予告や本編を観た人ならわかると思うけど、バア様が走り出す演出は確実にビックリするシーンだ。
おおよその値だけど柱から軒先の約4メートルを0.5秒で通過している。これは時速28.8キロ。100メートル走だったら12.5秒なので、女子高校100メートルのトップクラスだ。正座の体制から走り出しているので、クラウチングスタートを習得すればジョイナー級のアスリートになれると思われる。
ネット上で激論があったので、俺なりの考えを書く。激論の元は「そういえば掛け算にはそんなルールがあったな」に掲載された算数の問題だ。
さらが5まいあります。
1さらにりんごが3こずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう。
この問題に対して子どもが「5×3=15」と書いて「間違い」とされた。正解は「3×5=15」だというのだ。なぜなら「かけられる数を先に書く」という指導法が昔からあるからだ。「教育指導要領に書いてあるんだよ」と言われていたが、実際は順番まで言及していなかったことが後で判明した。
そして激論というか「5×3=15も正解だろ」派の猛攻撃となった。次にその反撃として「5×3=15は間違い」「5×3≠3×5」と主張する人たちが出てきた。まあそれでも「5×3=15も正解だろ」派が優勢なので一安心した。ちなみにこの議論は昔から(60年代!)存在していたらしい。
「かけられる数を先に書く」という指導方法については、手段の一つだとは思う。算数にそんな決まりは無いんだけど、子どもたちはこのあと割り算を勉強することになる。割り算はとても重要だけど、とてもつまづきやすい。少なくとも「割られる数が先」だけでも覚えておかないと、算数についていけなくなる子どもが出てきてしまう。
この議論は本来なら「算数としては正しい式だけど、先生の教え方に従ってないから不正解」という判断が良いのか悪いのかという点で語られるべきだった。
難しい判断かもれしれないけど、俺は「悪い」と判断する。「5×3=15」は正解だ。まず計算で一番大切なのは算数のルールを守ることだ。正しい計算をするためには算数のルールを1つでも破ってはいけない。そして算数には「等号が成り立っている」「掛け算は順番を入れ替えても答えが同じ」というルールがある。でも5×3=15を不正解にするということは算数のルールを2つも破ることになる。これでは算数とはいえない。
根拠はもう一つある。5×3≠3×5派はあの問題文の日本語からは「3×5=15」しか読みとれないと主張しているけど、俺があの問題文の日本語から読みとることができる計算式は以下の4つだ。
下二つが不正解とされても納得する。理由は「掛け算を使えばもっと効率が良い式になるから」だ。30÷2=15が不正解だとしても当然。「問題文から読みとれない情報を使っているから」だ。でも「3×5=15以外は認めない」という意見は納得できない。5×3≠3×5派の意見で「答えだけが合っていて、途中が違っていても良いという考えはおかしい」というのがいくつかあったけれど、その意見もおかしい。算数というのは、答えを導くために色々な発想をすることが大切な学問だ。「3×5=15以外は認めない」というのは、教師の都合で子どもの発想を奪っている一面もある。それに3×5も5×3も同じ答えになるというのは算数にとって重要なことだ。
「かけられる数」を認識させようとする指導方法は重要だ。教育熱心な先生が5×3≠3×5派になるのは、その重要さを認識しているからだろう。
それでもなぜ俺が5×3=3×5派になるかというと、5×3≠3×5派の反撃があまりにも酷過ぎるからだ。5×3≠3×5派として有名になった先生の文章を引用する。
「一回の作業で5こ扱える。それを3回行っているのだ。」
なるほど。それは一理あります。しかしながら、これを○としてしまうと、3×5も疑ってかからないといけない。
3×5も疑うことになるから5×3を○にできないって?両方とも○だよ。
そして議論の発端となった5×3≠3×5派の先生は、こんな反論を言っている。
3kgの赤ちゃん5人と5kgの赤ちゃん3人が同じ状態ですか?
この例に感化されたのか5×3≠3×5派は「状態が違う」「事象が違う」「言葉が違う」と、とにかく「違う」と否定してくる。しかし日本語の表現がいくら違っても5×3=15や5×3=3×5という式は成立するのだ。赤ちゃんの質問に対しては「確かに赤ちゃんの人数も、赤ちゃん一人あたりの体重も違いますね、でも合計体重が同じです。」としか答えようがない。順番による違いを表現したければ単位を用いるべきだ。掛け算は順番を変えることができるという性質(これを可換とか交換法則という)を持っているのに、式だけで順番の違いを表現するから無理が出てくる。
上記は先生たちの意見なんだけど、5×3≠3×5をなんとなく信じている大人たちが多いのも驚いた。以下のような意見だ。
九九はたまたま可換
積は非可換
たまたま可換じゃなくて、実数の加と積は可換だ。これを交換法則と言って小学校4年で学ぶ。もう一つ↓のような主張も多かった。
「5×3≠3×5」は「3÷5≠5÷3」で説明する。
これは酷過ぎる!「掛け算は交換法則が成立するけど、割り算は交換法則が成立しないので、掛け算は交換法則が成立しない」という説明の仕方で、論理がムチャクチャだ。
小学校で学んだことを忘れているのはよくあることだけど、感覚的に交換法則が身についていない大人が多いのは驚いた。
指導方法に関するいろんな意見を読ませてもらって、その中には「5×3=15は間違い」の説得力のある意見もたくさんあった。ただそのために算数のルールに背いてしまうのが良くない。「5×3=15は間違い」の言いたいことは本当によくわかるけど、どれも納得はできなかったし俺と同じように考える人がとても多い。これだけ納得できない人が現実に多いのに、子どもに「5×3=15は間違い」と説得させるのもどうかと思う。
それにたいていは説得力が無い意見ばかりで、それを読んでいると「5×3≠3×5」と学んだ子どもがどういう大人になるのかよくわかった。
算数のお時間ですよー、1から50まで映画のタイトルで数えてみましょう。
32は欠番
35は欠番
はい、終了です!でもいくつか欠番がある。検索すると出てくるんだけど、あまりにもマイナーすぎる。このラインナップでも「原爆投下機B-29エノラ・ゲイ」と「31km」がマイナーすぎるんだけどね。それと意外と50番台も充実しているんだよな。『ケミカル51』『ロシア52人虐殺犯 チカチーロ』『54 フィフティ★フォー』『北京の55日』『パッセンジャー57』がある。それと「センチ」「ミリ」「キロ」って言葉がつくと数字の値が変わるんだけど、そこは勘弁してください。
これ以降の数字を取り挙げるとなると、単に「タイトルに数字が含まれている映画」になってしまうが、いつくか挙げておこう。
前回「記事のタイトルに数字があるとウザい」なんて書いたけれど、さっそく俺もやってしまった。というか、実はこのエントリを作っている間に前回のエントリを思いついた。
最近のネット上の風潮でちょっとウザいと思っているのが、記事のタイトルの付け方だ。以下はここ数日でネット上に話題になった記事のタイトルだけど、ぜんぶ数字が入っている。
また「ブログがアクセスアップする方法」といった記事に、「記事のタイトルには数字を入れよう!」と書いてあるのも当たり前になってきた。数字が入っているとわかりやすいのに、なんでウザく感じるのだろう。
この傾向ってのは、やっぱり自己啓発本の影響かしら?本のタイトルに数字が入っているのって、自己啓発ブームの中で生まれた風潮な気がする。ためしにタイトルに数字が入っている本を数字順に検索してみた。やっぱり自己啓発本が多いし中谷彰宏が多い。友達の家の本棚に中谷彰宏の本があるのって嫌だよね。あと坂本竜馬やイチローを題材にした本もあるけど、それもやっぱり自己啓発系だった。自己啓発ブームって、ブームじゃなくてもう一般に定着したんじゃないだろうか。だから記事のタイトルに数字を入れるのが流行りだしたのかも?
6670という数字は1から115までを足した数字です。俺が探したところ「イチロー 262のメッセージ」という本が一番数字が多かった。でも上には上があると思う。