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妄想映画評論家の福本次郎   

お待たせしました。前回は「破壊屋周辺でのみ話題沸騰」と書いたけど、今や「悪い映画評論家のお手本」みたいな存在になりつつある福本次郎ネタの第二弾です。

今回は福本次郎の妄想系の映画評論を紹介する。妄想系といっても別に福本次郎が妄想しているわけではない。福本次郎は映画で発生する現象が理解できない映画評論家だ。サラッと書いたけど凄いことだよな。で、福本次郎は現象が発生する映画を観ると「登場人物の妄想だ」という評論を書くのだ。


時をかける少女

まずはヒロイン真琴がタイムリープする快作アニメ『時をかける少女(アニメ版)』の評論から。

つまり、この物語自体が夢想癖のある真琴の妄想だったということだ。真琴の白日夢と解釈すれば、どんな矛盾も納得がいく。

ぶわははははははははははは!福本さん納得したんだ!いやいや、これはどんな映画にも適用できるパーフェクトな映画評論ですよ。『ウォンテッド』はサラリーマンの妄想!『ハンコック』はアル中の妄想!『ダークナイト』は社長の妄想!『スパイダーマン』は童貞の妄想!『TAKESHI'S』はたけしの妄想!(←あ、これはマジだ)。僕たちが今感じているこの現実も妄想!この世はしょせん『マトリックス』だ!
こういうのがネタだったら大好きだけど、本気でやられるとなぁ。

ネクスト

ニコラス・ケイジ扮する主人公クリスは「2分先の未来を予知できる」という超能力を持っている。しかし彼は何故か「ダイナーで女性(リズ)と出会う」という予知もしている。実は[リズに関する未来は2分以上予知できる]のだ。という設定の映画なんだが………

何度も繰り返し頭に浮かぶリズとの邂逅は明らかに妄想。
クリスは単なる妄想と2分先の未来をどのように区別していたのだろう。

「明らかに妄想」「単なる妄想」って、いやそれが映画のポイントだから。ってことは福本次郎は[「長時間先の未来も予知できる能力を利用して、リズを乗せた車のナンバープレートを予知する」]シーンも妄想だと解釈したのか。

この映画のオチの[「後半はすべて予知能力の映像だった。テロリストの仕掛けた核爆弾は別の場所にあった。予知能力でそのことに気が付いたクリスは、テロリストの陰謀を食い止めるためにFBIの元に行く。」]に対しては、こういう評論を書く。
[後半はすべてクリスの幻覚だった]などというありふれたオチも不快だった。

『ネクスト』は大好きな映画だが、かなりの珍作なのでこれはまあ福本次郎の気持ちもよくわかる。

主人公は僕だった

平凡な男ハロルドが、自分が小説の主人公だったと気が付く風変わりな物語。お役所人間のハロルドが反体制的な女性と恋する一風変わったラブストーリーとしても楽しめる。しかし福本次郎はそんなハロルドも妄想扱いする。

「ハロルドはいったいリアルな人間なのか(中略)それともこの物語自体がハロルドの妄想なのか」

福本次郎は一体どういう風に映画を観ているのだろう?[人間それぞれの人生は小説みたいなもんだ]というクライマックスがわからないのだろうか?「STRANGER THAN FICTION(小説より奇なり)」という映画のタイトルの意味がわからないのだろうか?小説より奇なりなものと言えば事実だろ。

「小説と現実の境目があいまいなため奥歯に物が挟まったような違和感だけが残る。」

この映画のクライマックスを観たうえで、「小説と現実の境目があいまい」なんて書けるのが信じられないよ。

プルーフ・オブ・マイ・ライフ

この映画は精神的に不安定な女性キャサリンをヒロインにした物語だ。キャサリンの父親が死んだ一週間後から物語が始まる。生前の父親を回想するシーンが何度もある。過去を回想する映画なんてたくさんあるが、福本次郎がそんな映画を観ると………

映像は客観とキャサリンの主観が入り混じり、どこまでが現実でどこからがキャサリンの妄想なのか境界がはっきりせず、混乱を増長させる。

回想シーンを妄想シーンだと勘違いしているよ!映画の導入で死んだ父親と会話するシーンがあったり、死んだ父親を一瞬見かけるシーンがあるので、生前の父親を回想するシーンを全部妄想だと思いこんだんだな。

結果として、何が正常で何が異常なのかわからなくなってしまった。

わからないのはあんただけだよ!福本次郎が映画評論家として正常じゃないのはよくわかった。

というわけで別の意味で現実と妄想の区別がついていない福本次郎の映画評論でした。トンデモ映画評論はまだまだたくさんあるので、いつか第三弾やります。


とあるブロガーが『ダークナイト』を観た上で「ジョーカーは狂人キャラらしい(よく知らない)。それは観る前の予備知識だ。予備知識無しで観たら誤解するのはありえる。」という意味の文章を書いて福本次郎を擁護していた。福本次郎を擁護するのはぜんぜん構わない。でも、ジョーカーの予備知識の話は違うと思う。

僕が知っているジョーカーはジャック・ニコルソンが演じた以前のジョーカーだけだ。『ダークナイト』のジョーカーがどういうキャラなのかは僕だって実際に観るまで知らなかったよ。僕が言っているのは、映画の知識の話じゃなくて映画を観た上で何を感じるかの話なんだよ。
ジョーカーは紫色のスーツを着て、顔面を白く化粧して、けたたましく笑って、あっさりと人を殺し、金を奪ってその金に火をつける男だった。そんな男を見ても狂人だとわからない人は、洋画離れでもして最近の日本映画『花より男子F』とか『フライング☆ラビッツ』なんかを鑑賞することをオススメします(そして『ダークナイト』のジョーカーは単なる狂人ではないので、これから鑑賞する人はお楽しみに)。


オマケ:『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』を未見の人のために映画の内容について説明しよう。ネタバレだし長くなるので読み飛ばしてもらって構わない。僕もそんなに好きな映画ではない。

『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』はトリック映画にもなっている。原題は「Proof(証明)」で、天才的な数学者の父娘の物語だ。 父親(アンソニー・ホプキンス)の死後、父親の机から革命的な数学の証明が書かれた論文が発見された。しかし論文を書いたのが父親なのか娘のキャサリン(グウィネス・パルトロウ)なのかわからない。これがトリックになっている。娘のキャサリンは「私が書いた」と主張するが、周囲は信用しない。キャサリンと恋仲のハル(ジェイク・ギレンホール)も疑っている。結局、論文の理論や筆跡や日付といった証拠(Proof)を検証することになるが、キャサリンは深く傷つく。
[キャサリンには何か辛い思い出が蘇り、今度は「私は書いていない」と主張しだす。だが検証の途中でハルは「これはキャサリンの論文だ!」と確信を持つ。ハルはキャサリンと会うが、キャサリンはもう諦めていた。自分を信じてくれなかったハルにショックを受けていたのだ。
そして映画のクライマックス、キャサリンは生前の父親を回想する。この回想シーンは映画のトリック解説になっている。論文を書いたのはキャサリンだった。キャサリンは完成した論文を父親に見せようとするが、父親は精神状態が完全に異常で支離滅裂な論文に取り付かれていた。これが辛い思い出の正体だった。キャサリンは自分の論文を父親の机にしまい鍵をかける。
映画のラストシーン、キャサリンの元にハルがやってくる。そしてハルは「キャサリンが論文を書いた」と信じ、「きみはまともだ」とも言ってくれる。論文を二人でいっしょに検証することにした。それはキャサリンの人生を証明する作業なのかもしれない。キャサリンは前向きに生きることにした。
]

[おそらく福本次郎は論文をしまって鍵をかけるシーンが「心を閉ざす」の比ゆ表現になっていることに気がついてないだろう。キャサリンがその鍵をハルに渡した意味(ハルを信頼したから。しかしハルはキャサリンを疑った。)にも気がついていないだろう]。それに気がついていたらキャサリンを妄想者扱いするなんてありえない。この映画は周囲から妄想者扱いされるキャサリンの苦悩を描いている。しかし観客の福本次郎もキャサリンを妄想者扱いしている。これはちょっと面白い現象だと思う。

2008-09-28

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