要がある。で、どうやって判断するのかというと、北乃きいの表情から判断するのだ。つまり
- 北乃きいの顔が笑っている(お母さんが生きている過去)
- 北乃きいの顔がひきつっている(お母さんが亡くなっている現在)
という風に笑っていた北乃きいが突然ひきつりだすことで回想シーンが終わったことを判断できるのだ。怖いよ。
そしてここからが衝撃のクライマックスだ!
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主人公がいつも手紙を配達している老人が倒れた。老人は意識不明のまま病院まで運ばれた。
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老人は封書を持っていた。
「手紙が届くのは元気な証拠」
老人は以前そう言っていた。
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つまり「手紙を届ければ助かる」ってことらしい。この映画の論理だと訃報通知はデスノート並の破壊力があるな。
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今は夕方だ。長嶋一茂は房総から東京を目指してバタンコを漕ぎ出す。以降の展開はメチャクチャだが、長嶋一茂の儀式だと思ってもらいたい。
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バタンコ(郵便局員の自転車)を漕いで夜の千葉を走る長嶋一茂。
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東京に入った!だが大雨になってしまった。
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豪雨に打たれながらひたすらバタンコで走る長嶋一茂。
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車に抜かれながらひたすらバタンコで走る長嶋一茂。
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遂に長嶋一茂は深夜の東京駅に到着した!!
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朝になった。長嶋一茂は東京タワーの下で公園の水を飲んでいる。普通はペットボトルだと思うが。
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昼になった。まだまだバタンコで走る長嶋一茂。あれ?この風景はいつも見ている風景だなぁ。え?ここはみなとみらい?ってことは横浜だ。ちょっと待って!バタンコでどこまで行くつもりだ?
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相模川でバタンコがパンクして長嶋一茂倒れる。ちなみに相模川は神奈川県のど真ん中にある川で、横浜に住んでいる僕が車でキャンプしに行くような場所だ。
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平塚でとんねるずの木梨憲武演じる自転車屋さんが登場し、長嶋一茂を助ける。
映画の舞台となっている房総の大原駅から平塚駅まで電車でどれくらいかかるかジョルダンで調べてみた。大原駅から平塚駅まで電車で3時間半以上かかるぞ!
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うわぁ、小田原城が出てきたわ。西畑から小田原までは2時間半以上かかるよ、新幹線を使っても。
『ポストマン』がチャリで小田原行く映画で、『L change the WorLd』がチャリで鎌倉に行く映画だった。年末に公開される映画にチャリで三浦半島に行くヤツないの?
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神奈川を越えても長嶋一茂はまだバタンコを漕ぐ!漕ぐ!漕ぐ!
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背景に写っている富士山が巨大になってきた。もしかしてココ静岡?これは不可能だよ!房総から平塚まで一日で自転車で行くのは、まあ出来る人もいるだろう。でも静岡までは無理!だって途中に天下の険と歌われた箱根があるじゃん!さすがに箱根超えのシーンは画面には映さずセリフで説明していた。
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こうして静岡県にある小山町に到着した。配達先はここだった。
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倒れた老人が送っていた手紙は恋文だと思いきや、将棋の手紙だったというオチがつく。ここで下手に感動的なシーンにしなかったのは偉い。
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この長いクライマックスの合間合間に、長嶋一茂と妻のラブストーリーがボイスオーバーで語られる。ラブストーリーのナレーションをするのは長嶋一茂、北乃きい、死んだ奥さんの三人なのでナレーションの三重奏。眠くなる。
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ラブストーリーの内容は、小学生の頃から16年間ずっと文通していた二人が文通だけで結婚するというぶっ飛んだラブストーリー(注:それまで16年間会っていない)。こういうのを「狂った愛」とか表現していいんだよね?
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いつもポストの前で文通を心待ちにしている長嶋一茂(嫌な絵だ)は、そのうち文通を配達してくれる郵便局員に憧れを募らせるようになる。これが郵便局に就職した理由だった。
- 長嶋一茂の暴走している恋文の結果、手紙だけで婚約が成立する。会えよ!っていうかお前ら童貞&処女なのか?
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ちなみにラブストーリーのクライマックスは、桜の輪の中に長嶋一茂の顔があるというカットだった。お花畑のレイプ並に破壊力がある。
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静岡県の小山町まで手紙を届けた長嶋一茂は再び千葉に帰ることにした。編集的には一瞬で帰宅する。その一方で家で長嶋一茂を待ち続けた北乃きいは、今から学校に向かう。ってことは朝だ。つまり房総から静岡まで16時間くらいで往復したのか?
このシーンは時間的矛盾が複数発生していてよくわからない。
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必死の旅から房総に帰った長嶋一茂だが、再びバタンコで漕ぎ出す!またかよ!
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何故なら長嶋一茂が北乃きいに受験票を渡すからだ。北乃きいは電車に乗っているので、長嶋一茂VS電車の戦いとなる。さすがに電車には勝てなかったが、北乃きいが降りてきてくれた。
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長嶋一茂と和解した北乃きいは家事を手伝うことにした。北乃きいは長嶋一茂に弁当箱を渡す。
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ラストシーン。長嶋一茂が弁当箱のフタを開けると………、もうみんなおわかりだろうが、ハンバーグがバーンと出てくる。前回はからあげだったが、今回はハンバーグか。次はカレーか?ラーメンか?
でもハンバーグが不幸の象徴→幸せの象徴になっているので『恋空』と違ってちゃんとひねってある。
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今まで一度も妻の死を悲しんでいる素振りのなかった長嶋一茂だが、ここで妻への想いが溢れて泣き出す。そのまま映画は終わる。
最近の日本映画は「好き・悲しい」という感情が説明的でつまらないが、『ポストマン』はずーっと感情を説明せずに、ラストの一瞬で「好き・悲しい」が表面化する。この終わり方は上手い。ただし長嶋一茂の演技が一番下手なのもラストシーンだ。
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エンドクレジット。撮影現場ではしゃいでいる長嶋一茂の写真が大量に出てくる。
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エンドクレジット後。妻の墓にある郵便ポストに家族たちの手紙が入っているカットが映る。これも良いね。
映画『ポストマン』を観ていて、ガックリきた要素がある。それは郵政民営化に一切触れないことだ。現代を舞台にした映画ってのは社会を写す鏡のはずなのにやらない。例えば『トランスフォーマー』では英語が喋れないアメリカ軍の兵士が出てくるが、英語が喋れないアメリカ人は社会問題になっている要素でもある。どんなに頭の悪い映画でも、現代を舞台にしている限り時事ネタを取り込もうとするものだ。しかし『ポストマン』はそれを一切やらない。代わりにこんなシーンがある。
アナログ人間の主人公と仲が悪いエリート郵便局員。エリート郵便局員は郵便配達なんてやらない。でも主人公がピンチになると
「俺も昔は郵便配達やっていたぜ」
と助けてくれる。
これは今だったら例えば
主人公は郵政民営化に猛反対。エリート郵便局員は郵政民営化に大賛成。でも主人公がピンチになった時に
「民営化しても郵便を届けるのは変わらないよな」
とエリート郵便局員が助けてくれる。
にしたほうが面白いだろう。そこまでしなくても郵便局長がアナログ人間の主人公に「もう民営化したんだからやり方を変えたらどうだ」と言うセリフが一言あればいい。でもそれすらしない。民営化で消える要素を主題に映画を作り、民営化した郵便局が映画のチケットを売る一方で、映画の中では民営化に全く触れていない。ちょっと怖いぞ。
マッドシネマ
2008-04-21
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