日本公開年度 | 2004 |
監督 | 那須博之 |
脚本 | 那須真知子 |
製作国 | 日本 |
受賞歴 | 映画秘宝ワースト1、文春きいちご賞、蛇いちご賞受賞 |
女性が暴行されるシーンなんだけど、なぜか男たちが山下清風のファッションのデブ3人。しかもナレーションでは差別について語っているという珍妙っぷり。
渋谷飛鳥がデーモンに変身するシーン。デーモンに変身した事実よりも、ファッションが突然変わるほうに驚かされる。パーマもかけているし。このあとすぐに羽が消えちゃうので、渋谷飛鳥がデーモンなのかどうかはピンク色の服で判断するしかない。戦うときには、デーモンの力も一切使わないで、そこらへんで拾ってきた日本刀を使う。
友達を探すために海面に顔をつけるシーン。なんでそんなところに友達がいるんだよ!
お弁当をおじさんに届けるシーン、お弁当っていうかおせち料理だよね?このあと重箱の中の料理が一つ一つ画面に出てくる。
これはヤバいんじゃないの?とm@stervisionさんが指摘して話題になった。人々を弾圧する組織のシンボルマークがダビデの星なのだ。ユダヤ人にケンカを売っているとしか思えない。だがネット上で「謝罪しろ!」という抗議運動が起きたのも逆に気持ち悪かった。
『デビルマン』現象の特徴は、公開されるずっと前から「駄作になる」と騒がれていた点だ。製作中止と再開、完成してからの撮り直しなどの紆余曲折を経て、予告編が公開された。しかし予告編だけで十分にわかる駄作臭にファンから不満が噴出した。さらに試写会でも映画評論家たちの怒りの声が挙がった。『デビルマン』は期待値が最低限までに下がった状態で公開され、そしてネット上で大きな話題を呼ぶことになった。
ネット上では前田有一の超映画批評、当時圧倒的に人気だったm@stervisionの『デビルマン』批判が話題を呼んだ。また『デビルマン』騒動で破壊屋を知った人も多い。当時は2ちゃんねるのアクセスがかなり多かった時代で、『デビルマン』騒動の時は2ちゃんねるから破壊屋へのアクセスは一日5000件を越えていた。
ネット上よりも怒りが強かったのが雑誌の映画秘宝で、ワースト映画投票では、『デビルマン』の得票がワースト二位の作品より5倍も多かった。さらに映画秘宝の「死んで欲しい人アンケート」に「デビルマン関係者は死んで欲しい」と書く人が多数。しかも2005年には監督の那須博之が本当に亡くなられてしまった。
那須博之監督は、『デビルマン』撮影時には自分の死期を知っていたと言われる。闘病しながらの撮影だったのだ。残念ながら那須博之監督が『デビルマン』のリベンジを果たすことは無かったが、盟友の金子修介監督は『デスノート』『プライド』など、漫画実写化に果敢にチャレンジし続けている。また映画秘宝は長らく東映で活躍した那須博之監督の追悼特集を行った。
ゼロ年代どころではない。『デビルマン』は映画史上に残るワースト作品だ。日本映画史に残る大駄作といえば
の4本であるが、『デビルマン』はこれらの作品に匹敵する駄作である。『シベリア超特急』を外して、『デビルマン』を加えた4本を駄作四天王として扱ってもいいかもしれない。
『デビルマン』は奇跡のように映画の負の要素が集まった映画だ↓。
また『デビルマン』は日本映画界の悪しき特徴である「○○製作委員会方式」の欠点が存分に発揮された映画ともいえる。ワースト映画はたくさんあるが、ここまで完璧なワースト映画は無い。ゼロ年代後半の日本映画は本当に酷い状況だったが、それでも『デビルマン』よりも酷い映画は生まれなかった。『デビルマン』は悪魔の名に相応しいゼロ年代ワースト映画の頂点である。
日本公開年度 | 2008 |
監督 | 本広克行 | 脚本 | 十川誠志、十川梨香 |
製作国 | 日本 |
受賞歴 | 映画秘宝ワースト1、はくさい映画最低作品賞 |
Wikipediaには「車の窓越しにすれ違っていた大場(仲村トオル)との因縁が訪れる」と書いてあるが、本当にすれ違っただけなのに、クライマックスで決戦となる。
柴咲コウはラクロスのチームプレーを学ぶために、サッカー部に入る。サッカー部に入っただけで、ラクロス部と仲良くなる。脚本の投げやりっぷりが半端じゃない。
珍シーンではなくて、良シーン。劇中出てくる悪の大学のテレビCMが宗教大学っぽくてステキ。
映画館で死ぬほど笑った柴咲コウが仲村トオルの悪の心を癒すシーン。この空中駅弁ファックの状態でクルクル回る。本広克行が富野由悠季をリスペクトした結果、こうなったのだろうか。
何が面白いのかサッパリわからないギャグシーン。噴水のつまりを直すと水が出てくる。当たり前だよ。岡村隆史を主人公にしたスピンオフも計画していたそうだが、その話は消えた。というかよくこんなんでスピンオフの計画があったな。
香港映画『少林サッカー』の成功に目をつけたフジテレビは、チャウ・シンチーをエグゼクティブ・プロデューサーに迎えて『少林少女』を製作した。
フジテレビの映画の製作テクニックは「売れる要素のキーワードを集めて映画を作る」というものだが、その結果ムチャクチャな脚本になってしまった。さらに現場ごとに助監督たちが撮影し、本広克行が総監督の役割を果たすという手法も失敗となった。
なまじ「チャウ・シンチー」というキーワードがあったために、本来ならフジテレビ映画を無視する映画ファンまでもが劇場に駆けつけた。そのため映画ファンの大激怒を買う羽目になった。「美人が格闘で戦う映画」という設定なら、どんなに酷い映画を作っても絶対に支持者が出てくるものだが、その手の人たちも出てこなかった。映画の出来が悪すぎるので、仲の悪い映画サイトや映画ブロガーたちが全員一致してこの映画を叩くという、宇宙人の侵略によって地球上の人々が一致団結するような現象が起きたのも面白かった。
タイトルは書かないけどディズニーのファミリー向けスポーツ映画の主人公と、『少林少女』の柴咲コウは設定が似ている。二人とも類まれな能力を持っているが故に、チームプレーができないのだ。
『少林少女』の柴咲コウはチームプレーが出来ないので、ラクロスをやらずになぜかサッカー部に入る。サッカー部に入っただけで柴咲コウはラクロス部と和解するが、クライマックスではチームプレーを無視して一人で戦う。もう脚本がチグハグすぎる。
それに対して某ファミリー映画はちゃんと物語が作られていた。エースプレイヤーの主人公はチームプレーを無視する人だったが、私生活上のトラブルで大切な人を入院させてしまう。その時になって彼は初めて自分が周囲の人々を見ていないことに気が付く。そしてクライマックスで活躍するのは主人公ではなくてチームメイトなのである。アメリカのファミリー映画の脚本はよく練られているのが多い。
僕はこの2本の映画を同じ時期に観たが、アメリカのガキ向けの映画よりもレベルが低くなった日本映画の現状に絶望した。『少林少女』が激しくバッシングされたのは、日本の映画ファンの良心だと思う。
日本公開年度 | 2003 |
監督 | 本広克行 |
脚本 | 君塚良一 |
製作国 | 日本 |
「仕事をしていないからストレス無い」と言い切るシーン。犯人たちがリストラされた無職だということなのだが………逆にストレスが溜まっているはずだろ。このセリフが「頭の良い会話」として扱われている。
寝転がっているのはライフルを構えた警察官たち。真ん中に犯人がいたんだけど、犯人たちは人質を引きずりながら歩いて逃げる。警察官たちはこの体勢のままずっと寝転がっている。
【くだらない邦画がよくやる演出】背中を向けて会話: 日本のテレビ局が作った映画にはすごく多い演出。
「警察が市民を包囲したも同然です」酷いセリフだ。青島たちも最初は監視システムに異議を唱えるが、最終的には監視する側になる。監視システムの概念が『ダークナイト』よりも先取りしている点は面白い。
トラップのワイヤーの位置が胸の高さ。誰も引っかからんだろ。
『踊る大捜査線』の映画版第二弾。第一弾も大ヒットだったが、第二弾の本作は超ヒット。実写邦画史上の最高興行収入という日本映画史に残る大記録を打ち立てた。キーワードを散りばめた予告編が、観客たちの興味を刺激したのも大ヒットに繋がった。組織の方針に苦しみ、現場であえぐ青島の姿に共感する人々も多かった。
しかし映画の内容はあまりにもムチャクチャすぎた。嫌われ役の言動や犯人たちの行動は、単にキチガイじみているだけだった。また『機動警察パトレイバー2 the movie』との類似点も指摘された。あまりの酷さに従来の踊るファンも含めて、本作を批判する動きもあったが、いかんせん社会現象になっている大ヒット映画である。「こんなに大ヒットしている映画を叩くほうが間違っている!」とファンからの攻撃を受ける羽目になった。当時のネット社会は「ヒットしている作品を叩く=間違っている」「映画や漫画を批判する=間違っている」という感覚がまかり通っていたのだ。
監督の本広克行と脚本の君塚良一は『踊る2』の大成功によりビッグネームとなるが、この後『踊る2』クラスの駄作を連発することになる。
今回のワースト投票に関して、何人かがワースト映画リストを作ってくれた。そのワーストリストにはある共通点がある。ゼロ年代前半のワースト映画はたいてい洋画であり、邦画が増えてくるのはゼロ年代の中ごろから。そして後半の邦画は壊滅状態だ。どうして邦画がダメになったかというと、『踊る2』が大ヒットしたからだよ!
僕が『踊る2』公開当時に驚いたのは、誰もが絶賛していることだった。周囲の人間にも批判している人は誰もいなかった。破壊屋上で本作を批判したら抗議がたくさん来た。「ええ?日本人ってこんな酷い映画を褒め称えるの?それじゃあ、これからこんな感じの映画がたくさん作られるってこと?」と思っていたら、本当にその通りになってしまった。『踊る2』をきっかけに邦画はレベルダウンしたのだ。ゼロ年代ワーストのベスト3に相応しい映画だ。
なお本作では、人々を監視(盗撮)・盗聴しているシステムが登場してくる。劇中の設定では、このシステムの開発・オペレーションを小泉純一郎の息子である小泉孝太郎が行っている。父親が格差社会を拡大している時に息子が国民を監視していたのか……ってこれはコジツケだ。でも本作の製作者たちの神経を疑うのは、この監視・盗聴システムを当初「便利なシステム」として登場させる予定だったということだ。しかし織田裕二が「それはおかしいだろ」と指摘をしたので、織田裕二が監視・盗聴システムを批判するシーンが付け足された。見直したぞオダルフィ。
日本公開年度 | 2007 |
監督 | 今井夏木 | 脚本 | 渡邉睦月 |
製作国 | 日本 |
「彼氏が貧乏」ということを表現するために……テレビがチャンネルを回すタイプ!でも彼氏はケータイをガンガン使っている。
【くだらない邦画がよくやる演出】クレーン撮影:お花畑のレイプシーンだが、お花畑よりもレイプをクレーン撮影するほうに驚いた。
ガッキーの「幸せ」を象徴するのがからあげである。食事で幸せを表現するのは実に映画的な演出ではあるが………映画のオチにも使われるのが驚いた。
ゼロ年代といえば「ケータイ」文化の時代だった。そしてケータイ小説ブームが起きたわけだが、ブームそのものを象徴するのが『恋空』だ。これ以外のケータイ小説作品となると、元祖ケータイ小説の『Deep Love アユの物語(31位)』、フジテレビが製作した『赤い糸(194位)』と、実際に観た人は少なくなるだろう。やはり『恋空』こそがケータイ小説を象徴する作品だ。
ネット上で使われる蔑称に「ゆとり」「スイーツ」という言葉がある(この言葉は使いたくないが…)。主に「ゆとり」かつ「スイーツ」と呼ばれる人々が支持する『恋空』は世間から批判された。
主な批判は「これのどこがリアルなんだよ!」というものだったが、妊娠・性暴力という未知への恐怖をリアルに感じられる女子中高生たちと、それ以外の人々では、映画の描写の受け取り方にギャップが激しかった。それ以外の人々は、誘拐、レイプ、難病、からあげ、高橋ジョージ、といった要素が突然画面に出てくるたびに苦笑してしまったのだ。それ以前に描写が稚拙すぎて、これっぽっちもリアルに感じられなかった。
どーでもいいけど、『恋空』のヒロインは「ミカ」で16歳で妊娠し、高橋ジョージの奥さんのミカも16歳で結婚しているよね。
あとたまにでいいので、相手の金髪を主人公にした『君空』のことも思い出してください。
日本公開年度 | 2007 |
監督 | 松本人志 |
製作国 | 日本 |
受賞歴 | 映画芸術ワースト1 |
この映画はモキュメンタリーなので、インタビュー映像が延々と続く。ちなみにこのシーンはインタビューを受けているキャバ嬢が「シャチョーサン」と言うシーン。面白くも何とも無い。
セックスを表現しているシーン。ティッシュでセックスを表現するという中学生感覚がステキ。『しんぼる』ではさらに幼児退行して、「おしりが出てきておならがプー」といった園児感覚になる。
『大日本人』ではなくて『しんぼる(11位)』から。劇中最悪の「スシを食べ続けるシーン」。このシーンは5分以上も続くので、オチが読めてしまう。
『大日本人』は興行的には大成功した。まず世間一般に「松本人志=天才」「松本=映画評論を書いている(評論じゃないけど)」というイメージがあった。そして映画監督デビューして出来上がった映画は……既存の映画作りを完全に無視した松本人志の世界だったため、賛否両論が起きた。「松本の世界観を理解できるかどうか」という意見もあるけど、それよりも延々と続くインタビュー映像に耐えられるかどうかがポイントだ。
『大日本人』公開時は「カンヌで松本の映画が上映された」ということが日本国内で大きなニュースになった。しかしカンヌでの『大日本人』の評判が悪かったため、次回作の『しんぼる(11位)』では「外国人にもわかりやすいギャグ」ということで、ワリバシ・盆栽・スシを使ったセリフの無いギャグで組み立てられた。なお『大日本人』はアメリカで、『しんぼる』は韓国で評判が高い。
『日本映画縛り首』にも書いてあったけど、映画監督としての松本人志はまさに現代の裸の王様だ。みんなが「松本人志=天才」と褒め称えていた。だから松本人志の映画を「つまらない」と批判すると、「天才を理解できない人」になってしまうのだ。松本人志の暴走を止められなかったのか、次回作の『しんぼる』は『大日本人』よりももっと酷い状態になってしまった。松本人志の映画がつまらないのは、本人の責任だけじゃなくて松本人志周辺の状況も関係していると思う。でも日本の観客は『大日本人』で懲りていたらしく、『しんぼる』は不入りに終わった。
日本公開年度 | 2004 |
監督 | 紀里谷和明 |
脚本 | 紀里谷和明、菅正太郎、佐藤大 |
製作国 | 日本 |
『CASSHERN』では白がハレーションを起こすので、白のスーツや白い紙はこんな風に表示される。
【くだらない邦画がよくやる演出】ホンモノの報道映像をサブリミナルとして使う:戦争の悲惨さを訴えるクライマックスでは、ホンモノの映像を使う。どんなに本編がヘタクソでも、大丈夫!これはアメリカ映画もよくやるけど、やはり日本映画で顕著の現象だ。
『CASSHERN』ではなくて、『GOEMON(14位)』から。映画館で爆笑した名オープニングだ。
『CASSHERN』は2004年の春に公開され、酷い映画だと話題になった。しかし同じ年に『デビルマン』が公開され「『CASSHERN』よりも酷いぞ!」と話題になったので、2004年ワースト映画の不名誉は免れた。また公開当時は、紀里谷監督の妻であり人気絶頂(を過ぎた辺りの)宇多田ヒカルが主題歌を歌っていることも大きな話題になった。
公開当時、この映画を観た人たちが驚いたのは「とにかく画面が見にくい」という点だった。画面には常に特殊効果がかけられ、様々なサブリミナルが挿入された。編集もメチャクチャでアクションはまるで繋がっていなかった。そして白はハレーションを起こしていた。
脚本もメチャクチャだった。紀里谷和明の脚本は『CASSHERN』『GOEMON』でも「監督の伝えたいメッセージを登場人物たちがベラベラと喋る」ものだ。だから監督の言いたいことはよくわかるのだが、映画の言ってることはよくわからない状態になった。
紀里谷和明監督は本気で世界平和を考えている人で、『CASSHERN』はそんな彼がとことん独りよがりで作った世界平和への模索だった。独りよがりと書くと聞こえが悪いが、監督・脚本兼任したデビュー作で全力投球する紀里谷和明監督の姿勢は好感持てる。だがこの独りよがりさの悪い点が『GOEMON(14位)』ではさらに酷くなった。『GOEMON』は主人公が非暴力を訴えておきながら、クライマックスでは主人公が大量虐殺するチグハグな作品となってしまった。しかし次の10年代でも紀里谷和明の暴走は続くだろう(実家が金持ちだし)。
日本公開年度 | 2006 |
監督 | 宮崎吾朗 |
脚本 | 宮崎吾朗、丹羽圭子 |
製作国 | 日本 |
受賞歴 | 映画芸術ワースト1、文春きいちご賞受賞、蛇いちご賞受賞 |
こころを何に たとえよう
鷹のような このこころ
と散々なツッコミくらった。
『ゲド戦記』も『デビルマン』と同様に公開前から、色々とトラブルがあった。『ゲド戦記』のトラブルの特徴は、アニメ界の天皇である宮崎駿が大きく関わっていることである。宮崎駿が『ゲド戦記』の映画化を諸事情から辞退し、次に監督として挙がってきたのが宮崎駿の息子である宮崎吾朗だった。その後の宮崎駿、宮崎吾朗、鈴木敏夫(プロデューサー)、アーシュラ・K・ル=グウィン(原作者)たちのやり取りとトラブルについては、いろいろなサイトで取り挙げられているので、各自で調べてみてください。
『ゲド戦記』の致命的な欠点は、映画的演出を使わず情景描写と心情描写のループだけで構成されている点である。父親:宮崎駿は映画的・アニメ的な演出をふんだんに使って観客を惹きつけるが、『ゲド戦記』にはそれがない。
また設定が多いにも関わらず、世界観の広がりを全く感じさせないのも特徴的だ。後半は テナーの家 ⇒ クモの城 のミニマルな世界だけの物語になってしまった。
ちなみに『ゲド戦記』の原作は二つだったりするアーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』と宮崎駿の傑作『シュナの旅』を足した映画なのだ。『ゲド戦記』は二つの傑作原作を同時にブチ壊した破壊力抜群の映画だ。
日本公開年度 | 2009 |
監督 | 平川雄一朗 |
監督 | いずみ吉絋 |
製作国 | 日本 |
酷すぎて話題になった「延々と挨拶が続くシーン」。なんと11分以上あるのだ。
映画同人誌:Bootlegでも取り上げた珍エンドクレジット。喫煙描写の断り書きが出てくる。低年齢の観客への配慮だろうが、劇中の行為にイチイチ断りを入れるだなんてくだらない。劇中どころか撮影中に犯罪行為をやっている渡辺文樹を見習えよ!
佐藤隆太には何の恨みもないし、いい俳優だと思うが、個人的には「陽性反応が出て欲しい俳優No1」である。
日本映画縛り首では「史上最低の映画」とも評された映画。ゼロ年代の日本映画は観客を泣かせるためにおそろしく安易な演出を連発したが、『ROOKIES -卒業-』はそこからさらに一歩進んだ演出をやった。洗脳的な手法を使ったのだ。映画の登場人物たちが「夢」という言葉を劇中30回以上使った。まるで自己啓発のセミナーのように。
原作の『ROOKEIS』では、主人公チームよりも敵チームのほうに勝利する必然性があった。敵チームは地域の希望であり、ピッチャーはOBや車イスのマネージャーのために投げ続け、監督は自分を犠牲にしてまで選手たちを勝利に導こうとした。そんな彼らの夢を主人公たち不良軍団がつぶすのだ。原作では夢に向かうことで犠牲になるものまでキッチリ描いていた。しかし映画版ではその要素が省かれて、敵チームは幽霊のような存在になった。
ところで僕が『ROOKIES -卒業-』で一番驚いたのは、最後の1球を投げるシーンだ。DVDで数えてみたが、1球を投げるためには5分半もかかり、カットが90回近くも切り替わる。90回のカットの半分以上は思いつめた人々の表情であり、何度も何度も同じカットを見せてくるのだ。まさに洗脳映画のクライマックスに相応しいシーンだ。
日本公開年度 | 2009 |
監督 | ジェームズ・ウォン |
脚本 | ベン・ラムジー |
製作国 | アメリカ、香港 |
受賞歴 | 映画秘宝ワースト1 |
孫悟飯に女の子にモテる方法を聞く孫悟空。『スパイダーマン』のピーター・パーカー的なキャラを狙った原作無視だが、原作通りにやるとしたら……パンパンの実写化になるか。
かめはめ波で心臓マッサージ。
これが日本の介護の現状です。
去年さんざん語った映画なので、こちらを参照してください。
なおプロデューサーにはチャウ・シンチーも含まれているが、チャウ・シンチーは製作途中で手を引いた。不可抗力だろうが、ゼロ年代ワースト映画にチャウ・シンチーの名前が2回登場(『少林少女』『DRAGONBALL EVOLUTION』)してくるのは悲しい。
日本公開年度 | 2003 |
監督 | 深作欣二、深作健太 |
脚本 | 深作健太、木田紀生 |
製作国 | 日本 |
『プライベート・ライアン』を再現しようとした気概は買いたいが……うーん。
監督の深作健太が、アクションシーンの編集作業が上手くいかずに逃げ出すというエピソードもあった。
この映画は中盤から「撃たれる⇒死に際の決めセリフを言う⇒首がガクッとなって死ぬ」の延々ループである。
竹内力は「ドラッグやらなくても陽性反応が出るはずの俳優No1」である。
まさかワースト10に偉大な監督である深作欣二の名前が入ってしまうとは……とはいえ深作欣二は名義上の監督だし、深作健太なら「父の名を汚すわけにはいかん!叩くなら俺を叩け!」くらいは言ってくれそうだが。
深作欣二が撮影開始してすぐにガンで亡くなってしまったために、父の意思を告ぐ形で深作健太が監督デビュー。その結果、深作健太には、偉大なる父親の才能がこれっぽっちも受け継がれていないことが判明。親の七光りが消え去った深作健太は、その後開き直ったかのようにアイドル映画の珍作・快作を監督する。デビュー作で空振りした監督たちの中では唯一好感が持てる。
『バトル・ロワイアルII』の設定は実に意味不明で、島に立てこもっているテロリストグループを倒すために中学生たちが投入されるというもの。中学生たちの殺戮よりも完全に暴走した竹内力のキャラクターの空回りだけが印象に残る。あと藤原竜也が全世界に向けて、メリークリスマスの演説するのも珍シーンだ(ここで全文が読めます)。
邦画の質の悪化が始まる前の作品としては、本作がまちがいなく最低邦画だ。
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