お待たせしました。前回は「破壊屋周辺でのみ話題沸騰」と書いたけど、今や「悪い映画評論家のお手本」みたいな存在になりつつある福本次郎ネタの第二弾です。
今回は福本次郎の妄想系の映画評論を紹介する。妄想系といっても別に福本次郎が妄想しているわけではない。福本次郎は映画で発生する現象が理解できない映画評論家だ。サラッと書いたけど凄いことだよな。で、福本次郎は現象が発生する映画を観ると「登場人物の妄想だ」という評論を書くのだ。
まずはヒロイン真琴がタイムリープする快作アニメ『時をかける少女(アニメ版)』の評論から。
つまり、この物語自体が夢想癖のある真琴の妄想だったということだ。真琴の白日夢と解釈すれば、どんな矛盾も納得がいく。
ぶわははははははははははは!福本さん納得したんだ!いやいや、これはどんな映画にも適用できるパーフェクトな映画評論ですよ。『ウォンテッド』はサラリーマンの妄想!『ハンコック』はアル中の妄想!『ダークナイト』は社長の妄想!『スパイダーマン』は童貞の妄想!『TAKESHI'S』はたけしの妄想!(←あ、これはマジだ)。僕たちが今感じているこの現実も妄想!この世はしょせん『マトリックス』だ!
こういうのがネタだったら大好きだけど、本気でやられるとなぁ。
ニコラス・ケイジ扮する主人公クリスは「2分先の未来を予知できる」という超能力を持っている。しかし彼は何故か「ダイナーで女性(リズ)と出会う」という予知もしている。実は[リズに関する未来は2分以上予知できる]のだ。という設定の映画なんだが………
何度も繰り返し頭に浮かぶリズとの邂逅は明らかに妄想。
クリスは単なる妄想と2分先の未来をどのように区別していたのだろう。
「明らかに妄想」「単なる妄想」って、いやそれが映画のポイントだから。ってことは福本次郎は[「長時間先の未来も予知できる能力を利用して、リズを乗せた車のナンバープレートを予知する」]シーンも妄想だと解釈したのか。
この映画のオチの[「後半はすべて予知能力の映像だった。テロリストの仕掛けた核爆弾は別の場所にあった。予知能力でそのことに気が付いたクリスは、テロリストの陰謀を食い止めるためにFBIの元に行く。」]に対しては、こういう評論を書く。[後半はすべてクリスの幻覚だった]などというありふれたオチも不快だった。
『ネクスト』は大好きな映画だが、かなりの珍作なのでこれはまあ福本次郎の気持ちもよくわかる。
平凡な男ハロルドが、自分が小説の主人公だったと気が付く風変わりな物語。お役所人間のハロルドが反体制的な女性と恋する一風変わったラブストーリーとしても楽しめる。しかし福本次郎はそんなハロルドも妄想扱いする。
「ハロルドはいったいリアルな人間なのか(中略)それともこの物語自体がハロルドの妄想なのか」
福本次郎は一体どういう風に映画を観ているのだろう?[人間それぞれの人生は小説みたいなもんだ]というクライマックスがわからないのだろうか?「STRANGER THAN FICTION(小説より奇なり)」という映画のタイトルの意味がわからないのだろうか?小説より奇なりなものと言えば事実だろ。
「小説と現実の境目があいまいなため奥歯に物が挟まったような違和感だけが残る。」
この映画のクライマックスを観たうえで、「小説と現実の境目があいまい」なんて書けるのが信じられないよ。
この映画は精神的に不安定な女性キャサリンをヒロインにした物語だ。キャサリンの父親が死んだ一週間後から物語が始まる。生前の父親を回想するシーンが何度もある。過去を回想する映画なんてたくさんあるが、福本次郎がそんな映画を観ると………
映像は客観とキャサリンの主観が入り混じり、どこまでが現実でどこからがキャサリンの妄想なのか境界がはっきりせず、混乱を増長させる。
回想シーンを妄想シーンだと勘違いしているよ!映画の導入で死んだ父親と会話するシーンがあったり、死んだ父親を一瞬見かけるシーンがあるので、生前の父親を回想するシーンを全部妄想だと思いこんだんだな。
結果として、何が正常で何が異常なのかわからなくなってしまった。
わからないのはあんただけだよ!福本次郎が映画評論家として正常じゃないのはよくわかった。
というわけで別の意味で現実と妄想の区別がついていない福本次郎の映画評論でした。トンデモ映画評論はまだまだたくさんあるので、いつか第三弾やります。
とあるブロガーが『ダークナイト』を観た上で「ジョーカーは狂人キャラらしい(よく知らない)。それは観る前の予備知識だ。予備知識無しで観たら誤解するのはありえる。」という意味の文章を書いて福本次郎を擁護していた。福本次郎を擁護するのはぜんぜん構わない。でも、ジョーカーの予備知識の話は違うと思う。
僕が知っているジョーカーはジャック・ニコルソンが演じた以前のジョーカーだけだ。『ダークナイト』のジョーカーがどういうキャラなのかは僕だって実際に観るまで知らなかったよ。僕が言っているのは、映画の知識の話じゃなくて映画を観た上で何を感じるかの話なんだよ。
ジョーカーは紫色のスーツを着て、顔面を白く化粧して、けたたましく笑って、あっさりと人を殺し、金を奪ってその金に火をつける男だった。そんな男を見ても狂人だとわからない人は、洋画離れでもして最近の日本映画『花より男子F』とか『フライング☆ラビッツ』なんかを鑑賞することをオススメします(そして『ダークナイト』のジョーカーは単なる狂人ではないので、これから鑑賞する人はお楽しみに)。
オマケ:『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』を未見の人のために映画の内容について説明しよう。ネタバレだし長くなるので読み飛ばしてもらって構わない。僕もそんなに好きな映画ではない。
『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』はトリック映画にもなっている。原題は「Proof(証明)」で、天才的な数学者の父娘の物語だ。
父親(アンソニー・ホプキンス)の死後、父親の机から革命的な数学の証明が書かれた論文が発見された。しかし論文を書いたのが父親なのか娘のキャサリン(グウィネス・パルトロウ)なのかわからない。これがトリックになっている。娘のキャサリンは「私が書いた」と主張するが、周囲は信用しない。キャサリンと恋仲のハル(ジェイク・ギレンホール)も疑っている。結局、論文の理論や筆跡や日付といった証拠(Proof)を検証することになるが、キャサリンは深く傷つく。
[キャサリンには何か辛い思い出が蘇り、今度は「私は書いていない」と主張しだす。だが検証の途中でハルは「これはキャサリンの論文だ!」と確信を持つ。ハルはキャサリンと会うが、キャサリンはもう諦めていた。自分を信じてくれなかったハルにショックを受けていたのだ。
そして映画のクライマックス、キャサリンは生前の父親を回想する。この回想シーンは映画のトリック解説になっている。論文を書いたのはキャサリンだった。キャサリンは完成した論文を父親に見せようとするが、父親は精神状態が完全に異常で支離滅裂な論文に取り付かれていた。これが辛い思い出の正体だった。キャサリンは自分の論文を父親の机にしまい鍵をかける。
映画のラストシーン、キャサリンの元にハルがやってくる。そしてハルは「キャサリンが論文を書いた」と信じ、「きみはまともだ」とも言ってくれる。論文を二人でいっしょに検証することにした。それはキャサリンの人生を証明する作業なのかもしれない。キャサリンは前向きに生きることにした。]
[おそらく福本次郎は論文をしまって鍵をかけるシーンが「心を閉ざす」の比ゆ表現になっていることに気がついてないだろう。キャサリンがその鍵をハルに渡した意味(ハルを信頼したから。しかしハルはキャサリンを疑った。)にも気がついていないだろう]。それに気がついていたらキャサリンを妄想者扱いするなんてありえない。この映画は周囲から妄想者扱いされるキャサリンの苦悩を描いている。しかし観客の福本次郎もキャサリンを妄想者扱いしている。これはちょっと面白い現象だと思う。
2008-09-28
「となりからみたトトロ」のオマケネタ。というか映画評論家の町山智浩氏の指摘をそのまんま書きます。『崖の上のポニョ』でリサ(母親)が宗介(息子)を家に残して車で出かけるシーンは、町山智浩氏曰く「アメリカだったら逮捕される状況」だそうです。確かにアメリカでは子供だけで留守番させて両親が逮捕という話もあるくらいだからね。『ポニョ』のアメリカ公開時はやっぱり問題になるのかしら。
いろんな方面で「となりからみたトトロ」というタイトルの付け方を褒められているが、実は本当のタイトルは
「西洋人はヨクジョウで濡れる日本の少女をみた」
にするつもりだった。ヨクジョウの漢字を「浴場」にするか「欲情」にするかかなり悩んだ(3分以上)挙句、勝手邦題で「濡れた浴場=千と千尋の神隠し」ネタが既出であることを思い出して、あわてて適当につけたタイトルが「となりからみたトトロ」だったりする。
2008-09-25
映画監督の市川準が亡くなった。僕は市川準作品の『つぐみ』『東京兄妹』が好きだった。佳作の『ノーライフキング』は子供とゲームとリアリズムをテーマにしていて興味深かった。こう書くと押井守っぽい作品に聞こえるかもしれないけど、都市伝説の虚構のなかで子供がリアルを感じる作品なのでちょっと違う。『ノーライフキング』は翻案すれば現在版ができるかもしれない(原作はいとうせいこう)。
『つぐみ』主題歌の小川美潮『おかしな午後』をYOUTUBEで見つけたので貼っておきます。プレミアついているシングルにもかかわらず再生回数は50回未満。
『つぐみ』は衛星放送で見たんだけど、ラストシーンとこの曲が流れるエンドクレジットが大好き。エンドクレジットをちゃんと最後まで観るようになったきっかけの作品かもしれない。
YOUTUBEの動画はアーティスト映像のエンドクレジットなので、映画のネタバレではありません。
2008-09-23
外務省が在外日本人向けに出している注意事項にこんなの↓がある。
「父親と娘は一緒に風呂に入るな」
詳しくは「外務省 海外安全ホームページ」から引用した文章を読んでほしい(一部省略)。
世界には、いろいろな考え方や習慣があり、法律も異なっています。日本では問題にならないような習慣でも重大なトラブルに発展することもあるのです。次のケースは、私たち日本人にとっては、「えっ、どうして・・・」と思うことかもしれませんが、事実は小説より奇なりです。
『とある先進国に在住の邦人一家。現地校に通っている娘さんが、作文に「おとうさんとお風呂にはいるのが楽しみです。」と書いたところ、学校から警察に通報され、父親が性的虐待の疑いで逮捕されてしまった。』
『家族で撮った写真のフィルムを現像に出したところ、子供が入浴している写真があるということで、警察に通報され事情聴取を受けた。』
ヨーロッパやアメリカでは、風呂場はプライバシーが強く保たれるべき場所だと考えられており、たとえ親子であっても一緒に入浴することは非常識な行為で、特に父親と娘の場合は、性的虐待が強く疑われることになります。また、児童ポルノに関する規制・処罰が厳しく、入浴中の写真を撮る等子供をポルノの対象にしている可能性があると疑われれば、警察に通報されることもあります。
日本では何でもないと思われることでも、国によっては大きな騒ぎとなり、場合によっては処罰の対象となることもあるのです。
以上のように西洋人にとって他人と一緒に入浴することは親子であっても非常識な行為だ。特に父親と娘の場合は性的虐待が強く疑われる。ということは………あの日本人親子が西洋人にメッチャ疑われるということだ!
そう『となりのトトロ』!今回は『となりのトトロ』公開20周年を記念してというわけでもないが、西洋人から見た『となりのトトロ』について書こうと思う………もう20周年かよ!
うんで上記のシーンだが、これはかなりヤバい。少女の裸がハッキリと映っているので、西洋人から見たらとんでもないシーンである。そしてもう1つ、おとうさんが一緒に入っているというのが輪をかけてヤバい。日本人はそんなこと思わないだろうが西洋人には性的虐待が連想できてしまうのだ。
『となりのトトロ』は海外では傑作アニメの1つとして極めて高い評価を受けている。日本人はあまり意識しないだろうし宮崎駿本人も否定しているのだが、『となりのトトロ』には日本独特の神道が背景にあって、西洋人たちはその点でも『となりのトトロ』を高く評価している。サツキがお地蔵さんに手を合わせたり、神木にトトロの住み家があったりするのが、西洋人にとっては興味深い要素なのだ。
しかし『となりのトトロ』を高く評価する西洋人たちも入浴シーンには戸惑ってしまう。僕は『となりのトトロ』の公開時に海外の『となりのトトロ』の掲示板をチェックしていたが、入浴シーンのせいで掲示板が大荒れだった。いまだに半年に1回位の頻度で入浴シーンネタで荒れる。
荒れる理由にはいくつかある。ほとんど多くの西洋人が「あの入浴シーンは家族の交流を描いた名シーンだ。文句をつけるほうがおかしい!」と思ってくれる。だから文句をつける人たちに猛反撃するのだ。そして文句をつける側に人種差別者や排他的思想の持ち主が登場するので益々荒れる。
入浴シーンの擁護派は以下のような発言をする。
「入浴シーンに戸惑いました」という人は、これらの意見で多分納得していると思う。しかし掲示板というものはここから荒れてしまうものなのだ。入浴シーン否定派が「やっぱり日本人おかしいよ!」と非難すると、「何で外国の文化を理解しようとしないの?」という話になる。そうなると今度は人種差別的な意見が登場して、ひたすら日本の悪口が書かかれていく。食生活(クジラ・馬を食べるから嫌われている)や第二次世界大戦も問題になる。日本人だけではなくて中国人やネイティブ・アメリカンまで標的になったりする。キリスト教保守派っぽい人も登場すると益々ややこしくなる。
荒れる理由は他にもある。それは「児童ポルノ」や「日本製変態アニメ」の存在だ。日本のエロいアニメ文化や児童ポルノは海外で有名なので、その視点から入浴シーンを叩くパターンが多い。『となりのトトロ』の入浴シーンに対して 「やっぱHENTAIの国だな!」 「これは児童ポルノだろ!」 と言ってくる。これに対しては擁護派が 「入浴シーンには性的な意味が一切ない。児童ポルノを連想するお前らのほうがおかしい!」 「他のHENTAIアニメとジブリのアニメを一緒にするな!」 と反論してやはり論争となる。
そして最後にもう1つ西洋人たちが入浴シーンでどうしても戸惑ってしまう要素がある。西洋人たちが 「お風呂が閉鎖的なのは西洋的。他の文化圏ではそうとは限らない。」 ということを理解していても 「でもいくらなんでもこのカットはヤバいんじゃないの!?」 と思わざるを得ない超危険カットがあの入浴シーンに存在するのだ!それが以下のカットだ。
どこが危険かというと、おとうさんの股間を娘が隠しているところがヤバい。そうだよなぁ、洋ピンってモザイクを使わないで花瓶とかで性器を隠すんだよなぁ。ディズニーが出す映画で洋ピンと同じことやっちゃマズイ。
掲示板でよくあがるその他の論争についても取り上げる。
もう一つ論争を呼ぶのがサツキとメイのデザインだ。こんな質問が何度も出てくる。
西洋人の中には『となりのトトロ』を「西洋人のサツキとメイが昔の日本の町にやってきて、そこで日本の神様と出会う映画」だと思っている人もいる。なんでこんな誤解をしてしまうのかというと、サツキとメイの顔が東洋人の顔をしていないからだ。西洋人にとってマンガ的な東洋人とは切れ目の黒髪しか考えられない。そのために目が丸くて髪の毛が茶色のサツキとメイが日本人に見えないのだ。とくにメイの髪の毛の色は他の家族とだいぶ違う。だから「この娘は西洋人の養子なんだな」という風に解釈してしまう。宮崎ヒロインの髪の色はいつも明るい感じなんだけどな。
もちろん誤解してしまう人は少数派なので、掲示板のレスで他の人が誤解を説明する。誤解に対する説明にはすごく適切なのがあったりして面白い。
「日本のアニメキャラの髪の毛は着色がすげーんだよ。ピンクとか青とかあるもん。茶色くらいどうってことないよ。」
西洋人にとっては人間に人種や民族の違いがあるのが当たり前のことだ。映画やアニメにももちろんそれが反映される。年末から4部作として公開されるディズニーの大作アニメ『ティンカーベル』には、ティンカーベルの仲間たちがたくさん登場するんだけど、その中には黒人やアジア人がいたりする。(あ、「人」じゃないから黒妖精や亜妖精か)。 だからこそ人種や民族的特長が無い日本のアニメキャラは馴染みにくい。また宮崎アニメのキャラはヨーロッパが舞台だろうが日本が舞台だろうが全部同じ系統の顔をしている。海外では今敏のアニメが有名なので、日本人顔をきちんと描ける今敏と宮崎駿の比較論もよく出てくる。
サツキとメイのおとうさんについては2種類の印象がある。英語版ウィキペディアの『となりのトトロ』には「日本人の父親は平日に子供と会わない」「日本人の父親は家庭よりも仕事が大事」という解説があり、そんな日本人の父親像に合ってないサツキとメイのおとうさんに好印象を持っている。しかしその一方で西洋人たちには、おとうさんがわずか10歳のサツキに家族の朝ごはんや昼ごはんを用意させているのに違和感を感じている人もいる。日本人から見るとあのおとうさんは「凄く良い人」にしか見えないんだけどね。
でもこんな悪そうな表情もできる人なのよ。
もちろん僕たち日本人が外国映画を見てもよくわからない描写が非常に多い。アメリカ映画に出てくるキャラクターが移民なのかどうかは重要な要素だったりするのだが、多くの日本人がそこまで気にして映画を見ていない。
僕が映画を観るのが楽しくてしょうがない理由の一つに外国の文化に触れられるということがある。外国の人たちも『となりのトトロ』を観て、受け入れられるかどうかはともかくとして日本の文化に触れている。最近の「洋画離れ」のニュースを聞くと、世間ではそんな楽しみ方が減っているのかなとも思う。
2008-09-23
少年少女向けに書いたケータイ小説が大ヒットしたYoshi。そんなYoshiが「大人向けの恋愛」ということで作った恋愛映画『ラストラブ』。だからガキは『ラストラブ』を観ないだろうし、マトモな大人もYoshi作品なんて観ないはず。一体だれが『ラストラブ』を観るのだろう?あ、僕か。
で、DVDで観たんだけど、いやーこれは酷い。酷すぎるよ。横浜が舞台なのでハマっ子の僕としてはこの作品の存在自体が悲しい。原作はYoshiで、脚本は詩人の龍樹(リュージュ、男性)。
みなとみらいを背景に号泣している田村正和。
以下ストーリー解説。完全ネタバレ。
しかも睨みながら。
2008-09-21
プロダクト・プレイスメントとは、映画やゲームの中で商品が登場する宣伝手法のことだ。例えば今年発売されたプレイステーション3のゲーム『メタルギアソリッド4』は中東・アフリカ・北欧の紛争を背景にしたアクションゲームだが、何故か世界各地に第一三共ヘルスケアのリゲインが落ちている。主人公がリゲインを入手して飲むと気力が回復するのだ。また現実のリゲインの広告には『メタルギアソリッド4』の主人公が起用されていて、お互いの宣伝になっている。
映画『フライング☆ラビッツ』はプロダクト・プレイスメントをガンガン使用していて、映画のリアリズムを損なうほどである。一番登場頻度が激しいのはタイアップ商品の「うさぎのモフィ」で、本編だけではなくて『フライング☆ラビッツ』のCMや予告編でも必ず登場する。しかし脚本には組み込まれていない。画面に不自然に登場するのみだ。こんなプロダクト・プレイスメントは勘弁してほしい。
『フライング☆ラビッツ』でアミノバリューが登場するシーン。
みんなでアミノバリュー飲もうぜ!
僕が最高のプロダクト・プレイスメントとだと思っている映画がある。商品がちゃんと脚本に組み込まれたうえで、観客が凄く納得する形で宣伝するのだ。それはフライト・パニック映画『スネーク・フライト』だ。『スネーク・フライト』は旅客機内で数千匹の毒蛇が暴れまくるという超絶バカ映画だが、プロダクト・プレイスメントの要素がかなり強く、車やケータイが映画本編に登場して宣伝されている。そしてクライマックスではソニーの某製品がめっちゃカッコよく宣伝されるのだ。
どんな風にプロダクト・プレイスメントしているのか解説しよう。今から書くことは『スネーク・フライト』のクライマックスのネタバレなので、『スネーク・フライト』を楽しみにしている人間は絶対に読まないでほしい。
2008-09-20
作品的にも興行的にも大失敗したJALのCM映画『フライング☆ラビッツ』だが、ライバル社のANAは今冬『ハッピーフライト』を公開する。『ハッピーフライト』が成功するかどうかはまだわからないけど、『フライング☆ラビッツ』よりも失敗するというのはありえないだろう。『ハッピーフライト』は監督・脚本・企画が矢口史靖だというのも信用できる。さらに言うと『フライング☆ラビッツ』はテレビ東京製作で、『ハッピーフライト』はフジテレビが製作だ。テレビ東京VSフジテレビだなんて既に勝負は目に見えているよ。テレビ東京が映画でフジテレビに勝つのなら、コーチ役には高田純次ではなくてチャック・ノリスをキャスティングするべきだった。
あんまり意識してなかったけど、今年はJALとANAが飛行機映画対決するという空中決戦の年だったんだな。これで渡辺文樹監督が『御巣鷹山』を上映してくれれば、『クライマーズ・ハイ』との飛行機墜落映画対決という地上戦の年になったのに。
2008-09-20
週末(13日&14日)の興行成績が発表された。JALが作った映画『フライング☆ラビッツ』は見事に大失敗。なんとベスト10にすら入らなかった。公開2週目の『グーグーだって猫である』にも負けている。映画の中では跳んでいたJALラビッツが現実では大墜落した。今頃JALと電通のスタッフたちの間では、墜落の原因を追及するために『クライマーズ・ハイ』ばりの大騒動が起きていることだろう。
でも僕たちは知っている。本当は週末にJALが見事に飛んだことを知っている。
ANAは飛ばなかったけどJALは飛んだんだ!
2008-09-17
三連休の中日の新宿の映画館。『フライング☆ラビッツ』は公開二日目なのにありえないほどガラガラだった。
隣でやっている『SEX AND THE CITY』には行列が出来ていたけど。
映画『フライング☆ラビッツ』は今年もっとも企画そのものを疑ってしまう映画である。とにかく企画にツッコミどころが多い。
うんでこの映画は電通フルスロットルのCM映画なのだ!スポンサー企業のCMみたいなシーンがてんこもり。この映画ってスポンサー企業の税金対策で作られたんじゃないの?と勘ぐってしまうほどだ。福本次郎さんもタイアップを非難したいのなら電通に噛み付きなよ。ちゃんと商品が劇中に出てくる映画を指摘しなよ。
映画自体がJALの宣伝になっているのは、JALが全面協力だから当然だ。問題なのは他の企業だ。スポンサー企業の一つとしてTOKYO TOWERがあるんだけど、劇中合コンをする場所が東京タワーだったりする。男のグループと女のグループが普通に東京タワーの中でつっ立ったまんま自己紹介しているのだ。ありえねー。
またアミノバリューがスポンサーなので、登場人物たちがアミノバリューを飲んでいる。これは別に構わない。しかしエンドクレジットではアミノバリューの効果の説明まで出てくるのだ。またDoCoMoもスポンサーなので、DoCoMoのケータイが不自然にアップになるシーンがあって笑ってしまう。
観ていてダメージが大きい要素として音が酷い。聞き取れない台詞が一杯あって字幕が欲しいくらい。演出はまあまあで、きちんと画面が作られている。演技も大丈夫だった。監督や俳優が頑張っても企画そのものがダメで脚本が最悪という典型的なダメ邦画だ。
うんでまあ映画の内容だが前半が壊滅的。後半は持ち直してくるので意外と面白いが、前半の酷さは『少林少女』に匹敵する。以下ストーリー解説。
以下ネタバレ
2008-09-15
日本で一番目立つ場所かもしれない有楽町マリオンのショーウィンドウで変なファッションを見つけた。
これは普通。
これも普通。
これなんだけど………。僕にはこれがとび職の人に見えるんですけど。
とび職の人が道具を入れるジャケットを忘れて、代わりにピンクのチャンチャンコを着ているみたいな。
足元がピンヒールなのがいただけない。そこは足袋でしょ。
2008-09-14
僕は今年の5~7月に理想の結婚のチャンスを逃した。理想の奥さんを逃した。こんなチャンスは一生に一度も無いだろう。話せば長い。まずは映画の話から。
今度『ウォンテッド』という映画が公開される(R指定なのに吹替え版!)。平凡な青年の前に突如殺し屋のアンジェリーナ・ジョリーが現れて一緒に行動するという映画だ。
僕が大好きな映画で『ロング・キス・グッドナイト』という作品もある。平凡な主婦が実はスーパースパイで、テロリスト相手に大暴れするという映画だ。男性が『ロング・キス・グッドナイト』を観ると、通常は巻き込まれ役のサミュエル・L・ジャクソンに感情移入するだろうが、僕はあの白人の夫にも感情移入する。奥さんが実はスーパースパイだったなんて羨ましい!
詳しくは書けないが韓国映画の『シュリ』も似た感じである。同じ韓国映画ならシリーズ化している『花嫁はギャングスター』もいい。平凡な男と結婚した女が実は超凶暴なギャングだというコメディ映画だ。
まあとにかく僕は「奥さまはスーパースパイ!」的な状況が凄く大好きなのだ。で、出だしの結婚の話に戻る。僕は今年の5~7月にその大チャンスを逃してしまったのだ!山形新聞にこんな記事があった。全文引用したので太字だけを読んで欲しい。
北朝鮮女スパイ、県内にも滞在 今年5―7月、見合いのため
北朝鮮脱出住民(脱北者)を装い、韓国軍将校らから機密を入手したとして、国家保安法違反罪で起訴された北朝鮮の女スパイ・元正花(ウォン・ジョンファ)被告が、ことし5月から7月にかけて、日本人男性と見合いをするため県内の村山地方に滞在していたことが6日、関係者の話で分かった。何度か見合いをしたが、うまくいかなかったという。
関係者によると、元被告はことし5月に、韓国の結婚相談所の紹介で、見合いをあっせんしている村山地方の女性宅を訪問。元被告の幼い娘も一緒にこの女性宅に寝泊まりした。普段はテレビを見たり、付近を散歩してのんびりと過ごしていたらしく、スーパーに娘とともに買い物に出掛けたこともあったという。関係者は「見合いは2回ほどしたらしい。特に変わった様子はなく、普通だったと聞いている」と語った。結局、見合いは成立せず、約2カ月間滞在して、韓国に帰った。日本語はほとんど話せなかったという。
韓国検察や韓国紙の報道によると、元被告は北朝鮮北東部・清津生まれ。15歳の時から銃や毒針での殺人術を含む工作員教育を受けた。北朝鮮の上司は被告に韓国情報機関要員の殺害を指示したが実行せず、最近は処罰を恐れ自宅に鍵を4つ掛けるなどおびえていた。
元被告は昨年から3回にわたり仙台を訪問。公安当局は、今回共犯として逮捕された陸軍大尉(26)と「本当に恋に落ちた」と見ている。被告は、日本の永住権を得た後、大尉を呼んで在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に加入させ、北朝鮮に連れて行きたかったと話したという。
うわああああ!お見合いに参加したかったぁあああ!奥さまはスーパースパイが実現する大チャンスだったのに!娘もいるってことは『ロング・キス・グッドナイト』と同じ設定じゃん!これってアレでしょ。結婚して数年後に家族3人でテレビを見ているとニュースキャスターが
「北朝鮮の工作員が日本に潜入した可能性有り」
と報道。するとさっきまで優しかった僕の奥さんが突然アンジェリーナ・ジョリー並みの殺気を放ち、
「チッ、やつらが来たか」
と呟いた後に彼女のプライベートルーム(僕は絶対入れない)にこもって完全武装。全身ハリネズミのように銃器を抱えた彼女がプライベートルームから出てきて
「あなた、愛してるわ。だから待ってて!」
と僕にキスして別れると、次の日に同じニュースキャスターが北朝鮮の工作員たちが全員死体で見つかったニュースを伝えるんでしょ。
うわぁそれって『Mr&Mrsスミス』のMrが役立たず版みたいで、理想の結婚生活だよ!(記事の最後の行に北朝鮮に連れて帰る計画が書いてあるが無視。)
楽しそうだよなぁ、僕がうっかり浮気すると浮気相手に毒針が刺さったりするんだよ。
しかしあれだな。ウォン・ジョンファが日本でのお見合いが上手くいかなかったってのは、国家間の陰謀が絶対にあったはずだ。北朝鮮政府を恐れるウォン・ジョンファが日本に永住すると北朝鮮の情報が日本政府にだだ漏れする可能性がある。北朝鮮政府としてはその事態を防ぎたい。日本政府としてはウォン・ジョンファに日本人と結婚してもらって彼女を味方にして情報を入手したい。
ってことは北朝鮮政府はお見合いを妨害するはずだ。日本人男性のお見合い写真を入手してブサイクに修整するとか、チンピラを雇ってウォン・ジョンファと日本人男性のデートを妨害するとかやりかねない(←ウォン・ジョンファがチンピラをボコボコにして失敗)。
そんな北朝鮮政府の動きに対抗して日本政府はウォン・ジョンファのお見合いを応援する。二人がデートしていると公安のスパイがギターを持ってラブソングを歌ってムードを作ったりするんだ。
結局そんな両国の陰謀はウォン・ジョンファの「陸軍大尉(26)がやっぱり忘れられないの!」というトゥルーラブの前に敗北。北朝鮮政府の情報は韓国政府にだだ漏れして、日本政府は貴重な情報源を失ってしまうという痛み分けに終わるのだった。
以上、徹頭徹尾ネタ更新。
2008-09-14
なんて美しい女優なんだろう!ためいきがでる。
っつーか修正しすぎだろ『まぼろしの邪馬台国』の吉永小百合(63)。吉永小百合は年相応の美しさを持っている人なんだからこんなにがんばらなくてもいいのに。
2008-09-11
僕は映画少年だった頃から町山さんのファンだった。その町山さんのブログで破壊屋が取り上げられていて大喜びしていたけど、今度はダイノジの大谷さんのブログにまで!すごい光栄です。サマソニでダイノジのパフォーマンスを見て、大谷さんが使った曲をCDショップで探して買ったもん(その一方でダイノジのパフォーマンスにハマったせいで、サマソニでディーヴォを見逃した…)。ダイノジの大谷さんが映画に詳しいというのは知っていたけど、破壊屋までチェックしていたとわ!
2008-09-10
今年ロサンジェルスで買い物していた時にお店の入口にいた男性たちが突然マリファナを吸いだした。お店の入口でぷかぷか吸っているので、僕たち日本人観光客は出れなくなっていた。まあ結局そのまま煙のなかを通過したので、僕たちはお店を出る時に副流煙を吸ったわけだ。
帰国後すぐに会社の健康診断があった。その時は全然気にしなかったけど、今思うと大麻の反応が出なくて良かったなー(調べてないって)。
「おまえ、大麻の反応が出たぞ!クビだ!」
「え、ウソ!そんなはずないです。ああ、副流煙ですよ!ロサンジェルス行ったときです!」
「そんな治安の悪い場所に行くな!」
「いや、リトル・トーキョーの普通のお店でしたよ!」
今年は『テネイシャスD 運命のピック』というロック映画があった。ロック映画なんだけど、白人のデブ二人がいけない葉っぱをぷかぷかやっている映画でもあった。角界のはっぱ隊こと露鵬&白露山の姿がこの映画にダブる。
ところで僕がマリファナと聞くと連想するのがブルヘリアの珍曲『マリファナ』だ。この曲は『恋のマイアヒ』よりもさらにデカい世界的大ヒットを飛ばした『恋のマカレナ』のカバー曲?で、「マカレナ!」の代わりに「マリファナ!」とシャウトするバカバカしいにも程がある曲だ。YOUTUBEを貼っておいたので、この壮絶なバカ曲を聞いてみてください。
ブルヘリアは色んな有名バンドのメンバーが集まった覆面バンドなんだけど、こんなマリファナの曲ばっかりだ。
おまけ:マリファナじゃなくても葉っぱでつながる世界。卍ラインも世界を平和にしたければこれを見習おう。
2008-09-10
1万年前の人類は、今と全く同じ太陽を見ています。海辺へ打ち寄せる波は一つとして古いものはなく、常に新しい波です。千数百年前の日本人と今の日本人は、今も昔も変わることのない、常に新しい伊勢神宮を見ています。
太陽と海と伊勢神宮、この三つは、宇宙、自然、人が創ったもの、この違いはありますが、永遠の今です。
私は、政策を立案する際、この「永遠の今」を想うことがありました。
(中略)
政策としてのアンサンブルが「永遠の今」を奏でている、このことを決して忘れてはならない、と思ったからです。
(中略)
政策にはアンサンブルが求められる、これが必須の条件だと考えています。
すげえぁ、これって『幻の湖』を作っている時の橋本忍の精神状態に近いよ。こんなのが日本の首相だったのか。
僕に聴こえるアンサンブルといえば、突き進む少子高齢化、増え続ける借金、圧迫され続ける生活なんだけど、福田さんにはそれが聴こえないのだろうか?そこらへんが「あなたとは違うんです」なんだろう。
っていうかアンサンブルてナンだよ!アンサンブルじゃなくて「結果」でしょ!
「政策としてのアンサンブルが「永遠の今」を奏でている」
じゃなくて
「政策の結果が今の状況になっている」
のはず。そして
「政策にはアンサンブルが求められる、これが必須の条件だと考えています。」
じゃなくて
「政策には結果が求められる、これが必須の条件だと考えています。」
だと考えて欲しかった。
福田さんの挨拶からなんとなく連想した、その1:橋本忍の『幻の湖』
琵琶湖の水が枯れ果て「幻の湖」となる遠い未来までも、笛が地上を見守ることができるように。
福田さんの挨拶からなんとなく連想した、その2:大川隆法の『永遠の法』
あれから一万年以上の歳月が流れ去り、地球は何度自転をし幾度太陽を巡ったか。
オマケ:「日本人は常に新しい伊勢神宮を見てる」って言ってるけど、僕は伊勢神宮の形も歴史も知らんよ!場所も知らん!伊勢神宮って神奈川県にあるんだっけ?(調べたら三重でした。)
2008-09-05
今回は映画『12人の怒れる男』のお話だけど、現在公開中のリメイク版じゃなくて元ネタのシドニー・ルメット版のお話。
アメリカではアフリカ系アメリカ人が犯罪を犯してニュースになった場合、その肌の黒さの度合いがよくネタになる。O.J.シンプソンの事件なんかが有名だろう。以下はウィキペディアからの引用。
タイム誌は彼の皮膚を暗くし、囚人ID番号のサイズを縮小した顔写真を表紙に用いた。一方ニューズウィーク誌はオリジナルの写真を表紙に用い、対照的な二誌が書店のスタンドに並ぶこととなった。タイム誌には市民グループからの抗議が続いた。後に写真を加工したタイム誌のイラストレーター、マット・マフリンは「より巧妙に、より注意を引きたかった」と語った。
つまり、より「黒く」にしたわけだ。
海外の動画サイトで犯罪行為が写っている動画があったりする。それがアフリカ系アメリカ人だったりすると、動画のコメント欄には「やっぱニガーだな」みたいな投稿が載っている。
形は違えどこの風潮は日本でも同じだ。日本で犯罪事件が報道されると、ネット上ではその犯罪者が在日なのかどうかが重要視される。茨城県で8人を殺傷した金川真大という男がいる。彼の名前を検索すると検索結果のTOPに容疑者が日本人かどうか?という知恵袋の質問が出てくる。そんな質問がTOPだという事実も酷いが、回答にはかなり酷い文章があったりする。
金+真大+顔が朝鮮人
以上3つから考えてまあ100%朝鮮人だろう
通名の可能性は高いですね。つか確信あり。
一重で釣り目の気持ち悪い顔している。
あんだけ平気で人間殺せる生き物はシナ人か南北朝鮮人くらい。
酷い論理だし強烈な差別意識が根付いている。
こういった差別意識は普通のニュースにも表れている。「道仁会(暴力団)の事務所の使用を差し止めるために、住民たちが仮処分申請」というニュースにすら、Yahooニュースのコメント機能の上位には
「日本の暴力団員の9割は在日と部落。国外追放にすればいい。」
というコメントがあった。凄まじい決め付けだ。
また今年発生したカナダの猟奇殺人事件だが、犯人のカナダ人が中国系だとわかった途端にYahooではこんなコメントが出てきた。
公害を撒き散らすだけでなく犯罪者までバラまく最低の国、中国。
本気で思う、中国さえこの世界から無くなれば、きっととても平和で美しい世界になるだろうと。
いずれにしても、国際社会は「中国人の隔離」を真剣に考えるべきだな
これらのコメントは原理主義者や独裁者の言い分と同じだ。残念ながらこれらのコメントは同意の投票を得ていて、いずれも上位3位内に入っていた。
で、ようやく映画『12人の怒れる男』の話。『12人の怒れる男』はある殺人事件に評決を下す陪審員たちを描いた傑作でストーリーはこうだ。
容疑者が少年の殺人事件が発生した。12人の陪審員たちのうち、11人が「有罪だ!」とあっという間に結論を出す。だがたった1人主人公だけが「無罪」を主張する。
この映画を未見の人は「冤罪事件を無罪にする話」だと思っていることが多いが、実際は違う。『12人の怒れる男』で話し合われる殺人事件は冤罪事件だと限らない。劇中こんなシーンがある。無罪を主張する主人公が有罪派の陪審員に
「おまえ、本当にあいつがやってないと思っているの?」
と質問される。それに対する主人公の答えはこうだ。
「知らん。」
本当に冤罪なのかどうかは、当たり前だが主人公も知らないのだ。しかしそれでも「有罪か?無罪か?」と聞かれると主人公は頑なに「無罪だ」と主張する。
残りの11人の陪審員が全員「有罪」を主張するのには色々な理由がある。当然ながら少年には不利な証拠や不利な証言がある。単に早く討論を終わらせたいだけの陪審員もいる。だけど「有罪だ」と簡単に結論が出てしまう理由はもう1つある。それは容疑者の少年が移民で、低所得者で、育ちが悪くて、不良だということだ。だから陪審員には偏見で目が曇っている人もいて、証拠や証言の吟味すら考えていない。
そんな状況に危機感を持った主人公はこう言う。
「ここで私が有罪を主張したら、簡単に少年の将来が決まってしまう。とにかく話し合おう」
主人公が無罪と話し合いを主張することでこの映画の物語が始まる。そして映画は証拠や証言の吟味や陪審員の心理状態を巧みに描いていく。主人公の信念が理想的な陪審員の在り方を取り戻す。機会があったら観て欲しい映画だ。
これから日本では裁判員制度が始まる。その時に日本人は『12人の怒れる男』の主人公のように冷静で偏見の無い視点を持つことができるのだろうか?最初に挙げたようなネット上の反応を見ると、僕は「こんなんでちゃんと外国人犯罪や、事情が複雑な事件に対処できるのかなぁ?」といつも不安になる。国民が裁判に参加するということは、部落出身者や在日外国人に対するヒステリックで差別的で攻撃的な反応も裁判に持ち込まれるのかもしれない。もしかしたら人々の差別意識がそのまま判決に反映されるかもしれない。
『12人の怒れる男』には移民の少年をとにかく有罪にしたい男のこんなセリフがある。以下の文章はこのサイトから引用させてもらった。
「連中は平気でうそをつく。真実なんてどうでもいいんだ。大した理由がなくても奴らは人を殺す。気にするような人種じゃない。奴らは根っからのクズなんだ」。
ネット上の悪口と同じ言葉だ。↑と同じ考えを持って裁判に参加する裁判員はきっといるだろう。
2008-09-01