週刊新潮4月21日号で高山正之が最低の記事を書いた。今回の震災関連で色々と酷いコラムがあるが、その中でも最低のモノだ。引用する。
今回の震災にはもう一つ別の意味で恥しい記事があった。岩手、宮城の震災被害者が現地で苦しんでいる中、いち早く首都圏に避難してきた福島県民だ。
避難先で天皇陛下のご訪問を受けたいわき市民の何人かは跪座される陛下に胡坐(あぐら)で応じた。
地元は電源交付金に加え、町財政の9割を東電に負担させ、さらに現地で使う備品は鉛筆1本まで地元が独占納入してきた。共存関係にありながら、口を開けばさあ、どうしてくれる。
最初の一行が酷い。武道館に避難した人たちは福島第一原発から逃れてきた人たちで、そんな人たちの避難を非難するとは何事だ。ダジャレを書いといてなんだけど、雑誌のコラムを読んでここまで怒りが込み上げてきたのも始めてのことだ。
この週刊新潮4月21日号は宮内庁の「被災者のあぐら」についての見解発表後に発売されている。宮内庁の見解を引用しておく。
週刊新潮4月14日号に「両陛下『お見舞い』に胡坐で応じた避難者に誰か礼儀を」との見出しの記事があり,「男性の被災者で何人かが,両陛下を前に胡坐をかいて言葉を交わしていたのです。いずれも比較的若年層の人々でしたが,陛下が膝を折ってお話になっているにもかかわらず,そのままの姿勢でした」と述べられています。
天皇皇后両陛下は日頃から側近に対し,身体の不自由な人,あるいは何等かの事情により正座のしづらい人には決して無理をさせないようにとおっしゃっています。
また,ここに掲載されている写真の一つの人は,日本で勉学中のネパール人であったと聞いています。避難中というつらい状況下,また外国人の習慣の違い等を考えれば,両陛下も無理して正座をしなくてはいけないとはお考えにならないのではないかと思料します。
大戦中の天皇プロパガンダに憧れているタイプの愛国主義者と、時代に即した考え方を持つ今上天皇との間にずいぶんと差が出てきてしまったことがよくわかる。
高山正之は東電擁護の人で、もんじゅの担当者が自殺したことを引き合いに出して、東電を追究するメディアも批判している。また「福島の原発はアメリカのGE製なのに、アメリカに文句を言わないのが日本人の品格」といった意見も書いている。
ちなみに宮内庁は3/24に那須御用邸の風呂を避難者に解放した。この決定は天皇皇后のご意向とのこと。だけど東電は大量の避難者を生み出しておきながら日本中にある東電の保養所や寮を提供しなかった。激しい非難を受けても東電はなかなか動かず、東電がようやく避難者の受け入れを始めたのは震災から一か月近く経った4/8だ。愛国的な観点からすれば非難されるべきなのは福島県民じゃなくて東電だよ。