Archive for the ‘映画ネタ’ Category

試写会で映画評論家のおすぎ氏を見かけた

月曜日, 7月 15th, 2013

たまーにだけど、試写会に呼んでもらえることがある。少し前に呼ばれた試写会におすぎ氏がいた。タレントとして親しまれている人なので、以降は呼び捨てにする。

俺の母親の実家とおすぎの実家が近所という妙な縁もあって、俺は子供のころからおすぎとピーコが好きだった。文春のおすぎの映画評は欠かさずチェックしていた。おすぎVS田山力哉の辛口映画評論家バトルが発生したときは二人とも好きな映画評論家なのでヒヤヒヤした覚えがある。世間の「おすぎとピーコの区別がつかない」ネタに対しては「そのネタをいつまで引っ張るんだよ」とツッコミ入れている。

まあとにかく「俺はおすぎと一緒の場所で映画を観たんだ!」と感激して、配給会社の方に「おすぎさんもいらしていたんですね」と話かけたところ「あの方はピーコさんです」と言われた。俺は心の中で「試写会であの顔があったら、おすぎと思うだろ!」と自分のことを棚に上げて言い訳した。

この話を映画ライターの真魚八重子さんにしたところ「私は区別がつくよ」と言われた。だから今後は「映画業界の人=おすぎとピーコの区別がつく人」だと思うことにする。でも映画業界の人にも「あなたが観たおすぎは本当におすぎなのですか?」と問いたい。

ステマでよさこいソーランを踊る『魔法遣いに大切なこと』

月曜日, 4月 15th, 2013

いきなりだが『こち亀』のステマネタの画像を見てほしい。

こち亀01
こち亀02

『こち亀』の109巻「ハイテクベーゴマ大ブーム!?」より。

両さんがハイパーベーゴマをゴーリキのようにゴリ押しで各メディアに売り出すというエピソードだけど、これをガチでやっている映画があった。デートでよさこいソーランを踊る『魔法遣いに大切なこと』だ。

劇場版 魔法遣いに大切なこと プレミアム・エディション [DVD]

『魔法遣いに大切なこと』そのものについては2008年の「この映画はいったい誰が観に行くんだ 大賞」のアッシュさんのコメントがわかりやすく表現している。

五年も前に一度テレビアニメ化して(声優・宮崎あおい!)たいしたヒットもせず、今年もう一度アニメ化してもやはりぱっとせず、にもかかわらずとどめに実写映画化される作品

これの企画者は、いったいどんな超能力を持っているのか教えてください。

調べてみると、『魔法遣いに大切なこと』アニメ版は設定の矛盾などをツッコミ入れられていた。

実写版のヒロインは山下リオで、相手役は岡田将生。この世には魔法使いが実在して、魔法使いたちは日本の公務員として人々のために働いているという設定だ。以下ネタバレ。

魔法遣いに大切なこと1

魔法使いである山下リオと岡田将生は中盤のクライマックスで、座礁したイルカたちを魔法を使って助ける。そこで仲良くなった二人は食事をする。

魔法遣いに大切なこと2

そして二人はよさこいソーランの練習を観に行く。何でだよ!

魔法遣いに大切なこと3

ヒロインがいきなりよさこいソーランを踊り出す。

魔法遣いに大切なこと4

結局みんなで踊り出す。この後、よさこいソーランを踊った二人は急接近するのであった。

ググってネット上の感想を調べるとみんな戸惑っていた。実際このシーンは観るのも辛い珍シーンだった。

このシーンには大きな問題がいくつかある。

  • よさこいソーランに関する伏線が全くないし、このあと二度と出てこない。
  • 魔法使いという映画の世界観をよさこいソーランが完全にぶっ壊してしまった。
  • 二人が急接近するシーンなのに、映画とまったく関係のないよさこいソーランを使った。二人が仲良くなるきっかけはストーリーに関係のあることにすべきだった。おかげで二人が好きになった理由がよさこいソーラン以外に存在していない。

Wikipediaで調べてみると、二人をよさこいソーランに誘ったキャラは原作だと下北沢のストリートミュージシャンだった。なぜそれがよこさいソーランに変わったのか?そして何故主役たちが踊るのか?

調べてみたけれど、ちょっとわからなかった。よさこいソーランは北海道の夏の観光資源で(数年前やたらプッシュしてたね)『魔法遣いに大切なこと』は北海道も舞台なので、そこらへんの関係かもしれない。もしかしたらステマじゃなくて、単によさこいソーランを使いたかっただけかもしれんけど。


こういうステマチックな珍展開は日本映画でよくある。とくにメジャーなタレントを使った低予算映画がやりがちだ。パッと思いついた所だと

  • ファミマのチキンを褒めながら食べる榮倉奈々の『阿波DANCE』
  • バレエの映画なのに東方神起のライブでダンスの勉強をする黒木メイサの『スバル』。
  • 全編に渡ってスポンサーの商品が出てくる石原さとみの『フライング・ラビッツ』

プロデューサーがスポンサーに金を出させるときに「あのタレントに劇中ステマやらせますから!脚本で勝手にシーンを追加するので大丈夫です!」というコントみたいな展開があるのだろう。

何度か破壊屋に書いているけど、こういうのは「ステマ」じゃなくて「プロダクト・プレイスメント」と呼ばれていて、アメリカ映画でもガンガン使われている。しかし日本映画のやり方はセンスが悪い上に、スポンサーの都合で作品が壊されているので、「ステマ」という蔑称ちっくな言葉を使いたい。

なぜ日本映画のステマはこんなに酷いのかちょっと考えてみた。芸能事務所にとってタレントとは俳優というよりもスポンサーをつけて金を稼ぐ商品という側面が強い。さらに事務所にとってお客さんはファンじゃなくてスポンサーの企業たちだ。だから作品の質が軽んじられるだろう。特に原作ファンの想いなんて作り手にとっては邪魔なだけかもしれない。


ちなみに『魔法遣いに大切なこと』のラストは、ヒロインは魔法使い特有の難病でもうすぐ死ぬ。だから死んだお父さんのお墓にいって、魔法の力を使って死んだお父さんを蘇らせて結婚の御挨拶をしたら、ヒロインも死んじゃって残されたお母さん(永作博美)が号泣。しかも花婿はいなかった。という凄いオチだった。


[amazonjs asin=”4088706463″ locale=”JP” title=”こちら葛飾区亀有公園前派出所 185 (ジャンプコミックス)”]
[amazonjs asin=”B001V9KBS0″ locale=”JP” title=”昴-スバル- 特別版 DVD”]

エイベックスの映画なので東方神起が出てくる。

アシンメトリーの映画『コズモポリス』

木曜日, 4月 11th, 2013

デヴィッド・クローネンバーグ監督の最新作:『コズモポリス』を観た。主演は『トワイライト』シリーズを通じて顔色が悪い人を演じたロバート・パティンソン。映画の設定は、成功した投資家エリックを演じるロバート・パティンソンがリムジンに乗って、金融パニックが起きているマンハッタンを移動するというもの。

トワイライト 初恋 [DVD]

顔色が悪いロバート・パティンソン。

エリックは行く先々で色んな人と会うが、一度会った登場人物の多くが二度と出てこない。劇中のエリックは彼らと哲学的な会話を重ねる。残念ながら会話の内容を追うのはかなり難しく退屈だ。一番印象的なのは年上の愛人演じるジュリエット・ビノシュ(もう50歳近い!)とのラブシーン。

投資によって世界の金をかき集めるエリックだけど、彼自身の世界はおそろしく狭い。立ち上がることすらできないリムジンの中で完結している。トイレすらもリムジンだ。


以降:ネタバレ


この映画は後半になると非対称(アシンメトリー)のモノが多く出てくる。エリックは体内に非対称を持ち、顔半分だけクリームがついたままにする。またエリックの周囲にも非対称の顔を持つ男がいる。逆にエリックの失敗の原因となったのは対称性のある市場理論だった。

エリックがリムジンから解放されたとき、クライマックスとして究極の非対称が出てくる。イケメン金持ちであるエリックの非対称、それは無職のポール・ジアマッティだ。ポール・ジアマッティ演じるベノはエリックを殺そうとするが、エリックはベノを殺そうとしない。エリックにとってベノは非対称の自分だから。そして俺にはこの映画の結論がわからなかった。だって終わり方が…。

「死ぬ前におっぱいが見たいです」「いいわ見せてあげる」戦火のナージャ

日曜日, 4月 7th, 2013

戦場で両足吹っ飛んだ兵士が、その場で女性衛生兵に「おっぱいを見せて」とお願いして拒否されたというニュースが世界的な話題になった。

断られたのは当然だと思う。ところで映画『戦火のナージャ(2010)』では全く同じシーンがある上におっぱいを見せる。今回はそのシーンを解説するけど………そのシーンはネタバレに直結なので以降は完全ネタバレになる。

『戦火のナージャ』は続編映画だ。第一作『太陽に灼かれて(1994)』はアカデミー賞とカンヌの両方を受賞したロシア映画の傑作。舞台は1936年のソ連で、ドミトリという男とソ連の英雄コトフがスターリンの粛清に巻き込まれる一日を描く。

太陽に灼かれて [DVD]

『太陽に灼かれて』は日本でも成宮寛貴(ドミトリ)と鹿賀丈史(コトフ)が舞台化したことがある。

いきなりだけど『太陽に灼かれて』のネタバレ。ラストシーンでドミトリは手首を切り、コトフは粛清されて終わる。が、20年後の続編『戦火のナージャ』はドミトリもコトフも実は生きていた!という設定だ。何じゃそりゃ。なんでそんな続編を作ってしまったのかというと、監督のニキータ・ミハルコフ(コトフ役でもある)は独ソ戦争版の『プライベート・ライアン』をやりたかったとのこと。予算集めるために過去の傑作の続編企画を立ち上げたんだろうな。

『太陽に灼かれて2』は莫大な製作費をかけた三時間の大作となった。しかし傑作だった第一作とは正反対に第二作は海外での評判が凄まじく悪い。『戦火のナージャ』は『太陽に灼かれて2』を二時間半までに編集して、コトフの娘ナージャに焦点を充てた日本独自の作品だ。

戦火のナージャ [DVD]

『戦火のナージャ』。日本版はオリジナルほど評判悪くないけど、俺も大失敗作だと思う。オリジナル英語タイトルの「エクソダス」は旧約聖書に出てくる言葉で、この場合は国外脱出を意味するのかな。

『戦火のナージャ』の舞台は40年代前半の独ソ戦争だ。とにかくストーリーを省略して、一気におっぱいまで語る

父コトフと生き別れたナージャはソビエト共産党の従軍看護師になっていた。ナージャはドイツ軍の襲撃を受けた際に神父に救われたことをきっかけに洗礼を受ける。ナージャはその後も次々とドイツ軍の蛮行を目の当たりにし、発狂寸前までに追い詰められる。だがナージャは「私が生きているのは神が私を生かしたから、父と再会するのが神に与えられた私の使命」と自己解釈する………これがクライマックス。で、ラストシーンはどうなるかというと…

(PCからアクセスしている場合は画像をクリックすると拡大します)

戦火のナージャ01
戦火のナージャ02
ナージャはドイツ軍にボコボコにされた都市にたどり着き、そこで唯一生存していたソ連兵士と会う。負傷した兵士は顔を焼かれて年齢がわからない。
戦火のナージャ03戦火のナージャ04
兵士はナージャの胸元に十字架を見つけて驚く。共産党は神を否定しているのに!ナージャは慌てて十字架を胸の中に隠す。しかし胸がはだけてしまった。
戦火のナージャ05
ナージャが兵士を起こそうと抱きかかえると、兵士の背中に穴が開いていることがわかる。ここでナージャと観客はこの兵士が助からないことを悟る。しかしナージャと観客の心配をよそに、この兵士はナージャのおっぱいを意識し始める。そして…
戦火のナージャ06戦火のナージャ07戦火のナージャ08戦火のナージャ09
胸を見せてくれと懇願する兵士。戦場では人間のモラルが簡単に崩壊してしまうことを描くのか?と思いきや………
戦火のナージャ10戦火のナージャ11戦火のナージャ12
男の魂の慟哭が描かれるのであった。エロ画像が無かった当時は童貞=おっぱい知らずである。
戦火のナージャ13
戦火のナージャ14

ナージャは服を脱ぎだす。彼女は神が遣わした天使か!(すぐ天使扱いするのは日本人の悪いクセ)
戦火のナージャ15
ナージャは脱ぎっぷりが良いうえにかなりの巨乳であった。これは男のために神が与えたもうた配材であろうか。(もう一度書きますが、PCからアクセスしている場合は画像をクリックすると拡大します)
戦火のナージャ16
しかしナージャが脱ぎ終わると男は死んでいた。
戦火のナージャ17
それはあまりにも無常ではないか。神がいるのなら何故戦争が起きるのか!神がいるのなら何故彼はおっぱいを知ることなく死ぬのか!ナージャの表情はわからない。
戦火のナージャ18
カメラは引いて。
戦火のナージャ19
さらにカメラは引いて。
戦火のナージャ20
まだまだカメラは引いて超ロングになる。一分くらいかかる長いシーン。
戦火のナージャ21
いきなり映画は終わる。独ソ戦はどうなるのか?ナージャは父と再会できるのか?父コトフを追うドミトリは?など何もかもが尻切れトンボとなり、続編の『城塞』へ続くが『城塞』が日本に輸入されることは無さそうだ。ちなみに『戦火のナージャ』『城塞』は評判が悪いだけではなく、莫大な製作費をつぎ込んでの大コケだった。

この胸を見せるシーンは10分に及ぶ。ここだけじゃなくて映画全体が間延びしきった演出ばっかり。致命的なのはグチャグチャになった脚本で、場面転換するたびに状況説明がないしそれ以前に状況が繋がっていない。

このおっぱいラストシーンも映画の失敗感を強めてしまっている。ただナージャと兵士の会話はちょっと面白い。兵士は神を信じていないんだけど、ナージャが信者だと知って祈りの言葉を教わろうとする。

兵士
祈りの言葉を教えてくれ
ナージャ
すべての意志を委ねよ
兵士
俺の意志に?
ナージャ
彼の意志よ
兵士
スターリンの意志か。

ナージャの言う「彼」とはもちろん神のことなんだけど、兵士はそれを「スターリン」のことだと解釈してしまう。そんな彼が死を前にしたときにおっぱいを要求するのは、宗教も独裁も超越した個人の意思を………というのは考えすぎだろうか。

ちなみにナージャ役の女優は、監督・脚本のニキータ・ミハルコフの娘。娘を使ってこんなラストシーンを………いやいや考えすぎだ。

3D映画の進化の歴史

木曜日, 3月 14th, 2013

3Dブームが本当に嫌いだった。映画秘宝の死んで欲しい投票では3D映画ブームに一票入れたし、3D映画の退化の歴史というエントリも書いた。家電製品の3Dブームなんて「話題の言葉を出せば消費者はつられて買うだろう」という発想がモロ出しで、企業がユーザメリットというものをまったく考えていない姿勢がよく出ていた。

でも去年辺りからマトモな3D映画が出てきたので、ちょっと取り上げてみる。

異世界を3Dで表現する(ジョン・カーター)

ジョン・カーター 3Dスーパー・セット(3枚組/デジタルコピー & e-move付き) [Blu-ray]

2012年4月公開

3D映像に一番こだわっているディズニー社が2億5000万ドルという途方もない巨額を投入して爆死。史上最悪の赤字映画として悪名高い『ジョン・カーター』だけど3D映像はかなり良かった。

他の星を舞台にしているという点で『アバター』と同じ。『アバター』や『ジョン・カーター』の3D映像が素晴らしいのは、3D映像を「観客が異世界に入り込んだ感覚をより強調する」ための手段として使っているからだろう。『アリス・イン・ワンダーランド』『トロン』『オズ はじまりの戦い』と異世界を描きたいディズニーにとって3Dは相性が良いんだろうね。頑張って『ジョン・カーター』の赤字を取り戻してくれ!

映画の歴史としての3D(ヒューゴの不思議な発明)

ヒューゴの不思議な発明 3Dスーパーセット(3枚組) [Blu-ray]

2012年3月公開

『ヒューゴの不思議な発明』の中盤のネタバレです

日本ではハリポタ風な宣伝になってしまったけど、『ヒューゴの不思議な発明』は「はじまりの映画」を映画化するという大変意欲的な作品だ。

どういう事かと言うとジョルジュ・メリエスという実在の映画監督を描いているのだ。『ヒューゴの不思議な発明』を日本で例えると、なんか鉄腕アトムの絵が出てきた!え?あの近所の爺さんってもしかして手塚治虫?なんでこんなところに手塚治虫が?といった感じ。

ジョルジュ・メリエスのWikipediaから引用する

フランスの映画製作者で、映画の創成期において様々な技術を開発した人物である。パリ出身。“世界初の職業映画監督”と言われている。SFXの創始者で、多重露光(英語版)や低速度撮影、ディゾルブ、ストップモーションの原始的なものも開発した。また手で色づけしたカラー映画も作っている。撮影を通して現実を操作し変換する能力から、最初の “Cinemagician” とも称される。

つまり『ヒューゴの不思議な発明』は100年以上前の映像技術を現在の最新3D映像を使って描くという映画愛溢れる作品だったりする。またそんな素晴らしい映画を戦争が奪っていくところまで描いているのが感慨深い。

距離を3Dで表現する(アメイジング・スパイダーマン)

アメイジング・スパイダーマン [Blu-ray]

2012年6月公開

映画自体はそこまで面白くなかったけど『アメイジング・スパイダーマン』は、スパイダーマンが手前のビルから奥のビルへ飛び移る「奥行感」を3Dで上手く表現しているのが良かった。とくにクライマックスのビルにまでどうやって到達するか?のシーンは「ビルがめっちゃ遠い」という絶望感を3Dで強調していた。

時間軸を3Dで表現する(フラッシュバックメモリーズ3D)

フラッシュバックメモリーズ3D

2013年1月公開

まさか低予算の日本映画が3D映画の正解を叩き出すとは思わなかった。『フラッシュバックメモリーズ3D』はミュージシャンのドキュメンタリー映画。ドキュメンタリーなのに3D?って思ったけど、ちゃんと意味がある。取材の対象となっているミュージシャンの男性は交通事故で記憶障害になってしまったので過去を思い出せない。現在の彼はリハビリしながら音楽活動している。

『フラッシュバックメモリーズ3D』の映像を文章で説明すると、現在の彼の3D映像を手前に配置、過去の彼の記録映像を奥に背景として配置している。たったこれだけの工夫なんだけど、背景に映し出されている映像は彼が思い出すことができない過去なのだ。観客は本人以上に彼の世界に没頭できる。時間軸を表現するのに3Dを使っているのも凄いけど、広大な世界じゃなくてごく狭い世界を表現するために3Dを使っているのも面白い。

宗教体験を3Dで表現をする(ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日)

ライフ・オブ・パイ

2013年1月公開

主人公の設定が一風変わっていて、キリスト、イスラム、ヒンドゥーの3つの宗教を信仰しているというもの。主人公にとって漂流は宗教体験なのだ。で、この映画はそれを3Dを使って表現した。

ヒンドゥー教の神であるクリシュナの口の中にはあらゆる生命や宇宙が見える。という伝説があるんだけど、映画本編でも3D映像が一番効果的に使われているのはこの部分で、クリシュナの口を覗くような映像を観客にも体験させてくれる。大変素晴らしい映像なんだけど、この映像を作った会社はアカデミー賞を待たずに倒産した。この世に神はないのか!

麻薬体験を3Dで表現をする(ジャッジ・ドレッド)

posterA

2013年2月公開

最近の3D映画で面白かったのがバイオレンス・アクション映画の『ジャッジ・ドレッド』。麻薬でラリっているときの感覚を3Dで表現している。

以下の文章は強力な麻薬「LSD」のWikipediaからの引用なんだけど

日光が異常に眩しく感じ、意識がぼんやりとし、異常な造形と強烈な色彩が万華鏡のようにたわむれるといった幻想的な世界が目の前に展開していた。その状態は2時間ほど続いた。

『ジャッジ・ドレッド』は3Dを使って上記のような感覚を映像で表現する。ダメ、ゼッタイな感覚を3D料金400円で体験できると思うと安いもんだ。

3Dを使わない!(ジャッジ・ドレッド)

ジャッジドレッド

もう一回、『ジャッジ・ドレッド』。でも『ジャッジ・ドレッド』のネタバレです

3D映画がよくやる表現で「飛び降り」がある。『MIB3』なんかがわかりやすいけど、ビルから飛び降りる人を画面真下から撮影する。そうすると飛び降りる人が3Dで観客の目の前に飛び出てきてビックリする、あんまりビックリしないけど。ところが『ジャッジ・ドレッド』は3Dで飛び出させないことで観客をビックリさせる!

どういうことかというと、『ジャッジ・ドレッド』でも飛び降りのシーンがある。もちろん真下から撮影しているので観客は当然「あ、飛び降りてくる人が飛び出すんだな」と思っている。ところが飛び降りた人が地面に到達してしまい体がグチャグチャグチャグチャと潰れる(透明なガラスに飛び降りるイメージ)というショックシーンで驚かしてくる。3Dで飛び出してこないのかよ!

いまだに酷い3D映画はある。去年の『リンカーン/秘密の書』は3D映像があまりにも酷すぎて、俺は時折3Dメガネを外しながら鑑賞したほどだ。でも今回挙げた映画たちはどれも3Dを使う意味と目的がハッキリとしている。話題作りのためだけの意味の無い3D映像を見せられることはもうほとんど無いんじゃないかな。


1895年の映画『ラ・シオタ駅への列車の到着』。この映像を観て本当に列車が到着すると勘違いした観客が大パニックになったという都市伝説があるんだけど、それを連想させるような列車到着シーンが『ヒューゴの不思議な発明』にもある。もちろん列車が3Dでドンドン突っ込んでくる。単純に飛び出す3Dでも、こういう経緯があるとすごく面白い。