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シャッター・アイランドのトリックにまだ引っかかっている映画評論家

水曜日, 9月 29th, 2010

今回のエントリは『シャッター・アイランド』の完全ネタバレです。未見の人は読まないで!


映画『シャッター・アイランド』はトリック系の映画だけど、本編を観る前に設定を聞いただけで、なんとなくオチの予想がつく人は多いと思う。

精神病の犯罪者を収容するシャッター・アイランドという島がある。絶対脱出不可能な島にもかかわらず、女性患者が忽然と消えた。連邦捜査保安官の主人公は事件の調査を開始するが……

当然ながらオチは…(以下ネタバレ)

当然ながらオチは、主人公がその精神病院の患者だった!になる。でも『シャッター・アイランド』は演技と演出がトリックを作り出していく過程を楽しむ映画なので、トリックが事前に予想できても十分に楽しめる作品だ。むしろトリックを頭の中で構築しながら鑑賞するとかなり見応えがある。それに『シャッター・アイランド』にはもう一つ別のトリックが仕掛けられており、観客はそちらに驚かされる構成になっている。レオナルド・ディカプリオ演じる捜査官は殺されてしまった妻をとても深く愛してるのだが………実は!

ところで旧破壊屋で何度かネタにしたネタバレ映画評論家の福本次郎さんだが、彼が『シャッター・アイランド』評論でまたやらかしてくれた。引用する前に補足すると、テディとはレオナルド・ディカプリオ演じる捜査官である。じゃあ福本次郎さんの映画評を引用します。

要するにここで描かれたエピソードはテディの本来の姿である放火殺人犯の幻覚の映像化で、そのあまりにもありきたりなオチは、「スコセッシなら何か新しいアプローチを見せてくれるのでは」という予想を見事に裏切ってくれる。むしろそこから感じ取れるのは、罪の意識にさいなまれているこの放火犯が、自分自身の別人格に託した“己を罰してほしい”という願望にほかならない。

ええ!?放火したのはテディじゃなくてテディの奥さんだよ!子どもを三人殺したのも奥さんだよ!まあ福本次郎さんを擁護すると、奥さんを処刑したのはテディだし、テディは戦争で敵を殺したことを悩んでいるし、テディの本名は放火殺人犯と一致(後述)しているので、間違えやすいトリックではある。でも福本さんと同じ間違いをしている人はかなり少ないと思うけど。


というわけで「ありきたりなオチ」と書きながらオチを理解していない映画評だ。でもこれは別の意味で高度な映画評だと思った。その理由を解説しよう。

レオナルド・ディカプリオの奥さんは心を病んで放火をしてしまい、その後3人の子どもを殺してしまう。彼はそのことにショックを受けて、自分が深く愛している奥さんを処刑してしまう。家族内殺人が起きてしまった家族なのだ。そして彼は事実を認識できなくなってしまい、精神病患者になってしまった。さらに彼は家族内殺人の事実から逃れるために、自分の本名と同じ放火殺人犯や子どもを殺した女性というキャラクターを頭の中で作り出す。彼はその放火殺人犯が奥さんを殺したと思いこみ、放火殺人犯を追い求めるようになる……。これがシャッター・アイランドの最大のポイントだ。
そして、何故あれが高度な映画評なのかというと、彼と同じことが福本次郎さんにも起こっているのだ。つまりレオナルド・ディカプリオも福本次郎さんも家族内殺人という衝撃の事実が理解できないので、放火殺人犯の存在を信じてしまったのだ!


福本次郎さんの『シャッター・アイランド』の映画評全体は、映画本編よりも本人について語っているように解釈できる。↓

しっかりと地に足を付けきちんと観察しているはずなのに、どこか現実が歪んでいく。

福本さんはちゃんと映画を観ているはずなのに、なぜいつも間違えてしまうのか。

感覚はどこまで正しいのか、何が正常で何が狂ってのか、彼が事件の真相を追う過程で、閉ざされた島、消えた患者、謎の灯台、巨大な陰謀、といったさまざまな要素が混沌と秩序のメタファーとなって、人間の主観の本質に迫っていく。

「人間の主観の本質に迫っていく」!俺も福本さんの映画評を読んでいると主観の本質に迫っていける気がします。

小さなことも忘れない記憶力とある意味筋の通ったホラ話を作る想像力であるとこの作品は教えてくれる。

福本さんの映画評って映画本編を観た人にはもの凄くおかしいけれど、映画本編を観ていない人にとってはちゃんと筋が通ってますよね!あと本当に細かいシーンまできちんと覚えている。

経験を元に作り上げた患者自身の脳内現象に過ぎないのだが、本人はいたってまじめに事実だと思い込んでいる

ここまで自分を客観的に評論できるなんて凄すぎる!他の映画評論家にはできません!


福本次郎さんってシャッター・アイランドの中で映画評論書いているんじゃないの?

破壊屋の超映画瓦版は見ちゃいけない

月曜日, 4月 26th, 2010

id:tada-woさんが飲み会で言った名言。

ギッチョくんの破壊屋は個人映画サイトとして間違いなく5本の指に入るよ。
でもその残りの指は超映画批評や映画瓦版だからね。

俺は爆笑しながら「その指は手首ごと切り落としたほうがスッキリしますねー」と答えた。この2サイトは俺の周囲では嫌われているサイトだし、もちろん俺も嫌っている。しかしこの2サイトにはもの凄くシンパシーを感じることがあって、それは「サイト形式を守り続けている」という点だ。こう書くと「え?旧破壊屋ってブログじゃなかったの?」と思われるかもしれないが、これは自分でもわからないほど微妙な問題だったりする。自分では「サイト」だと思っていたんだけど、Web上にログを書き残していたという点では間違いなくブログだ。それは映画瓦版も超映画批評も同じなんだけど。

というか破壊屋はブログか?サイトか?という疑問は新破壊屋でも続いている。hakaiya.comはトップページをブログにしているだけであって、全体から見れば独自ドメインのサイトとも言える。ただ新破壊屋は今までと比べると格段にブログ色が強くなった。というわけで俺が嫌いながらも勝手にシンパシーを抱いていた映画瓦版の服部弘一郎氏と超映画批評の前田有一氏には申し訳ないが、彼らを裏切って破壊屋はブログになってしまった。これからの破壊屋はブログもサイトも両方活用する福本次郎スタイルでいきます。